見出し画像

Fr@gment Wing 05を買った

シャニマスのCD、アルストロメリアが歌うモノの第二弾を買いました。

これがすごくいい…



この熱が冷めないうちになぜ良いと思ったのかさらっと書き留めておこうと思いました。以下はそのきじゅちゅでち。

収録曲は三点、うち「Bloomy!」が妙に琴線に触れたので、

①雰囲気(曲全体の特徴)②歌詞③歌手④リズムとか曲

で分けて好きの原因を考えてみようと思います。


まず雰囲気。

これが妙に刺さる。歌詞を見ないで聞いたときの感情は「さらさらした、ゆったり、やさしい、前向き、弾むように、マイペースな、柔らかな風が吹くような」といったもの。包み込まれるようなイメージか?それこそ母体回帰やバブ味に近い感情を抱き、心安らぐ感覚が好きだ。

それでいて前を向こうといった歌詞がたびたび挟まるので、言葉通り前向きになる感覚も味わえるので、ちょっと頑張ろうかなとか思っちゃう。

時折挟まる聞きなれない単語(例:カルペディエム、アレグロ、モデラート)が入ることで「?」となるけど、それでもこの雰囲気を味わうことはできる。で、気になって検索をかけることで歌詞の内容が頭にしっかり入る。そうして聞き直すことでさらに深く歌詞が入り込む。

つまり何度も楽しめる曲なんですね。始めは雰囲気に、二度目は歌詞に、三度目はリズムが、そのうち歌詞の解釈にと、聞くたびに味わいが変わって大変好きです。

実をいうと新聞読んで聞き流しながら初聴きしたので、歌詞が頭に入ってこなかったのもあるけど…仕方ないね♂


歌詞について。

さわりだけをとらえると「悟りを開いた彼女(彼)が、思い描く姿に至るために、あらゆることを大事にしながら生きていこう」といったところか???

文にするとすごい違和感だけど…

一応そう思う経緯について。カルペディエム、プロネージスという単語から、知識人確実であること、歌詞の前向きさはその知識に裏付けられたものであること、そしてそこはかとなく悟ったような物言いの歌詞であることから。もうちっと詳しく書こう。

カルペディエムは「その日を摘まめ」ホラティウスという方の詩集かららしい。今を全力で楽しめ、といった意味合いか?

ホラティウスの詩
ホラティウスが愛や政治や友情、日常生活、哲学的疑問などを歌った104の詩歌が収められた『歌集』(Carmina)の、第1巻第11歌にこの語句が現われる。「その日を摘め(Carpe diem)」はより長い句の一部分であり、句の全体は「Carpe diem quam minimum credula postero」、つまり「明日のことはできるだけ信用せず、その日の花を摘め」である。詩全体では、神々がどのような死を我々にいつ与えるかは知ることは出来ず、知ろうと苦しむよりも、どのような死でも受け容れるほうがよりよいこと、短い人生の中の未来に希望を求めるよりもその日その日を有効に使い楽しむほうが賢明であること、が歌われている。この詩の意図はエピクロス主義にあり、通常考えられているような快楽主義にあるわけではない。

またプロネージス。これがまた難しい。実践知、というらしい。体験することで得る知識、ということか?

アリストテレスは『ニコマコス倫理学』[1]のなかで、知識を「Σοφια ソフィア(智)」と「Φρόνησις フロネシス」の2種類とし、ソフィアとフロネシスを明確に区別している。アリストテレスは「中庸 (ギリシア哲学)」(メソテース[2])を守ることが大事であると説く。中庸とは、現在日本で一般的に使われる儒教における中庸とは違い、勇敢(恐怖と平然)、節制(快楽と苦痛)、寛厚と豪華(財貨について)、矜持(名誉について)、温和(怒りについて)、親愛と真実(正直)と機知(交際について)を指している。そして中庸を守る徳性をフロネシスであるとする。

この二つの単語を使いこなすあたりで只者じゃない。知識量は相当であることはうかがえる。

それを踏まえたうえでのこの歌詞を聞くとなんか違和感を感じる。

もっとまっすぐに感じよう いつも私らしくいよう           風が連れてくるよ カルペディエム                  胸を張ってゆこう
大丈夫 遠回りしてもいい
ずっと信じ続けていたい

特にこの信じ続けたいという部分のあやふやさがひっかかる。これだけの知識を有する方がこの信じるなんつう願うような物言いをするのが奇妙に感じる。私はこの部分を「なにがしかの失敗を重ね続けた、有能な人間」ととらえた。繰り返す失敗、そして物事を曲解するようなひねくれた考えに染まっていった。しかしそれを克服し物事をありのまま見つめる勇気をもち、たどり着いたのはかつての知識人たちのようなある種の悟りであった。そして改めて前をむいて進んでいる。

うむむ…沸きわがる感情をうまく伝えられぬ自分のもどかしさよ。勉強は大事だね


歌手について。

歌手はアルストロメリアという三人ユニット。それぞれ大崎姉妹と千雪お姉さんが歌っている。キャラが歌っている設定なので、それが生かされた歌唱なのか、というと「まだ」それを感じることはできてない。

ただ、単なる応援歌ではない歌い方でしたな。冒頭にもあるような、どこか遠くを見つめたような歌い方をしており、歌詞の透明さを買うのに実にいい仕事をしている。それでいて前向きさを失わない力強さを感じる。

雑草魂とでもいうのか?踏まれてもまた生えよう。むしろ踏まれたことすら一つの経験なのだという感覚を得られる。

正直、歌い方に関する知識がないので、説明不足になっちゃいます。聞いて感じろ

リズムも…心地よいリズムとしか書けない!!感じてくれ!!


と簡単にさらさらと書くつもりがなんか二時間くらいかかった。遅筆やなあ。最終文も適当極まりないが、乾燥としての体裁は保てている(断言)。また見返すことがあったら直そうかな。おしまい。