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小さな独立国家に風は吹くか――梅津庸一キュレーション展「フル・フロンタル 裸のサーキュレイター」レポート 中島水緒

去る6月10日から29日にかけて、梅津庸一によるキュレーション展「フル・フロンタル 裸のサーキュレイター」が日本橋三越本店のMITSUKOSHI CONTEMPORARY GALLERYで開催された。近年、梅津は自身が主宰する私塾パープルーム予備校でさまざまな企画を精力的に展開している。相模原のパープルームギャラリーで連続して行われた「常設展」「常設展II」、相模原市民ギャラリーを拠点に活動するシニア世代の画家たちを紹介する企画展、さらには近隣の「みどり寿司」とのコラボレーションまで。YouTubeで配信される「パープルームTV」は2020年7月現在で放送70回以上を数え、その勢いはとどまるところを知らない。

今回の三越での展覧会は、パープルームではなく梅津庸一としてキュレーションを行う個人名義の企画展だ。しかも場所は一世紀以上の歴史を誇る老舗百貨店である。MITSUKOSHI CONTEMPORARY GALLERYは今年新設されたばかりのスペースで、運営のための専任スタッフも擁する。着々と活動領域を広げてきた梅津がこの場所でどのような企画を仕掛けるのか、否が応にも期待は高まる。

百貨店併設のギャラリーと聞いて、人はどのようなイメージを抱くだろうか。敷居の高いサロン的空間?だがそれは百貨店ギャラリーの一面的な姿に過ぎない。2000年代以降、コンテンポラリーを扱う百貨店ギャラリーは格段に増えてきているし、企画の内容も多岐に渡ってきている印象である。
そもそも百貨店における美術展の歴史は長きにわたる。1904年、日本初の大型百貨店として誕生した三越は、「尾形光琳遺品展」を皮切りに数々の文化的催しを開催してきた。三越に続き、高島屋、伊勢丹といった名だたる百貨店が美術展のためのスペースを相次いで開設する。志賀健二郎の研究によれば、「百貨店は民衆の娯楽の場として、また文化的な催し物を行う場として都市生活者に親しまれ利用されるところとなっていった」のである(註1)。
日本における展覧会史を振り返るならば、決して等閑視することができないのが百貨店における催事場・展示場であると言えるだろう。また、百貨店の展示スペースには、コアな美術愛好者ばかりでなく、買い物目当ての客がふらりと訪れることもある。ある側面では、百貨店こそ美術の受容層を拡張する可能性に満ちた場と考えらえるはずだ。

話が脇道に逸れたので元に戻そう。「フル・フロンタル」の成否の要点のひとつは、異なるクラスタの観客が訪れる百貨店ギャラリーという場において、いかなる批評的な企画展を組み立てられたかにある。歴史性と文脈性が絡み合う百貨店ギャラリーという「場」に対し、梅津はどのように応答したか。本稿では6月28日に筆者が梅津に取材した際に聞いた 話を交えつつ、動線に沿って展覧会の内容をレポートしてみたい。

まず驚くのは、世代・活動領域・様式・媒材の垣根を越えて集められた出品作家の異種混淆ぶりだろう。物故作家、存命作家、一般には名が知られていない日曜画家、美術史に名を残すオールドマスター、現代美術家、パープルーム予備校生、そして梅津本人。総勢39名の出品作家による展示物のうちには、オールドマスターの知られざる一面を覗かせる秘蔵の作品もさりげなく展示されている。

梅津によれば、これらの作品はセカンダリーを扱うギャラリーや作家の遺族に粘り強く交渉して集められたそうだ。展覧会の準備期間にはじつに約一年を要した。梅津は展覧会に寄せたステートメント「小さな独立国家の構想画」のなかで次のように書く。

「本展はいわゆる「現代アート」の展覧会ではない。日本における「造形」の変遷や「ありよう」を主軸としながら、「美術なるもの」にまつわる魔術性や禍々しさについて言及するものである」
「現代の作家、日曜画家、物故作家、セカンダリーと呼ばれる美術の市場を循環する作品たちが星座のようにゆるやかに結びつく。実際の空間、そして批評空間でも並置されることのなかった作品たちがクラスタや政治的区分を越えて集う、空想上の美術館のような展覧会」(註2)。

