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ビジュツノゲンバ「版画でしかできないことをここでやる」梅津庸一と版画工房カワラボ!

 「だから、僕は自分が普段やってる絵画の複製としての版画は作りたくない。版画でしかできないことをここでやる。」

版画でしかできない美術家の仕事。それが今できていると話してくれたのは、新作の版画を前にして立つ梅津庸一氏だった。

窓の外からはグラウンドで遊ぶ子どもたちの声が聞こえる。「ここ」とは、東京都町田市にある版画工房カワラボ![Kawalabo! Kawara Printmaking Laboratory]のことだ。カワラボ!(以下カワラボ)は多くの国内外アーティストや、ギャラリー、出版社と協業し、版画を制作・出版する工房である。


カワラボ外観
1階、銅版画制作や印刷をする部屋

梅津氏はここで1年ほど前から版画制作をおこなっている。一時は2ヶ月ほど泊まり込みで制作に没頭していたこともあった。筆者がカワラボを1度目に訪れた2024年3月31日は、国立国際美術館で開催予定の梅津氏の過去最大規模の個展「クリスタルパレス」[1]を約2ヶ月後に控えていた。「(この時期に)新作を作ってると心配されるんですよね。」「(美術館に展示できる作品数は)とっくにいっぱいで。」と話す梅津氏。それでも制作の手を止めない様子と版画制作にかける思いについて紹介したい。


1年ほど前にYoutubeチャンネル「パープルーム/parplume」(パープルームTV)へ投稿されたカワラボでの制作記録の動画。


 到着するや否や、チーフプリンターの河原正弘氏がカワラボツアーと称して工房内を巡りながら版画が生まれた歴史や版画の種類、版が刷れる原理や技法、使用機材や道具の解説などをしてくれた。気さくな人柄の河原氏だが、プロとしての確かな誇りを持って職務にあたっていることも話の節々から感じられ非常に興味深く、梅津氏が「版画は工房で見るのが一番」と言うのはこういった点であろう。


1階奥の平版自動校正機。リトグラフ作成に使用する。 
1階から降りると銅版を腐蝕させる設備がある。
銅版腐蝕をする部屋から出ると中庭が。奥にアクアチントをする部屋がある。



昼食に同席させてもらった。左から河原氏、サブプリンターの平川幸栄氏、梅津氏。




 取材には2度伺ったが、梅津氏は両日とも休む姿など見せず新作作りに精を出していた。作業は立ちっぱなしで移動は小走り、合間にX(旧:Twitter)への制作実況投稿も欠かさない。銅版へ描画しては、腐蝕液に漬けに行き、その待ち時間にまた別の銅版へ描画するのを繰り返す。


試し刷りしたものを見ながら手を加えていく。


1枚の版に複数の技法が同居している。いわゆる「エッチング」「アクアチント」「ディープエッチング」など技法書に載っているもの以外に独自の名付け得ないつくり方がてんこ盛りだという。


別の版。腐蝕液に漬ける。


腐蝕している間に他の版の描画に。

別の版。マスキングのテープを貼った上からルーターで描画。




別の版。松脂(まつやに)の粉をふるう。あたためて版に定着させる。



走る梅津氏。



別の版。



先ほどの版。「テープのきれいなエッジにダメージを与えていく感じです。」炙られたりシンナーを塗られたりすることでシールが剥がれていくが、それが段階ごとに腐蝕されて異様な表情をつくる。



画像提供:梅津庸一



腐蝕液に漬けていた版を取り出して水で洗う。腐蝕の進行を止めるのに醤油を使う。


水張り



 版画はそのタイプにもよるが主には、原画を描く、版を作る、刷る、といった工程を踏む。(ちなみに梅津氏の場合は原画を描かずいきなり版を作る。)全て自分でおこなう作家もいれば、工房に場所と設備を借りに来て工房と相談しながら共同制作する作家もいるし、工房に原画だけ預けて版の制作から刷りまで委託する作家もいる。共同制作の場合は理想の仕上がりに近付ける為、工房側と腐蝕時間の調整や刷り具合を相談しながら制作をおこなうようだが、梅津氏の場合はその関わり合いが深いだけでなく、以下に紹介する新作では工房の原理を取り入れながら制作をおこなったという。


 銅版画の上に透けるフィルムを敷いて、下の銅版画を見ながら水彩絵具やクレヨン、シンナー、洗剤などを混ぜたもので描画する。フィルムは河原氏によってスキャン、データ化され、色調補正などがなされる。データを新しい紙にインクジェット印刷(ジクレー)したら、最初の銅版を位置を合わせて重ね刷りし、完成へ。




もはや展覧会。



カラーの部分は印刷ですと言われても分からなかった。



これら新作ができた背景には国立国際美術館での個展が控えていることも影響している。予定の展示室の壁面を想像したときに色が欲しかった。だが手彩色(てさいしき、版画の上から絵具などで着色すること)ばかりになると他のセクションのドローイングと一緒になってしまうので、あくまでも版画の方法論で作りたかったという。この新作の手法で作る良さは他にもいくつかある。

