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地球がまわる音を聴く:パンデミック以降のウェルビーイング --森美術館

2020年以降、目に見えないウイルスによって日常が奪われ、私たちの生活や心境は大きく変化しました。こうした状況下、現代アートを含むさまざまな芸術表現が、かつてない切実さで心に響きます。本展では、パンデミック以降の新しい時代をいかに生きるのか、心身ともに健康である「ウェルビーイング」とは何か、を現代アートに込められた多様な視点を通して考えます。自然と人間、個人と社会、家族、繰り返される日常、精神世界、生と死など、生や実存に結びつく主題の作品が「よく生きる」ことへの考察を促します。
また、本展では、美術館ならではのリアルな空間での体験を重視し、インスタレーション、彫刻、映像、写真、絵画など、国内外のアーティスト16名による約140点の作品を紹介します。五感を研ぎ澄ませ、作品の素材やスケールを体感しながらアートと向き合うことは、他者や社会から与えられるのではない、自分自身にとってのウェルビーイング、すなわち「よく生きる」ことについて考えるきっかけになることでしょう。 本展のタイトル「地球がまわる音を聴く」は、オノ・ヨーコのインストラクション・アート(*1)から引用しています。意識を壮大な宇宙へと誘い、私たちがその営みの一部に過ぎないことを想像させ、新たな思索へと導いてくれるものです。パンデミック以降の世界において、人間の生を本質的に問い直そうとするとき、こうした想像力こそが私たちに未来の可能性を示してくれるのではないでしょうか。

*1 コンセプチュアル・アートの形式のひとつで、作家からのインストラクション(指示)そのもの、あるいはその記述自体を作品としたもの。

プレスリリースより


本日6月29日(水)より、森美術館(六本木ヒルズ森タワー53階)で表題の展覧会『地球がまわる音を聴く:パンデミック以降のウェルビーイング』が開幕する。
「五感を研ぎ澄まし、想像力を働かせて、リアルな空間でアートと出会おう」をキャッチフレーズに、COVID-19パンデミック後のライフスタイルにおける「ウェルビーイング-Well-being」をアートの視点から考察する企画だという。以下、昨日参加したプレスプレビューから、主にプレスリリースの項目分けに沿って展覧会の全体像をざっくりと紹介する。


展示風景 



パンデミック以降をいかに生きるか?


新型コロナウイルス感染症の世界的拡大により、世界中の活動が急に停止した時、人間には何ができたのでしょうか? アートには何ができたのでしょうか? パンデミック以降をいかに生きるべきなのでしょうか?
オノ・ヨーコのインストラクション(指示書)を集めた「グレープフルーツ」には、本展のタイトルにもなっている「地球がまわる音を聴く」など、想像するだけで世界が広がる言葉があふれています。また、ギド・ファン・デア・ウェルヴェが行った自宅の回りを何千周も走り続け100キロを走破するというパフォーマンスは、日々の行為の積み重ね自体が壮大な営為になり得ることを表しています。ヴォルフガング・ライプは、花粉や蜜蝋、牛乳などの身近なものを用いて、生命のエッセンスを最もシンプルかつ美しく提示してきました。エレン・アルトフェストの森の中で描き続けた木の絵は、自然やそこに含まれる幾多の生命の本質を明示します。
「パンデミック以降をいかに生きるか?」を考えるために、これらの作品の想像力を借りて、この複雑で広大な世界を省みること、本質を見つめ直すことから始めてみるのはいかがでしょうか。

プレスリリース:作品について


展示風景  ギド・ファン・デア・ウェルヴェ
展示風景  ギド・ファン・デア・ウェルヴェ
展示風景  エレン・アルトフェスト
展示風景  エレン・アルトフェスト
展示風景  ヴォルフガング・ライプ
展示風景  ヴォルフガング・ライプ


ポスト(というか、ウィズ?)パンデミックの生を考えるという点に着目し、行動の制限を受けない言葉と想像力の飛躍(オノ)、日常的な行為の反復をさまざまに巨大なスケールへと結び付ける(ウェルヴェ)、あるいはウイルスに影響されない自然へ孤独に向き合った作品(アルトフェスト、ライプ)をフォーカスしている。印象的だったのは、「マスク警察」等の言葉で社会へ強烈なコンフリクトを引き起こしている「マスク」を、ライプの蜜蝋で作った空間で外した瞬間。あまりにも明白なその嗅覚的な違いに、改めて「新しい日常」なる奇妙な言葉と、それに未だ縛られている「生」を意識した。



私たちの心はどのように社会を捉え、どのような風景を描いたのか?

