傷つけられたら③
土曜日の昼に職場から電話。
本当にすごい速さで展開していくので週末でさえ職場のことで頭がいっぱいだ。
わけのわからん行動する相手を理解しようとしても無理だから、とにかく自分の向く方向を定めて、小さな行動をしていくしかない。
引き続き傷つけられたら、(価値観が)合わない人との関係についてまだ思うところがあったので記しておく。
身近な人が自分の思ってもなかった言動をして自分を傷つけてきた時。
まずそもそも、他者と接する時、初対面でない限り、その他者に対する今までの少ない情報から形成されたイメージとしてのその人を見ている。
ニュートラルな状態では決して見ていない。
脳の省エネのためにある程度推測して物事に向き合っているからであろうが、そうするとその瞬間瞬間の相手自身を見るという大事な姿勢を失ってしまう。
むしろイメージというか、期待なのだと思う。
「私」の接する人はこんな人だったらいいな、という「私」にとって都合の良い相手を、無意識下で作り上げてそのような言動をしてくれる人を、期待している。
だから
「こんな人だとは思わなかった」
という言葉が飛び出すんだろう。
そんな人なんて、元々、どんな人でもないのだ。
相手は相手、そんな人はどこにも存在しない。
自分自身でさえ捉えるのが難しいのに、相手が自分の思う通り、あるいは自分が思ってた通りの言動をすることなんてない。
もう少し俯瞰的に見ると、それはとても面白いことでもある。
「私」の想像外の行動をしてくれるなんて、なんて刺激的なのだろう。
そして気づくのだ。
やっつけ仕事気味で毎日を生きていたことに。
思い出すのだ。
自分も他人も、毎瞬毎瞬違う人だってことに。
トラブルがきっかけでその人を知れるチャンスなのかも、という場合もあるだろう。
そしてやっぱり一貫して大事なのは、何かが起こったときの、「私」のその後の行動。
出来事をスルーしない「私」から湧き起こる感情と、自分に偽りのない願望に忠実な行動で、何かが変わる、はず。
相手に対しての良い、悪いは自分の好みなので、自分に対してくらい、正直に、これってなんか嫌!って理由も全然アリだと思う。というかそれしかない。
嫌か好きか、それだけ。
期待するのは自分だけでいい。
相手に期待なんてするもんじゃない。
自分に期待してる。
好きと嫌いをちゃんと掬いあげることのできる自分に。
ごきげんうるわしゅう。
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