 現在、梅津氏は銅版でいえば1日に6点ほど作りその日のうちに3枚ほど試し刷りをするというかなり早いスピードで制作を進めていて、その中で刷りの作業については工房に一任している。圧をどれくらいかけるかとか、汚れも面白いから良いとか言っていると品質も安定しないし、それならその時間作家は描画に集中したほうがお互いのためだと考えた。
さらに、工房で制作するということは安心できる自分だけの空間ではなく「まだですか?」「もういいんじゃないですか?」「定時に帰りたいんですけど」という無言のプレッシャーの中で制作するということで、自分が納得いくまで描くことよりもいかに工房のバイオリズムに合わせながら良い作品をたくさん作れるかと考えるようにもなったという。

「最初はそのへんがあんまりよくわかってなかったから、刷られた銅版画に手彩色を施すことで作家個人の仕事が最後にくるようにしていた。これで自分の作品だって思っていたんですけど最近はそうじゃなくなってきて。」

自身の表現の幅を狭めないまま、工房との協業・共同制作のあり方やその成果を作品に反映させる方法を模索し見つけた道なのだとうかがえた。



 また、フィルムに描くときに使っているオリジナルの顔料は水分と油分が分離するような配合で、絵画に使うには持ちが悪く成立しない。しかしスキャンしデータ化することで恒久的なドローイングに変換できるようになる。梅津氏はこれまでのドローイングでも絵具の微細な粒子による表現を重視してきているが、スキャンデータを拡大すると目には見えなかった粒子――梅津氏自身にも見えていなかった粒子――を確認することができ、それを河原氏が強調させるよう調整をおこなったり、データ化することで見えてくる色があるので出来上がりを想像しながら色調補正を施し、手彩色では出ない色・マチエールを実現させたりしている。他にも、インクが紙ににじんだときちょうどよく戻るよう計算をしてあえてシャープに加工したり、銅版画が勝ち過ぎても負け過ぎてもいけないのでバランスを取れる濃度にしたりなど、河原氏による調整に梅津氏は全幅の信頼を置いているようにみえた。


「うちはうちクオリティじゃないとやりたくない。違いが分からなければどうでもいいことだけど。」とデータを自慢する河原氏。インクジェット印刷でいうデータは版と同じ役割なので普段版を触っている者としては妥協できないと語る。



拡大された粒子たちに「たいへん美しいですね」と梅津氏。



買う側にもメリットがある。それはずばり価格だ。新作もそれなりに手間がかかってはいるが、それでも手彩色を施す作品と比べるとより多くの点数を作り出すことができ、安価に、多くの人に届けられる。1点モノがまとう心理的な重たさも軽減されるだろう。それが版画の良さでもある。

 先述の通り、すでに国立国際美術館での個展に出品する作品は決められていて増やす分は自費運搬で持ち込むしかないという。しかし展示の前に新作を作らないなんてふざけたことはできない、自腹を切ってでも妥協はしたくない、という思いでギリギリまで制作を続けているようだ(梅津氏曰く、カワラボに訪れた担当学芸員の福元崇志氏は「この人たちは止めても無駄なんだ」と諦めているそう)。


「クリスタルパレス」に出品作の額装の仕様についての打ち合わせ。


ふたを開けてみるまでどのような展示になるか分からない。学芸員の顔には嫌な汗が滴っているだろうか。しかしきっと「観客を楽しませたい」「作家と工人の関係を大切にしたい」「もの作りとはなにか、という問いに挑戦し続けたい」といった梅津氏の活動の根源ともいえる衝動が存分に発揮された新しい景色が見られることだろう。



[1]大阪市の国立国際美術館にて特別展 「梅津庸一 クリスタルパレス」が控えている。同館では移転後、最年少での個展開催となる。油彩、ドローイング、映像、陶芸、版画にくわえて、まったく新しい挑戦もあるとのこと。多岐にわたる作品の数々と共に、美術に興味のある人だけでなく初めて美術館に来る人にも圧倒的な満足感をお届けしたいと意気込んでいた。


画像 注記がないものは筆者撮影




梅津庸一 クリスタルパレス

画像提供 国立国際美術館

会場:国立国際美術館 B3階展示室
会期:2024年6月4日(火)–  2024年10月6日(日)
開催時間:10:00 – 17:00、金曜・土曜は20:00まで
※入場は閉館の30分前まで

休館日:
月曜日(ただし、7月15日(月・祝)、8月12日(月・休)、9月16日(月・祝)、9月23日(月・休)は開館し、7月16日(火)、8月13日(火)、9月17日(火)、9月24日(火)は休館)

主催:国立国際美術館
協賛:公益財団法人ダイキン工業現代美術振興財団
助成:令和6年度 文化庁 我が国アートのグローバル展開推進事業
協力:艸居、Kanda & Oliveira、Taka Ishii Gallery、Kawara Printmaking Laboratory, Inc.

https://www.nmao.go.jp/events/event/202400604_umetsuyoichi/




筆者:
Romance_JCT
普段は会社員です。
https://x.com/romance_jct




参考
過去の版画制作の模様




現在、ワタリウム美術館では梅津庸一氏キュレーションによる「梅津庸一|エキシビション メーカー」が開催中。梅津氏も作品を出展しており、カワラボで制作した作品も見ることが出来る。


梅津庸一|エキシビション メーカー
会期:2024年5月12日(日)〜 8月4日(日)
休館日:月曜日(7/15は開館)
開館時間:11:00~19:00
http://www.watarium.co.jp/jp/exhibition/202405/