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ボートで見えない世界を感じる

おはようございます。今朝も勢いで書きます。

海の森水上競技場で開催された「東京2020開催記念レガッタ2023」に参加した。

私は大学時代、漕艇部(ボート部)に所属をしていて、そのときに一緒に漕いでいた先輩、同期、後輩と共に出場した。ボートを漕ぐのは5年ぶりくらい。レースは引退後に一度出漕しているが、いつだったかは覚えていないほど。10年以上は前だと思う。

当日は朝から冷たい小雨。出漕するのは平均年齢が50代以上のシニアレース。距離は500m。本格レースとなると2000mなので、それと比べれば短い。また、ボートにはいくつかの競技があるが、我々はボートの花形といわれるエイト。

ボートは見ている分には気持ちよさそうでカッコよく見えるのだが、実際に漕ぐと本当にキツイ。それを分かっているので、私はレースに備えて、エルゴという陸上練習用の器具でトレーニングはしていた。

エルゴトレーニング

しかし、実際に艇に乗り、8人で漕ぐのは違う。まずは、艇が安定しないので思うように漕げない。その分、体力も使う。レース前の練習で息が上がっていることに気づき、不安になる。

レース前、スタートに付くまでの気持ちは何とも言えない。レースはしたいけど、またあの苦しみを味わうのかと思うと憂鬱になる。やりたいけど、やりたくない。何とも言えない感情がでる。その感情を認めながら、レースに向けて気持ちを奮い立たせていく。これは30年前の現役時代も同じだったように思う。

そして、いざスタート地点につく。スタート直前は緊張感に包まれる。これも現役時代に感じたものと同じ。私が乗るのは整調というポジション。艇の舵を扱い声をだしながら漕手の漕ぎを一体化させていくコックスの前で漕ぐ。そのため、私以外のメンバーは私の後ろで漕いでいるため、私からは一緒に戦うメンバーの姿は見えない。私が見えるのは、目の前のコックスとコックスの後ろにひろがる世界。

共に戦う他の艇も左右の横目に見えるかどうかという感じになる。前に出られれば見えなくなり、追いついてくると目に入ってくる。しかし、そのときはまだ何となく気配を感じるくらい。視界に入るのは並んで抜き去ったときだ。

今回は500mの2レース。1レース目はスタートが決まり前に出られたのだが、途中で抜かれて2位でゴール。2レース目はスタートで出遅れたが、途中で1艇を抜いたものの、またも2位でゴール。

ゴール直前では追いつきつつあったので、残念。ただ、私は横を見ることはできないので、前を見ながら両隣にならぶ艇を何となく感じながら必死で漕いでいた。

また、私の後ろで漕ぐメンバーを見ることはできないが、みんなが漕ぐ力は感じられる。みんなの息があったときは背中から「ドン!」と押される。

ボートは水上競技なので広い空間で行われるスポーツ。しかし、レースになると視界が狭くなり見ているのはほぼ一点に集中する。また、苦しくなってくると余裕もなくなってくる。

その分、音や体感は鋭くなるのかもしれない。相手チームの艇の音、自分たちのコックスの声やオールの水しぶきの音、陸上で応援してくれている声が聞こえることもある。

それから一緒に戦うメンバーの漕ぎの力を感じる。一体化できたときは艇速が上がる。それが苦しいながらも気持ちいい。実際には気持ちよく漕げるのは少なく、ほとんどはバタバタとしているのだが。

30年前に一緒に戦っていた仲間と50歳を過ぎてからも、こうしてまたレースに出られるのは喜びでしかない。現役時代はこんな日が来るとは思ってもいなかった。本当に楽しい時間だった。

ボートは生涯できるスポーツと言うが、これからも体力に応じて楽しんでいきたい。仲間と一緒に。

スポーツを楽しんで今日もステキな一日に。


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