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100パーセントの力を出すことと成長の関係

どうもこんばんは,すーです.

今日は,午前で学校が終わったので家に帰って昼ごはんを食べて昼寝したら5時間ほど寝てしまって,この時間に目がビンビンで困っています.どうにかして寝ます

さて,今日は100パーセントの力を出すことと成長の関係性について話していきたいと思います.

僕には悩みがあります.
それは,一つのことに集中してしまうと前のめりになって後先考えずに短期間でやりこんでしまうことです.そして,大抵の場合身体的に疲労を溜め込んでしまい他のことが手につかなくなります.特に高校の部活が顕著でした.

昔は,これが当たり前だと思っていたのですが,高校の部活の引退の時の寄せ書きでほとんどの後輩から,「いつも全力で練習に取り組む姿に元気付けられていました」的なニュアンスのことを書かれていてのを読んで初めて,「あ,これって当たり前じゃないんやな」と気づきました.

そして,大学で一人暮らしを始める時に,親や祖母から「ちゃんと休みや」「無理したらあかんよ」と口うるさく言われたのと,大学ではいろいろなことを経験したいと思っていたので,大学ではあまり一つのことに集中しすぎないようにしよう,ということでいろいろなことに手を出していきました.

しかし,ここで僕は一つ大きな勘違いをしてしまいました.

それは,
広くいろいろなことをやること=一つのことに対して深くやらなくてもいいということ
だと思ってしまったことです.

いろいろなことをやるのは大切だし視野を広く持つ必要はあります.しかし,それらをすべてこなすだけになってしまうと得られるものはとても少なくなってしまう.

そんなことに大学に入って一年経ったあたりからなんとなく感じ始めていたのですが,それよりも責任を持つことが嫌で,自由人でありたいみたいな考えからなんとも無責任な行動を続けてしまっていました.

しかし,大学三年生になり,「物事に自分なりに問題意識を持って,自分の周りのことを自分ごとにして行動している人ってかっこいいな」と思い始めました.

それまでは,自分が出なくてもいいところは「エコ運転で休んでおこう」とか思っていたのですが,いつでも全力で目の前のことに取り組んでいる人がかっこいいなって思って,そういう人に自分もなりたいと思って,どうしたらそういう人になれるのか自分なりに考えました.

そして,どうやったらそういう人になれるのかと考えて出てきた答えが,

目の前のことに対して,自分の中の100パーセントの力を出す

ということでした.

これ,当たり前だと思われるかもしれませんけど,そんなことないんです.(少なくとも僕は)
なんか,「やればできるし」とか,「これこうしたらできそうやな」とか思っちゃってたんですよ,けど,これってどっちもやってはないんですよ.

そんで,実際にはやってないから,それを実際に取り組んでみた時にだけ得られる成果,失敗,感情とかを体験できないんですよ.

しかも,なんとなく精神的にも良くないことが多い.
例)
・誰かがやって,賞賛されているのを見て「俺もやったらできたし」
・実際にやらないとあかんくなった時にやれない

そして,最大の欠点が,成長しないことです.

だって,自分ができないことをできるようになるのが成長するってことやのに,何もしなかったら自分ができないことを自覚できないから.

100パーセントの力を出して,それでもできない時に「じゃあ,それを調べたり,人に聞いたりして学んで,もしくは誰かに助けてもらって解決しよう」
ってことができないから.

これが俗にいう,素直な人は成長するということの理由なのではないかなと思います.

今日は,こんな感じで大学2年間の反省を踏まえつつ,これからの自分への注意書きということで締めさせていただきたいと思います.

具体的な実行手順としては,
1.何かやる時は,「責任を持ってやる」という覚悟を持つ(そこまで重苦しく考えるのは逆にNG!!!楽しくなかったらやめたらOK!むしろ楽しくないのに続けるな!!)
2.それに対して自分ができること,そのレベルを自分のできうる範囲で考える
3.100パーセントでやる
4.無理だったら勉強する,人に聞く

でやってみるといいかなと今のところは考えています.

では,最後に最近言われた今の自分に刺さった,これからも忘れないでいたい言葉を紹介して終わります.

「自分の人生を諦める権利は自分にはない」

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