パンデミックは、世界中に健康危機をもたらしただけでなく、私たちの生きる社会に横たわるさまざまな問題、分断や衝突を可視化し、国や人種、宗教といった大きな枠組みから、地域や家庭といったより身近な環境、生き方をも直視させました。そうした状況のなかで私たちの心は、どのような風景を描いていたのでしょうか?
ドメスティック・バイオレンス(DV)をテーマにした飯山由貴の新作は、被害者と加害者の双方からのインタビューを中心としたインスタレーション作品で、鑑賞する私たちひとりひとりに、自分自身の日常を異なる視点から見つめることを促します。小泉明郎の新作映像は、催眠術を用いて言語に頼った人間の認識の脆弱性を明らかにしながらも、心の回復の可能性を考察するものです。またゾーイ・レナードの作品も、日常的な行為が救済につながる可能性や、連帯するコミュニティの力強さを示します。
さまざまな状況下で社会や自分自身と向き合うアーティストたちの作品は、私たちの生活や身の回りの環境を、異なる視点から観察し、再考することの重要性を示しています。

プレスリリースより


展示風景  小泉明郎
展示風景  小泉明郎


ウイルスによるパンデミックは感染というリスク、それに伴う制約だけでなく、文化や人種、宗教といった我々の社会における「既にあった困難」をよりミクロのレベルからも露わにし、大きな心理的影響と危機をもたらした。この区分で選ばれたアーティストたちの作品も極めてセンシティブだ。DV を扱う飯山の作品は撮影が禁じられ、小泉明郎の催眠術を用いた新作インスタレーションは被検験者との関係において倫理的な疑問を抱かせる可能性もある。プレスリリースの調子とはかけ離れているように思う。



生きることそのものが芸術になるのか?


堀尾貞治は、表現することは生きる上でまるで空気のように存在する「あたりまえのこと」であるとし、さまざまなメディアを用いて全身全霊で作品制作に取り組みました。その数は10万点を超えます。妻である堀尾昭子も同じ場所で生活し、全く性格の異なる作品を制作し続け、二人の生活はそのまま芸術表現に繋がっていました。ロベール・クートラスは、画壇をはなれ、困窮の中で自身が信じる作品世界を追求し続けました。金崎将司は高度な集中力を持続し、雑誌や広告の断片を重ね、抽象的な立体を制作し続けます。
あらゆるものの定義や前提が揺るがされた今、「生きることとはなにか」という問いに、もう一度、向き合う必要があるのではないでしょうか。表現する衝動やエネルギーが作品からあふれ出し、生きることの根源的な意味と直結するこれらの作品は、まさにひとつの回答を提示しているといえるでしょう。

プレスリリースより


展示風景  堀尾貞治
展示風景  堀尾昭子
展示風景  ロバート・クートラス
展示風景  ロバート・クートラス
展示風景  金崎将司


アートから考えるウェルビーイングーー「よく生きる」という本展覧会のコンセプトが、ある意味もっともポジティブな形で示されている区分。「具体美術協会」に参加したのち、業としての賃労働や家事をこなしつつ、その生活と結びついたライフワークとして膨大な数の作品を遺した堀尾夫妻、世俗的評価の無縁さに苦しみつつも、同じようにライフワークとして膨大な数の作品を遺したクートラス、エイブル・アートの文脈から日々驚異的な集中力で反復的制作を続ける金崎将司。いずれも上記の点から観る者へ大きな気づきと勇気を与えてくれるだろう。特に天井まで続く巨大な堀尾貞治の、壁一面に並べられた生の痕跡(「色塗り」シリーズ)は本企画のハイライトの一つである。



自分と宇宙、今日の一瞬と永遠はどう繋がっているのか?

