誕生日の日に。
母が61歳の誕生日を迎えたある日。
母のことを思う日は今まであまりなかったように思う。
なぜなら母のことを鬱陶しいと思っていたからだ。
私が
「これから出掛けるから」といえば、
「すぐに帰ってくるのか」と聞き、
「引っ越しする」といえば、
「駅から近いのか、夜は人通りあるのか、明るいのか」
いつも◯◯すると報告すれば色々聞いてくる。
それが今の表現でいうと、正直ウザかった。
いい大人なのに、過保護みたい。
私は私の人生なんだから正直「ほっといて」って。
友達との関係や仕事が上手くいかなくて、母にいつも八つ当たり。
母の行動を見るとイライラしていた。
怒鳴ったり「お前」とか言って暴言ばかり吐いて困らせていた。
話し方が自分とそっくり。
言葉で表現でするのが苦手な分、母には怒りという形で表現していた。
母から「友達いるの?」と言われたこともある。
気心知れてたからなんだよ。
だからズバッと言わず、遠回しで別の言い方でアドバイスしてくる。
高校を選ぶときも、私が「ここの進学校行きたい」と言った。
でも母は
「◯◯高校(進学校)で成績が下になるよりも◯◯高校(総合学科)で上の成績を取った方がいいと思うけど。」
って。
本当は迎えが大変だから自分の職場と近い高校に進めようとしたくせに。
就職場所を選ぶとき、
千葉の医療最先端の病院と岩手の病院にするか悩んでいたときも
「岩手でも最先端の医療は学べる」と言い、
岩手の病院を進めてきた。
私を地元から離れて欲しくなかったんでしょ。
県外に出れば奨学金0円になるのに、
わざわざ奨学金を借りてまで地元に置こうとしたのだ。
言葉のマジックにかかってしまったんだと思った。
母の気持ちが手に取るように分かる。
そんな母の心配性なところが凄く嫌だったし、
そんな風に思ってしまう自分も嫌いだった。
だけど、どんなに辛い時も
私たちには明るく振る舞ってくれた。
父と喧嘩をし、殴られて顔にアザができて帰ってきたときも、
自分から先に「おはよう」と言ってくれた。
経済的に厳しくても、
色々買ってくれたし美味しい料理を作ってくれた。
私達娘二人をピアノやバスケなどの習い事をさせてくれた。
家を出てアパートで二人暮らしを始めてからも仕送りをしてくれた。
そして、介護や看護の道に進む様どんなときも応援してくれた。
ずっと、ずっと、支えてくれていた。
去年はコロナで岩手に帰られず、還暦祝いをしていなかった。
お祝いしなきゃといつかいつかと思っていた。
そして、妹と二人で決めた還暦祝い&誕生日プレゼント。
自宅にキーケースを送った。
私、お母さんの子供に生まれて良かった。
良かった。
本当によかった。
本当にいつもありがとう。
今でもついつい、気心知れているから
感情的になっちゃうんだけど大目に見てね。
美咲
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