虫かご

「かご」



今日のキーワード「かご」



子供時代の夢を見ることが人よりも多い気がする。
日常の会話で「あのー、普段どんな夢を見るんですかい?」なんて個人領域に踏み込んだ質問をするタイプではないので、正確な統計じゃないけど。体感の話。


それでも月に一度は同じような夢を見る。
これはどんな人から見ても不思議な現象なんじゃないかな。
そのシュチュエーションは判を押したように毎回同じもので、今日も僕は見慣れた道の途中にポツンと立っている。


それは小高い丘にするりと伸びる一本道。
中国の絵巻物に出てくる大きな蛇のように蛇行したその道は、歩いている時には随分な距離を感じさせるけど実際大人の足で5分もあれば頂上につくようなトリックアート型の道で、僕らの仲間内ではこいつを「割に合わない道」と呼んでいた。
道は頂上に向かうにつれて細くなり、その先端部分は中くらいの規模の森、中森(ちゅうもり)とつながっている。


子供の頃の僕はその道を嫌っていて、なるべく歩かないように心がけていた。
理由は「不安になるから」
これに尽きる。


僕にはもともと下を向いて歩く癖があり、「割に合わない道」を歩いているとその焦燥感はなおさらだった。
途中顔を上げても目的の中森はそのはるか先に見えて、歩く気はどんどんと削がれて行く。
僕の残りの人生はこの道を歩くだけで終わってしまうんじゃないか、道を歩くだけの人形、道人形になってしまうんじゃないか。


道人形・・・
道人形は嫌だ、・・・
早く歩かないと、道人形になっちゃうよ・・・
・・・道人形・・?
こんな馬鹿らしいことを考えていると、道のりはさらに遠く感じる。


立ちすくんでいると、涼やかで少し湿った風が耳元を吹き抜ける音がした。
夢の中の気候は夏と秋の中間をとったような気候が多い。
自分の服装でそれはわかる。
僕も御多分(ごたぶん)にもれず12月の寒波が来るまでは半袖短パンを突き通すタイプの子供だったから。


今日もその服装は同じだ。
黒地に黄色のラインが入ったTシャツにこれまた黒色の半ズボンを合わせたウォーズマンコーデ。
それだけ確認すると、ふわふわと水中を歩行するような感覚で一本道を歩いてく。
目的地はいつも変わらない。
というか、そこに行かなきゃこの夢は覚めない。
中森の中にある、一本杉に。


「ねぇ、知ってる?毛虫のなかには稀に羽化できず、さなぎのなかで死んじゃう子もいるんだって」


その女の子は僕に背を向けたまま、木の中腹辺りから伸びた枝を指さしてこう言った。
枝の先には今にも背中が裂けて、飛びでてきそうなさなぎが一つ。
それを見つめる彼女のふくらはぎには特大の絆創膏が鎮座し、白いTシャツには泥が跳ねている。
でも、そんな自分の状態なんてお構い無しにあの子はさなぎを見つめ続ける。
笑っているのか、哀しんでいるのか、はたまた無感動なのか。彼女の背中だけではその気持ちを上手にトレースできない。


そう、中森の中にはいつもこの子がいる。
当時よく遊んでいた女の子。
この子の所望で僕はこの中森に呼び出され、自然探索に付き合わされていた。


「ねぇ、もう帰ろうよ」
心細さから僕はこう言った。
都内とは言ってもこの辺りは夜の訪れが早く、山際からはすでに夕暮れ時の赤い陽射しが漏れ出している。


「んー、・・・・・・・もすこしぃ」
気の無い返事だけをこっちによこす彼女。
その眼差しは一心にさなぎへと注がれたまま。


僕は怖かった。これから訪れるはずの深い夜、帰りが遅いことに対する親の説教、そして虫の成長過程に異常な興味を寄せる彼女。
多分もっと要素はあったんだろうけど、恐怖は総合的な感情であり、何がどれくらい怖いだなんてパーセンテージでは表せない。


彼女の背中をぼんやりと見つめながらこう思う。
どうしたって、彼女の名前が思い出せない。


彼女は同じ学校にいて、隣の席に並んで座って、放課後は一緒に過ごして。
その一連の流れは恐ろしいほど滑らかで無音で隙がなくて。
だからこそ、大人になった今でもこんな夢を見ているんだと思う。
僕がその名前をフッと思い出して、口にした瞬間にこの不思議な時間は終わりを迎えてしまうんじゃないか。
それはそれであるべき終わりだし、もしもフッと思い出した暁には喜んでその名前を口にするつもりだ。
けれどその予兆は一向に訪れない。


そんな彼女を目の前に、夢の中の僕は両手を前に組み、それを細かに震わせている。
我ながら情けない。
そんなに気になるなら聞けばいいのに。
彼女の名前を。
なぜ蛾のさなぎに執着するのかを。
そしてなぜ急に学校からいなくったのかを。


「ねぇ、・・・もう帰ろうよ」
夢の中の僕は性懲りもなく羽毛のように薄くて軽い言葉を口から垂らした。
違うな、それは。お前の本当に言いたいことはそんなことじゃないな。
なんでわかるかって、ねぇ。そりゃ。自分だもん。
夢にまでみてこんなにも聞けないことがあるかね。