有史以来、人類は自然災害や争い、そして病など、さまざまな困難に絶えず直面してきました。日々を生きることが脅かされるとき、私たちはどのようにそれを乗り越えてきたのでしょうか。過去や自然から学び、壮大な時間と空間の流れのなかに自分自身を位置づけてみることは、そのひとつの方法かもしれません。
東北をテーマとした内藤正敏の写真作品と青野文昭のインスタレーションはどちらも、遥か過去と現在を繋ぎ、自然や宇宙、神々や霊的な存在への畏怖の念とともに歩んだ人類の歴史を感じさせます。また、新聞という日常的な素材を用いた金沢寿美の作品は、紙面に掲載される大小さまざまな出来事の連なりが、やがては宇宙をも思わせる大きな時間の流れとなることを、大型のインスタレーションで表現しています。展覧会の最後を飾るモンティエン・ブンマーのインスタレーション作品は、鑑賞する人に呼吸を整え瞑想する空間を与え、ツァイ・チャウエイ(蔡佳)の作品は、鏡に映り込むわたしたち自身の存在もまた、曼荼羅の表す壮大な宇宙の一部であることを示しているようです。

プレスリリースより


展示風景  青野文昭
展示風景  青野文昭
展示風景  内藤正敏
展示風景  金沢寿美
展示風景  金沢寿美
展示風景  モンティエン・ブンマー
展示風景  ツァイ・チャウエイ(蔡佳葳)
展示風景  ツァイ・チャウエイ(蔡佳葳)


最後の区分で選ばれた作品は、空間や時間軸を日常から拡大し、歴史や宇宙、精神世界のレベルで社会と個人の生を再考させるアートとして定義づけられている。その基準においてはパンデミックすら限定的な、一瞬の出来事だとも言いうるのであり、例えば一つの文明が滅んでも人類が消滅するわけではない。日々配られる新聞紙を熟読し、自分が関心を持つ社会の部分(例えばバイデン大統領)以外を黒々と塗りつぶした上で巨大なカーテンとしてそれをつなげてゆく金沢寿美「新聞紙のドローイング」は、日刊紙という素材を連続させることで強くそれらを意識させるスケールを見せつけており、圧倒させられる。


ミュージアムショップ

森美術館ミュージアムショップ
森美術館ミュージアムショップ
森美術館ミュージアムショップ


本企画にあわせて、ミュージアムショップの書架ではパンデミック後の生き方を考察した思想書、ブックガイド、ウェルビーイングを知るための入門書などがセレクトされている。もはやすっかりお馴染みとなったSDGsと関連したオーガニック・アイテムも並べられているので、展覧会で「よく分からない」「なんかモヤモヤした」のであれば、思考を深めるためにそれらを一読&実践(ウェルビーイング!)するのも良いだろう。


森美術館ミュージアムショップ

本企画とは関係なく、ミュージアムショップには「レビューとレポート」主宰とも縁の深い中ザワヒデキ往年の名著がいまも並べられている。お持ちでない方は品切れ前にゲットしよう!

レポート執筆・撮影:東間 嶺




展示情報

会期:2022.6.29(水)~ 11.6(日) 会期中無休
開館時間:10:00~22:00(最終入館 21:30) ※火曜日のみ17:00まで(最終入館 16:30)
会場:森美術館(六本木ヒルズ森タワー53階)

料金:
平日:一般 1,800円(1,600円)、学生(高校・大学生)1,200円(1,100円)、子供(4歳~中学生)600円(500円)、シニア(65歳以上)1,500円(1,300円)
土・日・休日:一般 2,000円(1,800円)、学生(高校・大学生)1,300円(1,200円)、子供(4歳~中学生)700円(600円)、シニア(65歳以上)1,700円(1,500円)
※本展は、事前予約制(日時指定券)を導入しています。専用オンラインサイトから「日時指定券」をご購入ください。
※専用オンラインサイトはこちら
※当日、日時指定枠に空きがある場合は、事前予約なしでご入館いただけます。
※表示料金は消費税込

