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「五十歩百歩」って、結構違うよね
五十歩百歩。
「違いはあるが本質的には大して差はない。似たり寄ったりである」という意味。「戦場で五十歩逃げた兵士が、百歩逃げた兵士のことを非難したり、臆病者と揶揄しても、どちらも逃げたことには変わりはない」ということから生まれた言葉
似たり寄ったりで大差ないとのことですけど、
……え、
五十歩と百歩って、結構違いますよね。
五十歩百歩って倍違うよ。
成り立ちをみろ!そんな話はしていない!
というのは至極ごもっともですが、
ことわざに数字が入っている以上、それを意識しないわけにはいかないなぁと感じております。
そんな時に例えば、
「私から見れば、数学60点も30点も五十歩百歩よ」なんて言われた時には、
倍違う!
って返しそう。
ツッコミのセンスがないのが悔やまれる。
ことわざの成り立ちから考えて(いくら例え話だとしても)、
目的から見てみると
結構大きな差があるように思うんです。
逃げた兵士を”李”さん”周”さんとします。
李さんは50歩、周さんは100歩、
それぞれ距離を稼いでいます。
どちらのほうが逃げられる可能性が高いか。
……そりゃ周さんだろう。
さてちょっと考えてみましょう。
李さん周さんはどれだけ逃げられた?
成人男性の一歩、歩幅は
およそ70cmだそうです。
李さんの場合
50(歩)×70(cm)=3500cm = 35m
50m走よりも短い。待ち合わせだと手を振り始めてもいい距離。
李さん、この程度だと
隊長からちょっと大声で
「何逃げてんの!戻ってこい!」
なんて言われたら、戻れちゃいます。追いかけてきそうだもん。
次に周さん
100(歩)×70(cm)=7000cm = 70m
ちょい遠いですね。
待ち合わせだと「あれって、周さんか……?」って思い始める距離。
隊長から大声で「戻ってこい!」と言われても
この距離なら逃げられますね。追いかけられても大丈夫。
ということで、50歩しか逃げていない李さんより、
100歩逃げた周さんのほうが、敵からも味方からも、
逃げられる可能性が高いことがわかりました。
50歩逃げた李さんが100歩逃げた周さんを揶揄するのは嫉妬
このことわざの成り立ちにある、
戦場で五十歩逃げた兵士が、百歩逃げた兵士のことを非難したり、臆病者と揶揄
という場面、これは揶揄じゃないですね。嫉妬です。
「俺は隊長に叱られた挙句戻らされて逃げられなかったのに、あいつは逃げやがった。臆病者め……(うらやましいぞ)」
ということです。
李さん、可哀想。
数字を変えよう
ということで、
「五十歩百歩」は意外と差があるぞ!
しかも、目的から考えたらむしろこの差はかなりでかいぞ!
とわかりました。
じゃあ、「五十歩百歩」ということわざが、より「五十歩百歩」感を醸し出せるようにするにはどうするべきか。
百歩の数字を変えましょう。
まず、このことわざ、
「違いはあるにせよ本質的には大差ない」という意味なので、
53歩、とか55歩、とかだと、あまりに違いがなさすぎます。
けれど、60歩を超えると、十の位の数字が変わり、
結構な違いが出てしまいます。
それに距離としてみても
50歩の場合:35m
60歩の場合:42m
7m違うのは、割と逃げられる可能性を高めている気がしませんか?
僕はする。
なので、結論
五十歩五十八歩
で行きましょう。
8歩分逃げているこの違い、
けれど十の位が変わらない58という数字。なんかお買い得な感じします。
キャベツ1玉158円 みたいな。これは安い。
念のため距離で見てみても
58×70=4060cm = 40.6m
50歩の場合が35mなので、5mの違い。
ギリギリ、どうですか?隊長から逃げられない距離に収まってませんか?
……え、微妙?
いやまあ安くしておくんで、ここらへんで手を打ってくださいな。
ということで五十歩百歩って結構差があるよな、という話でした。
最後に一つ、書きながらずっっっっっと思っていたことを一つ。
百歩もあんま逃げてねぇな!
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