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精神障害者三十路のみそちゃんの日々の歌

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#病気

誰も一人じゃ生きていけないのは、わかっちゃいるが、こんなにも、一人になりたいのは何故だろう #病気 #エッセイ#鬱

鬱対6年ウラ延長戦

私が、社会で働けなくなって
早くも6年目に突入した

症状は、ひどい肩のこり、
ダルさ、痛み

吐き気、冷や汗、震え

過呼吸、目が開かない

などなど、
よくもまぁ5年も家で
家族の世話になったものだ

何度も死のうか考えた

何度も死ねなかった

最終的には、家族のお手上げ状態になって、私は入院する事になった

入院先の病院には、電気治療という、
全身麻酔をして、電気を脳にかける
、効果的な治

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人生の岐路に佇む

私は27歳で、仕事を辞め、
あれよあれよと言う間に、

32歳になってしまった

5年間一体どうやって生きてきたのか、
すっかり忘れてしまった

しかも、一年と3ヶ月も入院していたなんて、

私は一体何をしていたのだろう、、
なぜもっと、早く、

このグループホームに入ると、
思いつかなかったのだろう

と、今になって、思ってしまった

そして、もうすぐ、
私は33歳になるのだ

刻一刻と、死への

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苦しみの小学校時代

今まで書いてきた通り、
私は場面緘黙を背負ったまま
小学校へ入学する事になったのだが、

勿論、友達は近所の子2人くらいで、
その子達とも、帰宅後遊ぶ時は話すのに、
学校へ行くと、話せなくなるという
状態だった

お陰様で、沢山苛められた

その度に、母が助けてくれた

あまり細かい事は覚えていないが、
話せないせいで、ありがとうや
ごめんねも言えず、

それを責められたりした

しかし、私は周

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保育園から小学校まで

結局、私は場面緘黙を背負い、
保育園では一言も話さず、

毎日のように、保母さんに手紙を書く、
という日々を送り、

卒園をした

そして、小学校へ入学した訳だったが
場面緘黙のまま、

私が「あ」と言うだけで、
みんながビックリし、
拍手喝采のような状態だった笑

だが、私の中には、現状を変えたい

話せるようになりたい、という気持ちが強くなっていった

今でも覚えている

ある女の子に、渡り廊

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場面緘黙症を背負いながら

私が幼少時代から場面緘黙だった事は
以前にも書いた

そのせいで、沢山苛められた

私はこの世で一番残酷な生き物は、
子供だと思っている

子供というのは、無知なだけに、
思った事をそのまま口にする

「みそちゃん喋ってよ」
と何度も言われた

手をつねられて、真っ赤に腫れても、
痛いからやめて!と言えなかった

頬を定規で叩かれた

女子全員が目の前に
立ちはだかり、喋れと言われた

他にも沢山

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