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本屋と言葉日記



産後1ヶ月と少しが経った。かなり回復したと思ったらしんどくなって…を繰り返してるのでまだ動いちゃダメなんだと思う。なるべく最小限の動きしかしないように心がけている。お店番ものんびりやろうと思っていたのに、入荷した新刊を並べてたら売り場のほぼ全ての陳列を変えていた。

本の陳列ってテトリスみたいだと思った。新しい本を並べたら、その近くに並べる本も、新刊に関連した本に並べ替える。スペースは限られてる中、1番綺麗に見える置き方を考える。こういう時、書店員としての経験が無いのが悔やまれる。なんで急に本屋になんかなったんだ。夫が急に言い出したからだ。それに乗っかってしまった。私はもう少し慎重に物事を考えたほうがいい。


とはいえ本を売るのは楽しい。気づけば我が家には本を売るための本ばかりだ。全然読めてないけど。意味ねぇな。

本の本をほっといて、また小川洋子さんの本を読んでいる。小川さんの文章は読むだけで癒される。忙しない私の頭に心地よく響く、オルゴールみたいだ。


本は良い。一冊一冊に違う世界が詰まっている。本屋さんは世界の集合体。異なる文化を持つ惑星が集まっている宇宙みたいで大好き。

言葉は良い。目の前にうつる世界の輪郭をたどれる。

世界を切り取って自分の心にしまい込めるし、それを人に伝えることもできる。

だけど、言葉にならない世界も好きだ。
全部に言葉にしなくても良いなと、最近気づいた。言葉を話せない赤ちゃんと過ごしたから。人間はちゃんと言葉以外のコミュニケーションを知っている。

言葉は勘違いも生むしね。言葉がうまれたことによって、人間はめんどくさくもなったと思う。言葉のない時代をしらんけど。


今日は幼馴染が遊びにきてくれた。
幼稚園以来の親友。
奇しくもお互い、「伝えたい事はハッキリ言葉にしてほしいよな?!」と思う出来事が重なっていて、盛り上がった。その他も色々話したけど、どれも結構マイノリティな意見だし、どれも結構クズなので、彼女は心底共感し合える貴重なクズ仲間である。

親友でも、意見が違う事はもちろんある。
それは「そうなんや、私はそれ分からん」で終わり。納得できなかったら、ひたすらディスカッションするけど、大体平行線で終わる。どっちも理解は示すけど曲げないから。
だけど、それで良い。お互いにリスペクトはあるし、違うから面白い。


BUMP OF CHICKENは知らないものを知ろうとして望遠鏡をまた担いでいたが、私は本を読む。言葉を知る。喋る。
語り合う、はなんだか合わない。そんな深くしっとりとした雰囲気じゃない。私には「しゃべる」という表現がぴったりだ。

もっと深掘りできる賢い大人になりたかったけど、私の世界の切り取り方はそれだから、いいや。


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