はじめに

今回の考え事は、いつもの自分の作品制作の進め方と同様の手法で"ある体験"について考えはじめたことがきっかけだった。大体自分の経験や他人から聞いた話を基に作品を作るのだが私は当初、芸術祭に向けて三つの経験を基に作品制作をしようかなとなんとなく考えていた。

私が他大のグループワークの授業を受けた時、私のグループはメンバーの参加率も意欲もあまりなく、結局プレゼン日の三日前に資料や担当を振り分けることになっていた。私たちの課題は夢を持たない若者に夢を持ってもらう”方法”を企画し実行するものだった。そして、私たちは若者が夢を見つける手がかりになる情報を提供するウェブメディアを作ることになった。結局この企画はぐだぐだになるのだけど、なぜそうなったかというとグループメンバーがお互いに自分の経験から得た言葉を持ち出して会話をしていたために、すれ違いが発生していたこと。その上どのような意図を持ってその言葉を使用しているかという説明がほとんどない状態であったこと。これらの問題を抱えたまま最後まで会話が進んでしまっていたためであると私は考えた。

自分が使っている言葉は普段から使われる言葉を使っているけれども、それは大部分が大学の美術教育で覚えた意味と用途だ。例えば「〇〇の文脈〜」や「空間」、単語で使われる「ペインティング」と「絵」の違い、「作家」と「アーティスト」の違いなどだ。同じ分野の人と話しているときはその意味が自然と共有されていることに気づかず、異なる分野の人の間で用いた時に、自分がある文化の土台で言葉を選択し意思を発信していることを初めて実感する。

話を戻すとそのグループでは、”メディア”という言葉をメンバーそれぞれの経験や教育を前提に理解していた。(つまり、お互いが抱いている言葉の意味の共有はされておらず、各自が同じ意味で理解しているとお互いに思い込んでいる状態で話し合いが進んでいた)メディアを専門的に勉強していた人と、教育学部でメディアに関する知識を貯めた人と、美大から来た私とで大きく話し合いにズレが生じ、課題は難航していた。私と教育学部の人がウェブのサービス案やプランを持っていくと「これはプラットフォームであってメディアではない」と言われ、こちらはなにを是正すればそれがメディアになるのかいまいちわからない。(そもそもその時までは自分たちの間で認識のずれがあることなど全く気づいていなかった)後になってメディアが情報媒体サービスで、プラットフォームがTwitterのようなものだとわかるのだがそれは授業終了後に発覚したことであった。

この経験を踏まえて私は他者との言葉に関する認識のズレが起きることと、日常のあらゆるコミュニティでこのズレが起きている時、会話の中でどのように調律が執り行われているかということに興味を持ち始める。続く。

Yumi

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