くも膜下出血自己流リハビリ記録~損傷した脳細胞は修復されない代わりに
後遺症なく退院…といいつつも、違和感がいくつかあった。ただ、それらは順次回復していった。途中体感したこと、何をしたか?を書いてみたい。リハビリはできるだけ早く!というのはこういうことかと。
退院後感じた「後遺症」とも思えた3つの症状
文字が書きづらい
呂律が回らない
思考がつながらない感覚がある
あとは、頭の開頭部分が痛いとか、しびれているとか、歩くのがしんどいとか、キーボードの指が上がらないとか「後遺症」とは思えない、傷と筋力低下的なものだった。
上の3つは、会社のメンバーも心配してくれて、退院後の診察で先生に聞くように!と真剣に言ってくれた。
病院の先生に疑問を投げかけてみた
退院後、12日目の診察の日は、検査をするのかと思ったら問診のみ。5分で終了。拍子抜けもいいところ。
「そりゃ、3週間もベッドの上だったし、話してないからねー」
要は、使ってなかったからなまっているわね!みたいな感覚だ(汗
いや、違うから聞いているのに!と思ったが、「病院の先生にとっては、小さなことなんだろうな」と受け取った。
その3点、どんな感じだったか?というと
1)文字が書きづらい
これは、入院中から感じていた。以前のように文字が上手く書けない。指先が思うように滑らかに動かないのだ。動かそうと思っても…だ。
退院して、救急車を呼んでもらった人にお手紙を書こうと書き始めたのはいいが、10分で書けそうな内容を2時間もかかった。もちろん漢字も間違うし、文字も間違う、何度も書き直したからだ。
2)呂律が回らない
これは、退院直前に会社のメンバーと電話していた時になんとなく自覚し、退院後、家族と話していて明らかに周囲も感じた。
病院ではそれほど話すことがない。看護師さんとの会話も短文で済むから気づいていなかったのかもしれない。
実は、退院後1週間で人前で話す機会があった。20分ぐらい話したが、明らかに呂律が回っていない。私が病気をしたことを知っている人は気づいたようだ。「らりるれろ」「たちつてと」が言いづらい。
3)思考がつながらない感覚がある
私の会社は完全テレワークなので、難なく仕事ができる。実は翌日からパソコンに向かった。仕事は作ってもらってある請求書の確認と発送。
なんと、いつもは3時間で終わる作業が、2日かかった。その時は、キーボードが以前の1/5ぐらいのスピードでしか打てないのもあるし、複数の物事を考える・確認する・・・という作業がとても辛い状況だった。
脳の回路がつながった!という感覚
それがどんどん改善されて、ある瞬間に「回路がつながった!」という感覚があった。そこでいろいろネット検索してみると、損傷を受けた細胞は元には戻らないが、眠っていた新しい神経細胞が活性化してくると。
改めて、GoogleBardに聞いてみたところ下記の回答を返してくれた。
そんな機能があることを知らず、脳細胞が回復すると思ってリハビリしたわけだが、それを早くスタートしたことが幸いしたようだ。
もちろん、病院では「リハビリ」のフォローは無かったので、自宅で自分で良かれと、楽しそうだと思えることを行っただけ。
回復させるためにどんなリハビリをしたか?
1)文字が書きづらい
指先を思うように動かせるように、絵を書き始めた。
絵と言ってお単なる落書きだ。以前か〇〇〇など、出来るだけ揃えて描けていたが、全く描けなくなっていた。描き始めたのはこんな感じ>>
8/9に発症し、8/28ごろから一般病棟内でお絵描きを始めました。そして、やっと最近(今日は12/13)になって、前と同じように描けるようになってきました。かなりかかりますね。
もちろん、文字自体はもっと早くに描けるようになっていた。
2)呂律回らない
9/7ぐらいから「音読」を始めた。私は一人暮らしなので、1日誰とも話さない日がある。会社のZoomでのMTGはあるが、毎日ではないから。
音読をしてみると、言いづらい言葉が分かる。そこを何度も繰り返し読むようにしていた。
音読は毎日ではなく、2週間ほどしただろうか。それでかなり戻ってきた。
3)思考がつながらない感覚がある
これは退院後、ひと月ほど(8/9発症で10月初め)で、感覚的に「つながった」と体感があった。脳がとてもスッキリした感覚だ。
同時期、会社のメンバーも、なんかやり取りがスムーズになったと言っていた。
呂律が回るようになっても、思考がつながらない箇所があり、前と同じように会話ができなかったのだ。だが、それらがつながった感覚がある。
8月末の請求書は苦戦したが、9月末の請求書も1日はかかった。10月末の請求書は、3時間ほでできたので戻った感じだ。
ただ、発症前のようなスピードで考え話すように「戻った!」感覚があるのが今。やっと。4か月半たった今です。損傷と言えない?自分でさえ、これだけかかるのだとしたら、大きな損傷を受けた人は本当に大変なんだと実感。
眠っていた新しい神経細胞のお陰?
手術後の様子を書いたnoteで記載しているが、発症6日目から雑誌の文字を読み始めていた。そう、あまりに暇だったからだ(テレビは見ない人)。
頭が痛いと思いつつも、雑誌を読んでいたことが幸いしたかもしれない。文字を読んで理解をすることはスムーズにできた。
これまでも本は読んでいたのだが、なぜかその後、「学習欲」が芽生えたのだ(笑)。
「学びたい」という欲求が目覚めた感じ。
仕事はIT関係の端くれ。進歩するスピードは半端ない。手術前は、苦手分野への挑戦なんてしようとも思わなかった。
新しい神経細胞が活発になったからだろうか?と。
後遺症が残っている方々が多いことを知る
このnoteを書き始め、くも膜下出血後、後遺症が残っている方々の事を知る。辛い状況の中、自分が能天気なことは書けないと更新がストップしてしまった。
ただ、最初のコンセプト通り、「自分が体験したことで、ネットをくまなく探しても出なかった情報を書く」ということだけに集中しよう!と思い直した。
ご家族を亡くされた方、今も後遺症が残っている方、どうぞ、どうぞ頑張ってください。
きっと、脳が動かなくてもどかしい人もいる。理解できていても、言葉が出せなくてもどかしい人もいる。指令を出しても身体が動かない人もいるんだと、その感覚のほんの、ほんの少しを体感した者として、書いてみました。
ご家族がくも膜下出血となり軽症だったら
すぐにノートとペンを渡してあげてください
◎日記をつける:記憶が途切れるので
◎お絵描きをする:手のリハビリ
※ICUにはスマホ持ち込めなかったので興味がある雑誌を差し入れしてあげてください
◎文字を読み理解する力の維持音読するといいよ!とおすすめしてください
◎呂律が回らなくなるのを防ぐ
引き続き、自分なりに書いていこうと思います。
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