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【短編】ぷかぷかしよ

「せんせ、この匂い、家庭おうちに持ち帰らないでね」

女。あどけない女。足から小ぶりの臀にかけての肉がきゅっと弾けるようで、白く、吸い付くような肌をしたその女は、躰を起こして細い煙をたてている。
「それなら最初から吸わなきゃいいんじゃないの」
男は冷たく宥める様子もなく、普段からそう話すようなトーンで飄々と言った。
「まあ……多分私、先生に、隠してほしいんだと思うの」
「スパイス?」
「それにしちゃヤニ臭いわ」
「はは、言えてる」

男は何を考えているんだろう。所詮、いわゆる、愛人の面倒な牽制をのらりくらり(無意識かもしれないが)躱して、へなへな笑っている。
女も何を思うだろう。彼の肉体に陶酔するわけでもない、背徳に踊っているわけでもない、彼と女を繋いでいるのはただ、昔の教師・おしえ子の関係だけである。師と子の肉体恋愛。古今、擦られ続けた関係、情に燃えるには十分な精神要素。女は……女は、ただ師を慕っていたのだが、自分でもよくわからないうちに、最後のリボンが指を使わずほどけてしまうように、男の胸を求めた。“師”ではなく、ひとりの男として。そこが彼に一番近い場所であったから。それだけの理由でよかったから。

……ごちゃついた桃色照明はいらない。
薄暗い中にぼんやりとうつる絨毯と、シーツの波に浮く深緑の下着を眺める。ベットそばの照明がそれらのレースを透かす。あの人の黒々とした髪もオレンジに照らして……揺れない、まつ毛の長いこと。
ふう、と吸ったものを吐く。副流煙と自戒とごちゃごちゃしたやるせない気持ちが一緒くたにぷかぷか焚き上がったのを、ぼーっと見た。喫煙しない男の横で。
「好きなんだから」
男はそれを聞くと天井向いていた顔を横に向けた。
「ふうん」
「矛盾してるようだけど。先生が好きだから、私が先生と会ってること、奥さんに知られてほしくないの」
「ふうん」
「でも先生が好きだから、先生に会いたいの」

師弟のふりをするのは、女にはそれしかないからだった。女から教え子の過去を取ってしまったら、若い女の肉体しか・・・・・・・・残らないから。

「だぁい丈夫だよ、俺だって好きさ」
そう言われちゃ腹の虫が悪いので、唇を男の顔にとんがらせて溜息をまたひとつ、つく。
いやがらせに咽せて歪んだ口端は、やや上がっているように見えた。

「全く、先生ったら……」


おしまい
 

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