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ニュー・源氏物語 〜桐壺更衣逝去〜

あくまでテスト対策用の、私用の即訳でございます……悪しからず

……

その年の夏、桐壺の奥さまはなんてことないようなご病気にかかられた。いつもはそれで安静にしていれば、しばらくするとひょいとお顔をお出しになるのだけれど、奥さまはなんだか普段と違うお顔つきで、お里に帰ろうと準備をなさっていた。しかしこんなことは天子さまがお許しになるはずがない。しかし、天子さまも鈍臭いお方である。自分が奥様を愛でるのに夢中になって、その声色やお顔つきに、力ない笑みに、奥さまのご疲労をお感じにならない。良家の出なりの良い顔しかしてこなかった中宮さまや女御さまならいざ知らず、あの桐壺さまであるのに……。更衣の御身分からは通常考えられもしないほどのご寵愛を受けるなど、思ってもみない幸運であると安易に考えるのは全くのお門違いである。非常に浅はかな軽薄ものである。飛躍の合間に挟まれた女御や、「なぜ自分じゃない」と欲求不満に狂う女たちが奥さまを襲った。女の嫉妬は醜い。陰湿だ。だからお前らは選ばれなかったのだ。奥さまは様々な嫌がらせを一身にお受けになった。その細い首が、絹の肌が、桜貝のような指先が、あはれなる御かたちだけが、その醜悪を受け止めた。天子さまに告げ口するなど、そういうこともなさらなかった。どこまでも儚いお方である。
だから、元から弱かったお体は日に日に衰弱を辿る一方であった。
そんななので、ここ数年はいつも病気がちでいらっしゃった。
初めこそ熱心に心配なさっていた天子さまであったが、段々と目慣れてきて、今日のお里帰りをなさろうとした奥さまをお止めになった。
「うーん、やはり少し、ここで様子を見なさい」
と言って。
奥さまは弱まるばかりであった。
このところ、五六日の間に、病状はさらに悪化する。なぜあの時天子さまはお里帰りをお許しにならなかったのだろうか。私は今でもその判断に燻っている。
奥さまの体調に母君はいよいよ、お里帰りをお許しになるよう天子さまに泣く泣く奏した。
「娘を……娘を里に帰らせてやってくださいな……」
そう使者に告げる母君の横顔は何かを捨て切れないような、悔しさとも怒りともとれる色をしていた。でも、少しの達成感も見えたような気がした。娘がこれだけ天子さまに愛されて生を終えるのは、決して不名誉なことではない。しかし、宮中の掟を破ることだけは、大きな恥になりうるものだったのだ。母君は娘が女たちから受けた仕打ちを受けたことを思い出しただろう。母君自身も、周囲から大なり小なり嫌がらせを受けていたに違いあるまい。「あるまじき恥」。それのために、死後、愛娘の名誉が損なわれるような事態にだけはしてはならぬ。そう考えてのことでもあるだろう。
そうして母君は御子を宮中に残し、こっそりと奥さまを連れ出しになった……

物事には、限界というものがある。彼女のご退出も、それのお見送りすらも出来ない。まことに非力であるのは、今生を統べる私自身であった。この抱えきれないほどの心配を伝える方法すらなく、彼女を思わずにはいられない。
ああ、彼女は実に艶やかで美しく、いかにも可愛らしいお人であったことよ。
それなのに……ひどくやつれてしまって。以前から病気がちな彼女ではあったが、しかし、いざこの身のそばから離れてしまうと、本当に悲しみが身に染みて、しみじみと思うのであった。彼女に言いたいことがあろうとも、それを伝えることもできぬ。あるかなきかに消え行ってしまいそうな彼女の存在、そこに眠っているのをみていると、過去も、未来も考えることができない。死すら、私たち二人で共にすることを誓ったというのに。私は抗えぬ無常の前に、涙を流すことしかできないのか。
「前にお前とみた桜は綺麗だったなぁ。来年も同じように咲くのだろうな。この病気をちゃんと治して、次はお前と小船に乗ろう。そこで一緒に歌を詠み合うのだ。きっと楽しい」
そう彼女に語りかけた。決して返事は返ることはなかった。私の呼びかけを聞く彼女の目は今にも消えいってしまいそうなほど無気力に俯いている。

いよいよ奥さまはぼんやりとなさって、自他の区別もつかぬような正気のない様子で、ぐったりとしている。退出する、と言ったはずなのにまだそばを離れぬ天子さまは、どんな様子だといかにも不安そうにして、表情を曇らせる。途方にくれずにはいられぬご様子であった。いよいよ輦車の宣旨(マジ偉い人しか乗れないウルトラリムジン。畜生ではなく、人間が運んでくれるらしい)をお許しになるが、まだ、全くおそばを離れようという素振りを見せないのである。
「死出の、向かう先が死のみの一本道であっても、お前が死に遅れたり、先だったりすることはするまいよ」
と、馬鹿げたお約束を一方的に契りなさった。全く、天子さまがもっと奥さまの繊細な機微を汲み取ってらしたら、この状況は違かったかもしれないのに、と少し憤りを覚えた。でも、私は奥さまのあの柔らかな表情を思い出して、天子さまを責めるのをやめた。なぜ天子さまが周囲の嫌がらせに徹底して打ち立てをなさらなかったのが少しわかった……
そんなことを考えているうちに、奥さまが口をぱくぱくさせて、我々に何かを仰った。
「限りとて
 別るる道の
 悲しきに
 いかまほしきは
 命なりけり
 ……もし、本当にそう思っておりましたら……」
と。
息絶え絶えであった。
また口をぱくぱくさせて、何か言いたげなご様子であったけれども、このご様態である。とても苦しそうな、だるそうなお姿であるので、帝はどんな結末になろうと奥さまのことを見届けようとお想いになったようであったが、
「今日から始めるはずである祈祷を、立派な験者がお受けしているのですよ。それも今夜に」
さあさあ聞きなさい。さすれば良くなろう、と言わんばかりに急ぎ言う天子さまは、たまらないお気持ちながらも、奥さまを退出なさった。最後に語りかけた言葉は、様々な体裁と考慮と心配と不安をごちゃ混ぜにしたような複雑なものを感じて、はじめ感じた滑稽すら私を恥ずかしくした。散々貶してしまった天子さまだが、天子さまにも立場というものがあった。それもこの国を背負う大きな大きな立場であった。奥さま……私は……

桐壺の御方が内裏を出て行かれてからは、少しも眠れる様子がなく、夏の短夜さえも明かせないほど首を長くして知らせを待った。その間はずっと心配事を仰っていた。
するとそこに、待っていた使いのものが息を上げて帰ってきたのだが、
「奥さまの里のものが、夜中を過ぎた頃に、ああ、お亡くなりになった、と、騒いでおりました」

私は甲斐がなく、涙ながらにそう告げると、天子さまは言いようもないほどのお気持ちであったらしく、受け止める分別もつかないままに、ゆっくりとお部屋に戻られた。そこからはしばらく、宮中で天子さまの姿は見かけない。殿上人の方々がお部屋の前を通ると、悲しい声が聞こえるよと仰ったらしいことをひとづてに聞いた……

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