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まじでキツかったって2022

最後の投稿、しかもつぶやきから1ヶ月弱ですか。
書きかけては下書きへ、を繰り返し、気づけば年が明けていた。寅年終わっちゃった。グッバイ年女、グッバイ本厄。(まだ後厄)
今年はもっと書いていきたいものです。

さて。

年が明けて仕事も始まって、このタイミングで2022年のことを振り返ろう。
※今日はオサレの話あんましませんたぶん

始まりは2021年12月

とても優秀な部下から三行半をつきつけられる。
その人は断然私より仕事ができて、気配りができて、行動する勇気があって、人との関係をどんどん作って自分の居場所を作れる人。
わたしはそれにとても憧れていて、でも妬んでもいて、そんなすごい人が側にいてわたしはどんどん自分が嫌になった。
嫌になった結果、自分の行動や判断に自信がなくなった。
そうすると彼女はわたしと距離を置き、必要な仕事のことでもわたしの言葉を聞かなくなった。

そして。

わたしの無神経な振舞いが積もり積もって、彼女は異動を申し出た。わたしは年上の彼女から、何度か注意されていたから。それなのに無意識にやる、もう、どうやったって治らない。無理です。と言われてしまった。
上司はもちろん慰留しようとしたけど、こんな状態で同じチームで仕事をするのはお互いにとってマイナスだ、と彼女の申し出を受け入れた。

完全に、自分の至らなさだと思う。
わたしは何もできなかった。
そして自分の能力のなさが招いたことと理解していたけれど、(だって彼女は優秀でたくさんの味方がいる)、私はこのとき深く傷ついた。
めちゃくちゃがまんした、でも、とても傷ついたのだ、思い返せば。
そして情けなくなった。ダメな自分が悪いんだから傷つく資格もないぞと、思っていた。

それから異動になる年度末まで、ほぼ口をきかなかったと思う、確か。正直わたしは

はよどっかいってくれ


と思って毎日過ごしていた(うっわ

ちなみに、この頃買ったのがグラムスラム。
そういう意味ではあれは演歌バッグだと思う。
一粒万倍日と天赦日?かなんかが重なった、縁起のいい日だったのも後押しした。

めでたく異動になってから、わたしは新しいチームメンバーとがんばってうまくやっていこう、と思った。
でもまだまだ傷は癒えず(マッタクモー)、夏までぐずぐず言っている。そのときのnoteがこちら。

ちなみにここから5ヶ月?経ったいまも、いまだぐずぐず言っている(成長せぇ)

まだね、闘ってるよ。ぐずぐず弱くて変われないわたしと。

本当に、行動を変えるのは難しい。
無意識の無神経な振舞いに気づくところからだから。そして、自信のない自分に自信を持たせてあげるところをやり直してるとこだから。
そうか、1年経ってようやく、あぁ、傷ついたね辛かったねと認めてわたしに言ってあげられるようになったのかも。

もうひとつの始まりは2020年9月


こちらは全く別の話。
実はこの年末に、母を亡くしました。
2020年9月、祖母の訃報を受け実家に帰って、コロナ禍で1年近く会っていなかった母の不調に気づいた。かなり進行したがんだった。
気丈な母よりも、母親を看取って即、妻の看病が始まる父を、見ていられなかった。

それから緊急事態宣言の合間を縫って帰省し顔を見て通院に付き添ったりしていたけど、診断から2年と少し、年を越さずに母は旅立ってしまった。
がんと診断されてから年単位で生きられるのは、ありがたいことなんだろうなとも思うけど。
いや、いまやがんは治るからそんなことないってのもあると思うけど。
やっぱりもう少し、元気で生きててほしかった。

この秋に、母も介護をする父もつらそうなので毎週末帰省したり、会社に事情を話して長く実家で仕事をさせてもらったりした。
それがわたしにできた精一杯、なのか、もっともっとできることがあったのか。

だってここで初めて言うけれど、実は実家で仕事をしていたことはよく思われていなかった。
長期で不在にされると実際困った、これが続くなら今の職位は降りてくれと言われたし、テレワーク中の中抜け(時間外でカバーした)も、稼働していないのは困るとはっきり言われてしまった。
平日にはあまり帰れないな、と思ったのだ、そのときに。

結局この期に及んで、わたしはポジションにしがみつきたかった。能力もないくせに情けない。

でも

わたしもいっぱいいっぱいだった。

何を優先して何を手放すのか、上手くできなかった。ちゃんと考えれば仕事なんか後からどうとでもなったのに。

なのに。

でも。

悔しいけどあれがわたしにできるMAXだった。

うん。

認めざるを得ない。

お母さんごめんね。
(そのへんにいるんじゃない、四十九日まだだし)


あと

お父さんのときはそんなことにならんように、ちゃんと決断をします!
それがきっと、お母さんが残してくれた宿題。
そんで、お父さんのケアもしっかりしますから。
お母さんの分も長生きしてやるって息巻いてるから、しっかりサポートしていきますから。

まあ他にもいろいろあったよね

夫とも派手に喧嘩してだいぶ何度も別れようかと本気で悩んだし、結果前より良い関係になったし
別口で職場で大喧嘩を繰り広げたりもしたし
少数精鋭でたくさんお金を使うことにも慣れてきた

…あの、

ふつう振り返りって年末にしない??
いいの、年末は父とゆったり過ごしていたから。
その時間を優先できたことが、2022年の成長ってことにしておく。
2023年はもう少し、力の抜けた年にしたいな。