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井戸博章インタビュー -【連載】家船参加作家 / CLIP.8-

作品「家船」は多数の作家と地元住民、様々な協力者によって共同制作されている。この作品への参加作家が個人では普段どのような活動や制作をしているのか、レビューとレポート3月号「家船特集」を皮切りに、各人へのインタビュー記事を連載形式で掲載する。
今回は井戸博章へインタビューを行った。

井戸1

井戸 博章 (いど ひろあき)
彫刻家、修復師。1983年岐阜県出身
2006年 東京藝術大学 美術学部 彫刻科卒業
2008年 東京藝術大学 大学院美術研究科文化財保存学専攻 保存修復彫刻


(聞き手=KOURYOU)

ー井戸さんのこれまでの作品や活動についてご紹介いただけますか?

井戸:山形の東北芸術工科大学にある、文化財保存修復研究センターの研究員として主に仏像の修復をしながら、作家としても活動しています。
新芸術校一期生のときにカオス*ラウンジで瀬戸内国際芸術祭に参加しました(図1)(図2)(図3)。また、山形に来てから山形ビエンナーレに参加するなど、芸術祭には何度か関わるなかで、芸術祭で展示される作品の管理や行方が気になるようになりました。

井戸2

図1 瀬戸内国際芸術祭2016 「鬼の家」(女木島)2016年
展示作品「天目一箇」他 撮影=井戸博章


井戸3

図2 瀬戸内国際芸術祭2016 「鬼の家」(女木島)2016年
展示作品「鬼鬼」他 撮影=井戸博章

井戸4

図3 瀬戸内国際芸術祭2016 「鬼の家」(女木島)2016年
展示作品「鬼鬼」他 撮影=井戸博章



ー瀬戸芸2016に出品された作品についてご紹介いただけますか?鬼の頭部から後光が差していたり、氷柱のような仏の頭部が鬼の角のようにも見えます。

井戸:瀬戸芸2016のときは、黒瀬さんと色々打ち合わせをして、コミッションワークのような形で決めていきました。洞窟が石切場だったことから想起して、採掘に必要な鉄に注目しました。鉄は鬼の起源(鑪に祀る天目一箇神と鬼等)と関係していて、鬼:差別と暴力についてをテーマにしました。現代の私達にとって、鬼とは何か?形骸化して、もはや畏れの対象にならなくなってはいないだろうか。鬼(災害等の危険)にどこかで見られていることを忘れてはいけない、というコンセプトで製作しました。


ー初めてお会いした時は仏師という印象が強かったのですが、現在は修復家としての活動を中心になさっていますよね。

井戸:以前から現代アートに於ける保存修復の方法や倫理について研究をしていて、KOURYOUさんとは作品のケースや素材についてお話を交わしていました。


ー井戸さんに保存修復のお話を伺う機会があって、とても面白かったです。「家船」は時間を含んだプランだったので、是非井戸さんに参加してほしいと思いました。

井戸:今回KOURYOUさんに声を掛けてもらったときには、修復士としての経験を活かした関わりを想定していました。インスタレーションの保存や、コレクティブで行われる表現の管理について今後も関わりたいと思っています。


ー瀬戸芸2016で井戸さんの作品が一部壊れてしまったという話を聞いたのですが(図4)(図5)、井戸さんのその後の活動に何か影響を与えましたか?

井戸:その後、ヴァンダリズム(1)に興味が出て、過去の例を調査しました。様々なケースを知っていくことで、作品防衛についてより考えるようになりました。自由に表現するということを守りつつ、作者自身が防衛に取り組む姿勢も必要だと思います。

井戸図4

図4 瀬戸内国際芸術祭2016 「鬼の家」(女木島)2016年
展示作品「女木鬼立像」他 撮影=井戸博章

井戸図5

図5 展示開始して数日で倒れた状況。倒されたのか、倒れたのか、目撃者が居ないため不明だが、故意に付けられた足跡が多数あった。 撮影=井戸博章


ー山形ビエンナーレでは井戸さんの修復作業が公開されていましたが、実際に修復されている時はどのような感覚なのでしょうか?

井戸:修復をしている時は、主観的にならないように常に心がけています。もっとこうだったら良いのにとか思っても形を変えてしまってはいけません。
修復は制作と比べてかなり不自由な条件の中で、最善の解を探り続けるので、制作に入った時に自由過ぎて戸惑う感覚になることもあります。


ーすごく面白い感覚ですね!一度やってみたいなぁ。また、仏像の保存修復というと像単体のメンテナンスを思い浮かべますが、神社・仏閣などは建造物の場所や構造、仏像の配置などにも重要な意味がありますよね。

井戸:そうですね。あらゆる要素が集合して本来の荘厳さや神聖さが表れます。ただ、修復は専門がそれぞれ分かれているので、総てに手を入れようとすると人手が増え、予算面や期間が増大するので、特に損傷が酷い像のみの修復になる事が多いように思います。


ー像の修復が優先される感覚は面白いですね。感情移入が強いからでしょうか。場所や配置の問題まで広げて考えると、先ほど関わっていきたいと仰っていたインスタレーションの保存と似ている所があるのかなと思いました。

井戸:インスタレーションも素材や技法、コンセプトの多様化から、一人の修復師のみでは賄いきれません。古典美術と同様に、専門家を多く確保しなければ対応が難しくなると思います。ただ、予算面に配慮して考えていかなければ、仏像等と同じように、修復したくてもできないという事態になることが予想されます。

ー芸術祭での作品管理や行方が気になると仰っていましたが、現状の管理について井戸さんはどういった意見をお持ちですか?