梅津はかねてより閉鎖的な「現代美術」業界に手厳しい批判を差し向けてきた。梅津の常日頃からの主義主張を知っている人であれば、本展の出品作家の異種混淆ぶりを「現代美術クラスタ」への単なる反動と感じて訝しく思うかもしれない。だが、実際に展覧会場を見てまわるならば、その疑念は払拭されるだろう。個々の作品を丹念に観察すると、作品間の意外な共通性、隠れた影響関係、造形上の相似点などが確かに看取できるのだ。これは、周到に組み立てられた会場構成が成せる技と言えるだろう。


では、展覧会の5つのパートを順繰りに見ていこう。

まず、パート1「瘴気とフィルター」。
黒田清輝《智・感・情》をモチーフとした梅津作品《フル・フロンタル》(2018年〜)の5連画大作(fig.1)を筆頭に、相模原市民ギャラリーで活動する宮崎洋子、新関創之介、馬越陽子、内田一子ら、「洋画」の大家ではあるが現代美術クラスタからは忌避されがちな島田章三の絵画などが並ぶ。無名・有名の序列は問題ではない。ここで問われるのは、絵画の物理的な組成を再検証する視点であり、解説パネルにおいて木枠に麻布を張ったキャンバスは「目詰まりをした網戸」とユニークにたとえられる。梅津はこれまでも作品と作品が無意識レベルで干渉し影響を受け合う様子を「受粉」のモデルで説明してきたが、「目詰まり」を起こした絵画を通気させ、風通しの良いプラットフォームを立ち上げる姿勢がこの最初のセクションで示されていると言えるだろう。

鑑賞者は作品に付随する周縁情報(パレルゴン)――その作家はどのような文脈で語られてきたか、市場でどれだけの価値をもつか、美術史的な体系に組み込める作品を生産しているのか――ではなく、厚塗りのマチエールが即物的にあらわにするものに向き合うことになる。キュレーションの狙いについて、「インサイダー/アウトサイダーの区別を取り払い、なるべくすべての作品をフラットに見せたかった」と梅津は語っていた。本展の最初の壁面が梅津によるドローイングを極度に拡大してプリントした壁紙 で始まるのは、それが「造形の最小単位を即物的に見せていくためのイントロ」を担っているからである。

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(fig.1 梅津庸一《フル・フロンタル》2018年〜)


つづいてパート2「視線のエネルギー。見る・見られる。」。
ここでは織田廣喜、瑛九、難波田龍起、播磨みどりらの作品が展示される(fig.2)。「見る/見られる」という視線の双方向的な力学は、絵画をめぐる言説で繰り返し扱われてきた王道的なテーマだが、このようなテーマをあえて掲げるということは、本展がいかに鑑賞者の「眼」を問うた構成であるかを物語っているだろう。このセクションでは兼田なかによる《運河沿いの倉庫》(2019)が目を引いた。青空が単色であっさり描かれているのに対し、透き通った川面の描写に異様な集中力が注がれている。技巧こそないが、「描きたいもの」への視線の凝集が、絵画制作に賭ける初期衝動をみずみずしく伝えていた。


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(fig.2 「視線のエネルギー。見る・見られる。」展示風景)


パート3「ダークファンタジー」。
日本と西洋の古典技法を折衷させた有元利夫の《雲の手品》(1979)のすぐ上に、坂本繁二郎のゆるりとした筆致による《水墨初冬》(年代不明)が掛けられている(fig.3)。「ダークファンタジー」の文脈に置かれると、坂本のお馴染みの馬というモチーフがペガサスにも見える。桑原正彦の脱力系絵画が薄暗く退廃的な気配を忍ばせる他方で、合田佐和子の絢爛な油彩画が刹那的な美を醸し出す。解説パネルでは杉戸洋の1990年代の絵画作品と有元作品の思わぬ共通点が指摘されているが、様式の交配を積極的に促すジャンルこそが「ダークファンタジー」であると言えるのかもしれない。日本における幻想絵画の系譜は、ストイシズムに裏打ちされたモダニズム美術が抑圧してきた、しかし見過ごすことのできない歴史のひとつと言えるだろう。

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(fig.3 「ダークファンタジー」展示風景)

パート4「景色の良い部屋」。
「瘴気とフィルター」が絵画の組成を考察するためのセクションであるとするならば、「景色の良い部屋」は絵画の構造を問うためのセクションである(fig.4)。山田正亮の《Work C》(1966年)は絵画の隠喩としての窓や壁を端的に連想させるし、岡本秀の《幽霊の支度》(2019)は室内画という形式によって絵画の入れ子構造を前景化させている。目玉作品は横山大観の《富嶽》(1954年か)だ。富士山のそばを飛翔する小さな鶴が画面のアクセントとなっているが、巣箱をかたどった山本桂輔の立体作品《鳥とおともだち Friends with Birds》(2016年)が絵の真横に設置されることにより、物理的なフレームを越えて作品間を行き交うイマジネーションが誘発される。大観の手前には梅津による陶作品《密室》(2019-2020年)が据えられているため、2×4工法の建物を模したカラフルな構造体の開口部から大観の富士を覗き見ることもできる。このセクションでは、作品同士がそれぞれの構造を照らし合い、畳み込み、展開するような関係性がたくみに演出されていた。