WEB:
https://www.mori.art.museum/jp/exhibitions/earth/index.html


関連プログラム

シンポジウム「現代アートとウェルビーイング」1日目
日時:2022年7月1日(金)18:00~20:00(開場:17:30)
出演:小野正嗣(小説家、早稲田大学教授)、北中淳子(慶應義塾大学教授)、佐々木閑(花園大学特任教授)、吉川左紀子(京都芸術大学学長、京都大学名誉教授)
モデレーター:片岡真実(森美術館館長)

シンポジウム「現代アートとウェルビーイング」2日目
日時2022年7月2日(土)14:00~18:00(開場:13:30)
●14:00~15:20 トークセッション1「アートにみる瞑想について」
出演:
エレン・アルトフェスト(本展出展アーティスト)、大澤玄果(厭離庵住職)、マーティン・ゲルマン(森美術館アジャンクト・キュレーター)
モデレーター:德山拓一(森美術館アソシエイト・キュレーター)

●15:30~16:50 トークセッション2「社会に生きるわたしたちへ」
出演:
飯山由貴(本展出展アーティスト)、堀内奈穂子(特定非営利活動法人アーツイニシアティヴトウキョウ[AIT/エイト]キュレーター、dearMeディレクター)
モデレーター:熊倉晴子(森美術館アシスタント・キュレーター)

●17:00~18:00 トークセッション3「花粉から宇宙まで」
出演:
ヴォルフガング・ライプ(本展出展アーティスト)
聞き手:片岡真実(森美術館館長)

https://www.mori.art.museum/jp/learning/5724/




同時開催

MAMコレクション015:
仙境へようこそ―やなぎみわ、小谷元彦、ユ・スンホ、名和晃平
主催:森美術館、企画:椿 玲子(森美術館キュレーター)
https://www.mori.art.museum/jp/exhibitions/mamcollection015/index.html

MAMスクリーン016:
ツァオ・フェイ(曹斐)
主催:森美術館、企画:椿 玲子(森美術館キュレーター)
https://www.mori.art.museum/jp/exhibitions/mamscreen016/index.html

MAMリサーチ009:
正義をもとめて―アジア系アメリカ人の芸術運動
主催:森美術館、企画:アレクサンドラ・チャン(ラトガーズ・ニュージャージー州立大学美術史部門准教授)、矢作 学(森美術館アシスタント・キュレーター)
https://www.mori.art.museum/jp/exhibitions/mamresearch009/index.html




東間 嶺 
美術家、非正規労働者、施設管理者。
1982年東京生まれ。多摩美術大学大学院在学中に小説を書き始めたが、2011年の震災を機に、イメージと言葉の融合的表現を思考/志向しはじめ、以降シャシン(Photo)とヒヒョー(Critic)とショーセツ(Novel)のmelting pot的な表現を探求/制作している。2012年4月、WEB批評空間『エン-ソフ/En-Soph』を立ち上げ、以後、編集管理人。2021年3月、町田の外れにアーティスト・ラン・スペース『ナミイタ-Nami Ita』をオープンし、ディレクター/管理人。2021年9月、「引込線│Hikikomisen Platform」立ち上げメンバー。

近年の主な展示、ブックフェア、寄稿、企画、撮影
2022 企画:藤巻瞬『不完全な修復』、前田梨那『去来するイメージ/往還する痕跡』ナミイタ(東京)
2022 寄稿:「わたしのわたしのわたしの、あなた」Witchenkare vol.12
2021 撮影:「人工知能美学芸術展 美意識のハードプロブレム」アンフォルメル中川村美術館他(長野)
2021 企画:大村益三「"RESTORATION" 1983-2021」、山本麻世「イエティのまつ毛」ナミイタ(東京)
2020 《引込線/放射線:Satellite Final, or…》higure1715cas(東京)
2019 〈引込線/放射線〉第19北斗ビル、旧市立所沢幼稚園(所沢)
2018 吉川陽一郎+東間嶺+藤村克裕『路地ト人/路地二人々』路地と人(東京)
2018  吉川陽一郎×東間嶺『WALK on The Edge of Sense』」Art Center Ongoing(東京)
2017  「コウイとバショのキオク---吉川陽一郎」路地と人(東京)


レビューとレポート