井戸:芸術祭の開催中に、作品を破壊されてしまう事件が起きています。野外やオルタナティブスペース等、セキュリティや展示環境(湿度、温度)が安定していない所での展示や、土地の歴史に深く関連し、一時的にしか設置できない条件の作品など、作品の安全や保存という面では不安があると言えます。
管理側から見ればネガティブでも、鑑賞においては不安定な条件のほうがポジティブに働くことも大いにあるのを考えると、保存に配慮してつまらなくなることは避けるほうが良い。
だからといって、放置するのは不健全です。例えば、アーティストの方で芸術祭の作品も売買の対象として想定する場合にも対応できるよう、保存修復の専門家が介入する前提で芸術祭を運営することで、アーティストの様々なケースとバランスをとっていくことが必要だと考えています。


ー瀬戸芸2019の「家船」では伊藤允彦さんが「破損等許容範囲管理表」(図6)を作成されました。作家全員が細かく作品の破損許容の範囲を記入した表なのですが、これがとても役に立ち、保存修復の観点が入ると、別のパラメータが加わってとても面白いんだなと実感しました。

井戸図6

図6 「家船作品_破損等許容範囲管理表」の一部。展示期間の作品破損をどの程度許容するか、各作家が記入したもの。この結果、展示中の偶然による破損と演出による破損が混在する事になる。


井戸:KOURYOUさんの作品は複数の素材で構成され、構造的にも繊細な造りになっています。故に保存修復も困難になりますが、困難さもまた作品の魅力になります。そういった現代アートの、取り扱いが難しい面や保存修復について、盛んに議論されているのが現状です。具体的な方法としては作品本体だけでなく、インタビューや詳細な資料、写真の保存が実践されています。
今回の記事ではKOURYOUさんに、以下の問いからその実践をしたいと思います。
①作品の管理について、守るべきルールを教えてください。
②作品が損傷した場合はどういう処置を希望しますか。
上記の質問は、特に重要かと思うことを抜粋しての質問です。


ー①については、作家と話が出来る状態なら、作家の意向を聞き管理方法を話し合うべきだと思います。作家は意向を示さないのもクレーマーになるのも良くないと思っていて、どちらかの態度になってしまうと結局管理の都合を優先するしか落とし所がない結果になってしまうと思います。②についても、作家にまず連絡がほしいです。「家船」の場合は破損を許容することでアイデアが生まれる作品もありました。

ですがこの答えは理想で、現実には管理者が仕事を抱えすぎて対応できないケースがあるのも分かりますし、作家の意向も変化していきます。完璧な人格者だけで全てが成り立っている訳でもないですしね。この問題を真剣に考えたら、死後の事まで考慮した構造を作品に組み込む事しか作家には出来ないのかな、と思ったりします。

自分一人の作品に限っての話だと、作る事が一番重要なので後はどうでもいいやってなりがちな方なんですが、時間が経って見返した時に思いがけない発見をくれる事もあるので、やっぱり残すのは大事だなと思います。面倒くさいんですけどね(笑)

井戸:ご返答ありがとうございます。仰られたように、理想と現実にはズレが発生するのが、現代アートの保存修復の難しさだと思います。ズレを判断する為にも、一次資料は重要なので、ラインのやりとりや、メモ等も残していくことが重要です。確かに、面倒というのが問題なんですが…。


ーまさにこの場が一次資料になっていますね。実践有難うございます!
修復はとても面白い問題をたくさん孕んでいると思うのですが、修復家として活動されるようになって、どのような事を考えるようになりましたか?

井戸:美術館に収蔵される場合や、個人コレクションの場合など、作品に於ける権利はどうなっていくのか。その時に作者の意向はどうなるのか。修復することで、オリジナリティは失われるのか。修復したら価値に影響があるのか。等々、現代アートには保留中の問題が存在します。


ーそうですね。私は現代アート以外から問題のヒントをもらえる気がしていて、井戸さんの活動にとても興味があります。ご自身の作品についてはどうお考えですか?今までの話に矛盾するかもしれませんが、「家船」の時間表現に関わってほしいとお話しした時に「新しい仏像、立体造形を目指した狛犬を作りたい」と仰ってくれて、仏師の井戸さんだ!と、なんだかとても嬉しかったのを覚えています。「井戸さんこんな造形も作るんだ」という狛犬の感想をよく耳にしました(図7)。

井戸図9

図7 屋外入口の狛犬の一対。宇賀神やスフィンクス、テーマパークキャラクターをイメージして造形された。 撮影=KOURYOU

井戸:これは、自分の制作においての課題でもあるんですが、良くも悪くも合わせてしまうところがあります。「家船」の作品も、ポジションを意識して、自分の意識を全体に調和させて作りました。結果的に井戸のイメージからは異なる造形になったと思います。しかし、作家として想定以上の結果を出していけたかというと、物足りなかったと反省しています。


ー「家船」は今後も続くので、狛犬がどんどんパワーアップしていくのも面白いかもしれないですね。是非また参加していただけると嬉しいです。
最後に、井戸さんは「残す」という事についてどういう考えをお持ちですか?

井戸:残し、続けること。現代はそれがとても困難になっているように感じます。大量生産大量消費アートとなった状態で、現代アートに既存の保存修復は不必要となるかもしれない。残すことは枠組みを作り、固定するように振る舞います。しかし、未来に残すべきアートは枠の外側にあると思います。手を触れられない、まだ見えないものをどう保存するというのだろう。その答えとして、僕は作家をしているのだと思います。

(1)ヴァンダリズム
故意に他人の所有物を破壊や損傷、または落書きする行為のこと。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%83%B3%E3%83%80%E3%83%AA%E3%82%BA%E3%83%A0

「レビューとレポート」 第14号 2020年7月