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(fig.4 「景色の良い部屋」展示風景)


パート5「不定形の炎症」。
最後のセクションは頭ひとつ抜けた完成度を感じさせた。いわゆる不定形の形象による「抽象画」を集めた一室なのだが、戦後日本のアンフォルメルを代表する今井俊満や堂本尚郎の作品だけでなく、パープルーム予備校生のわきもとさきが手掛けた日用品によるコラージュ、川井雄仁や松井康成によるポップな趣きの陶作品、松澤宥の非常にめずらしい(生前には発表していないと思われる)アンフォルメル調の抽象画(fig.5、6)などが一堂に集まっている。「日本のアンフォルメルは欧米のエピゴーネンだけど質は良い」と梅津が語っていたが、「亜流」である日本のアンフォルメル勢を再評価させるセレクトもさることながら、若手のわきもとや星川あさこの作品がオールドマスターと並んで決してひけをとらない質を誇っていたのが印象的だった。また、長谷川利行の佳品《海》(年代不詳)が偶然にも過去に三越で展示されたことのある作品だったりするなど、歴史性をもった「作品」と「場」の絡みも展示のなかに仕込まれているようだ。流浪の作家・利行の作品が、さまざまな所有者の元を漂流した末にふたたび三越に辿り着いたというのは何とも興味深い因縁である。

「不定形の炎症」は、正典たる美術史に記述されていない歴史、作品間の造形的な影響関係がもっともよくあらわれているセクションだった。「制作者の勘にフォーカスし、見る人の知覚の回路を開くような展覧会をつくりたかった」と語っていた梅津の目論見が、この最後の展示室においてもっとも成功していたように思える。室内中央には本展のマケットも展示されており、展覧会の全体像を俯瞰して捉える視点を鑑賞者に提供していた(fig.7)。

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(fig.5 松澤宥《不詳》1950年後半-60年後半 ※一番左)

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(fig.6 松澤宥《不詳》1950年後半-60年後半 松澤久美子蔵)

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(fig.7 フル・フロンタル実行委員《フル・フロンタル 裸のサーキュレイターのマケット》2020年)


5つのセクションは循環構造を意識した上で会場の動線が組み立てられている。入り口から入った鑑賞者は梅津作品《フル・フロンタル》5連画のカーブにゆるやかに導かれ、受付のカウンターを回り込むようにして展示室をめぐる。入り口からはパート4「景色の良い部屋」の展示風景が垣間見えるが、そこに辿り着くにはパート1~3までの展示ゾーンを迂回しなければならない。梅津によると、これはディズニーランドのシンデレラ城にヒントを得た動線だという。ディズニーランドではどんな場所からも遠くに映えるシンデレラ城をのぞむことができるが、園内を回遊しなければ奥まった場所にあるシンデレラ城には辿り着けない。シンデレラ城のかわりに本展のランドマークとなっているのは、「景色の良い部屋」の突き当たりに掛けられた横山大観の富士山である。ある集団においては崇められ有難がられる大家の作品も、本展においては「全体」を回遊させるための風景の一部に過ぎない(そして大観もまた三越に縁の深い作家だ)。

このような、アミューズメントパークをも参考にした会場構成により、花粉は高い換気性をもって循環(サーキュレート)する。この話を聞いて、百貨店もまた循環(回遊)構造によって客に消費を誘発する空間設計であることを思い出した。もっとも、百貨店の循環構造と「フル・フロンタル」のそれとは性質が大きく異なる。「フル・フロンタル」における循環構造は、消費よりも生産的・能動的な「解釈」を鑑賞者に促すことを目的としていると考えられるからだ。

さて、「送風機」を意味する「サーキュレイター」の語のなかに「キュレーター」が隠れていることは言うまでもない。梅津は本展でキュレーターでありながら出品作家でもあるわけだが、このポジションが孕む危うさについては、 梅津みずからがステートメント「小さな独立国家の構想画」の冒頭で注意喚起している。