下を向きながらチラと伏目で見ると夕日は影を作り、もう僕たちの足元まで迫ってきている。
それでも彼女は動かない。
このまま夢の中で一生この子を待つことになるんじゃないか。
そう思うと不安はさらに増していく。
「割に合わない道」を一生歩き続けるよりはずっと有意義な待ち時間ではあるんだけれども。


僕のこの焦燥感は毛穴から漏れ出し、彼女の元まで漂う。
それが限界まで来た瞬間、彼女は振り返りその顔を僕に向けてくれる。
この時いつも決まってこう思う。
「・・・やっぱり見えないや」


彼女の表情は燃えるように真っ赤に照り返り、オレンジの靄がその顔を覆っている。
僕の背後に赤々とあがった夕日が逆光となり、彼女の顔をピンポイントに照らしているせいだ。
とても綺麗だと思う。けれど同時に、彼女が本来持つ表情はもっと美しいはずだと自分に言い聞かせる。
彼女の顔もその名前も二度と思い出さなくていい、そんな投げやりな気分にはあと一歩のところで到達できない。
そうしてまたこの夢を見る羽目になる。


僕の思考がこの段階まで達すると、それはもう最終局面。
夕日は僕たちの背後で燃えるように輝き、形作る影さえも蝋燭のように赤い陽を僕たちの足元に落とす。
それに呼応するように彼女はその口を開き、ゆっくりとこんな言葉を産み落とす。


「私ね、ずっとこのままがいいな、って思うの。サナギの中の幼虫みたいに、何かに暖かく包まれて、外の不安から守られて、そのまま死んでいくの。
 ・・・だからね、無理に、思い出さなくてもいいよ。」


これはあの日聞いたはずの言葉。
幾度となく聞いた言葉。
自分の不甲斐なさに肩を落としてしまう、そんな言葉。
その瞬間に空間は歪んでいき、心地よくも不安にあふれた夢の時間が終わる。
彼女の思いの丈を含んだ長い言葉に対して、僕はかろうじてこう応える。
「・・・また、明日」


いつもの通りまずは「温度」で目がさめる。
冬場だというのにこの部屋の暑さには目を見張るものがあるな。
おでこに浮かんだ汗の玉がこめかみに向かって流れていく。


そのままゆっくりと目を開けてみる。
なんなら起きる前から少し開いているので夢と現実には境目がわずかしか残っていない。
それでも目を開き、乾いた瞳に水分を供給する。
そうするといつもの風景が見えてくる。
「割りに合わない道」でもなければ「中森(ちゅうもり)」でもない。自分の部屋。


床に敷いた布団を片付けるために膝を落とすと、「ポキっ」と関節の破裂音が部屋に響いた。
即座に「元気だなぁ」と自分の膝に声をかける。
相手の反応に対して的確な相槌を打つ。
こんな簡単なことが夢の中ではできない。
自分の膝にできることが、彼女にはできない。


寝床の整理がひと段落したところで机の上に置かれた虫かごに目を移す。
カゴの中には簡素なつくりの杉の枝が中央に据えられており、その中腹には最近形を成したばかりの、ぷっくりと表皮が張った蛾のサナギが1つだけ垂れ下がっている。


あまりにも同じ夢を見るせいか、その夢の中で上手に立ち回れない焦りからなのかはわからない。
僕は彼女が、その昔子供ながらに興味を持ち続けた蛾のサナギを自分の部屋の机で育てている。


「もしかしたら、もしかするかも」
そんな小さな、奥行きのない希望にすがっている。
サナギの中から彼女が出てくるとか、彼女の名前が背中に刻印された成虫が現れるとか、そういうことではない。


今までまじまじと見た事がなかった、蛾のサナギの羽化の瞬間に希望を感じている。
そしてそれが何か脳に働きかけてくれればいいと思っている。
どうなんだろう、実際のところは。


どっちが先に来るんだろう。
夢の中で奮起した僕が彼女に名前を聞くのが先か、サナギが羽化するのが先か。
自分の頑張り次第ではあるんだけれど、多分後者だと思う。多分ね。
これだけ聞けなかったものはもうしょうがない。


それでも、近々また見ることになる夢のことを考えると心臓をキュッとつままれる。
その痛みを抑えるために机の上のサナギに助けを求める。
僕の休日はこの往復だけで終わってしまう。


「だけど、それももう少しの辛抱だろう」
なんの根拠もなしに思い込む。もう思い込むしかない。
同じ夢を見始めてからというものの、100%の体調をキープできていないし、羽化の瞬間を見逃さないために遠出を控えている。
どうも少しずつおかしくなっている自覚がある。
治ったはずの爪を噛む癖が最近になってぶり返してきたり、色々と弊害もある。


だけど途中でやめるほどの勇気もない。
できれば思い出したい。
夕日の照り輝いた顔ではなく、彼女が持つ本来の美しい表情をこの目に収めたい。


そんな気持ちから虫かごを再度覗き込む。
サナギの上部にわずかながら亀裂が入っていた。


本当にもう少しだ。
僕は先ほどしまった布団を床にひきなおし、着の身着のままでするりと潜り込みそのままの状態で、虫かごを見つめたまま午睡の体制に入った。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?