「美術家であるわたしがキュレーターシップを行使しながらも、ひとりの美術家としても振る舞う。内なる美術家と内なるキュレーターとの間で執り行われる密輸と交渉。この二重性については留意しておく必要があるだろう。」

さらに、ステートメントは次の一文で締めくくられる。

「眼前に広がる光景は、「わたし」の自画像であり、小さな独立国家の構想画でもある。」

「独立国家」という言葉には何やら不穏で過激な気配が感じられる。展覧会が梅津というひとりのキュレーターによって司られる「独立国家」であり、さらには「わたし」の自画像であるとさえ言うのなら、梅津はすべてを自陣に取り込みテリトリーを拡張しようとする「独裁者(ディクテイター)」のような存在なのだろうか?
世代、出自、様式、文脈を超えて序列なく集められたように見える作品群も、キュレーター/ディクテイターの独断や偏見、趣味性といった枠組みから完全に逃れられるわけではない。そして梅津は、キュレーター/ディクテイターが作品や作家を搾取しかねない危うい構造におそらく自覚的だ。だからこそ、「小さな独立国家の構想画」では作家でありキュレーターであるという二重性の分裂状態がまず告白され、括弧でくくって対象化された「わたし」の自画像が鑑賞者の前に差し出されるのだ。

この二重性、分裂状態を克服する鍵は二つあるように思われる。

まずひとつは先にも述べた展覧会の循環構造である。循環構造において、風通しを良くするのはいつでも鑑賞者の役目だと言えるだろう。本展には作品を既存の文脈から読み替えるためのリンクが様々なレベルで埋め込まれているが、キュレーターの狙いを超えた解釈を生み出せるか否かは鑑賞者の力量に掛かっている。「フル・フロンタル」は確かに綿密に組み立てられた展覧会ではあるが、個々の作品の解釈可能性はあくまでゆるやかに担保されているように思える。安易な多様性の称揚とは慎重に距離を置いており、個々の作品の拙さ、歪さ、薄暗さをも抱き込んでいるのだ。ズレを孕みながらも「星座」を成す作品間の距離を埋めるには、直観力、観察力、論理力の飛躍が必要だ。循環構造の展示室には、一方向から送られる風だけでなく、思いがけない穴から生じたすきま風も吹いている。だからこそ、本展を見た鑑賞者は、「独立国家」や「わたし」を再-対象化したり解きほぐしたりする作業を引き受けていかなければならないのだろう。

鍵のふたつめは陶作品である。本展には梅津による《花粉濾し器》(2019-2020年)をはじめ、数人の作家による陶作品が出品されており、絵画中心の展示物のなかで異彩を放っていた。もともと梅津は川井に誘われて昨年から陶作品の制作を始めたのだと言う。陶作品の制作は「絵画制作だと職業病的に関わってしまう側面があって、こじらせているところがある」と感じる梅津が「手癖を離脱するためにあえて自分に負荷をかける」目的から選択した試みであり、同時にそれは「粘土遊びによってつくるよろこびに回帰する」きっかけをもたらした。画家として、あるいはキュレーターとして技術や経験値を積み重ねてきた 梅津が、いま、自分を新たなステージに向けて変えるべくもがいているということだ。言い換えればこれは、括弧つきの「わたし」をみずからの手で解体するためのひとつの戦略なのである。辿り着く先はまだ想像できないが、梅津の陶作品は今後の布石となっていくのではないか。


筆者が会場に居たとき、それまで多くの人が行き交っていた展示室から人足がふと途絶えた瞬間があった。梅津が「いつもは賑わっているのだけど、お客さんがなぜか急に来なくなる時間帯がある。理由がよくわからない」と笑っていた。風がやんで突然の凪が訪れる自然現象は誰にも予測できないし、統御もできない。

「つかまえたと思ってもすり抜けるものがある」と語るキュレーターによる「小さな独立国家」は、鑑賞者が起こす別の風を待っているようでもあった。

fig.7_梅津ポートレート_トリミング

(fig.8 梅津庸一ポートレート)


(註1)志賀健二郎『百貨店の展覧会――昭和のみせもの 1945-1988』筑摩書房、2018年、9頁。
(註2)梅津庸一「小さな独立国家の構想画」。

トップ画像、fig.1~5、7 Photo by Fuyumi Murata
fig.8 筆者撮影


中島水緒(美術批評)


レビューとレポート第15号(2020年8月)


お詫び
記事公開後に「パート4「景色の良い部屋」」の一章が誤動作で削除されていたため修正いたしました。誠に申し訳ありません。(2020年8月26日)