ぼうし

「ぼうし」

今日のキーワード「ぼうし」


「・・腹が減った。」
滝丸研次郎(たきまるけんじろう)は心の中で反芻した。


「・・腹が・・・減った。」
今度は少し間を空けてみた。
文学的な情緒が溢れた。


滝丸は一人、笑みを浮かべながら商店街を歩く。


埼玉県北部 達磨町(だるまちょう)


初めて訪れる場所。
後輩の尼ヶ崎与四郎(あまがさきよしろう)から話を聞かなければ
足を運ぶことはなかったかもしれない。
発端は先日行われた尼ヶ崎との刺し飲み(さしのみ)にさかのぼる。


「せんぱーぃ、先輩ってグルメィですよね、かなりぃの。」
尼ヶ崎はえげつない巻き舌である。


「うむ・・そう・・かも・・・・な。」
対する滝丸は変な間をあけることから、部内で一目置かれている。


「そんな先輩だからぁ、教えますけどろぉ、しゅんごぉいお店を見つけたんですぅ。」
2割聞き取れれば上等なこともある。


「・・・ぜひ・・・教えて・・くれぃ」
異次元の会話に店内の空気が歪む。
「パリーンっ」
「失礼しましたぁ!」
これが原因で店主はすでに皿を3枚割っている。


「食べられるぼうし、そんなぼうしを出すお店があるんです。」
その瞬間だけ尼ヶ崎の巻き舌は何処かに消えていた。
まるで、純粋な精神を持つ子供の前にしか姿を現さない
気まぐれなユニコーンのように。


「・・・食べられるぼうし」
その言葉のインパクトに間を開け忘れる滝丸。


そのあと、尼ヶ崎は店の場所やどんな味だったのか、熱弁し始めた。
しかし、空前絶後の巻き舌が火を吹き、まともに聞き取ることはできなかった。


ホワホワホワ〜(達磨町に戻る)


滝丸はグルメだ。
自他共に認めるグルメだ。
もはやグルメィ、でもある。


そんな滝丸が「食べられるぼうし」と聞いて、尻ごむ理由はなかった。
ずんずんと商店街を歩いていく。


『シュゥオてんがいのぉ、はじゅっこにありまシュゥ』
尼ヶ崎の言葉が蘇る。


道に連なる飲食店には入ることなく、滝丸は歩みを進めていく。
機関車のように商店街を爆進する滝丸を見て、
地元のおじいおばあが胸元で十字を切った。


「ここ・・だ・・な」
滝丸は、間をあけた。歩いて息切れしたわけではない、意図的にあけた。
たどり着いたそこは、商店街のはずれにある小さなブティックだった。


「ブ・・ティック・・・・・」
正直滝丸は、銀座にあるような洋食レストランを想像していた。
しかし、ここは東長崎。


「ブティック万里の長城」
名前からして店主は三国志好きだろう。
滝丸はまだ会ったことのない店主にあたりをつけた。
彼は、仮説思考を好んで使う。


意を決して、店の自動扉をくぐる滝丸。


「ジャァーーーーーーン」


中国式のドラの音が鳴り響いた。
滝丸の中で、三国志好きが`ほぼ確`となった。


「いらっしゃいませぇ。」
オーソドックスな見た目の`中`主婦が滝丸を迎え入れる。
彼は女性の体のサイズを`大`中`小`で表現する悪癖がある。


滝丸はおずおずと、この言葉を口先にのせてみた。
「・・・・・あの・・三国志が・・・お好きなんですか・・?」


「いいえ」


`中`主婦は秒で答えた。


秒。(レーシングカーの通り抜ける音)


迷宮入りしてしまった、三国志問題。
黙り込んでしまう滝丸。


「あのー、買い物ですか?それともお食事?」


あまりに唐突な誘い、しかし、食事の選択肢がやはり存在する。
この店には、`食事`の選択肢が存在する!


「・・・・・・・食事・・で」
滝丸は伏し目がちに答えた。
口の端からはヨダレがポタリポタリと垂れている。


「・・・あいにょっ」
曖昧な返事とともに`中`主婦は店の奥に姿を消していった。


滝丸は自分のヨダレが作ったシミをじっと見つめる。
何かの形に見える。
しかし首をひねった瞬間によだれが余計に垂れて、形を変えてしまった。


「すみません、お待たせしました。別室にご用意がありますんで。」
店の奥で`中`主婦が手招きしている。


「・・・御・・意」
滝丸はヨダレを靴でもみ消し、その声に応えた。


別室では縦に長い机が用意されていた。
洋画でよく見る貴族机だ。
そのテーブルの端に滝丸のためにあつらわれた食事の用意があった。


大きな皿に盛られているのは、そう


テンガロンハット


イーストウッドも真っ青、見事なテンガロンハット
何かソースでコーティングされているのであろう、黄金に光り輝いてる。


「・・・」
嘆息するしかなかった。
美しさの前では、人間は無力に成り下がる。


ついに、食べられるぼうしにありつけるのだ。
滝丸は理性を保つことに必死だった。
その反動で膀胱は馬鹿になり、オシッコはとうに漏らしていた。


「98年物のジョージア産です。」
まるでワインのようにぼうしを扱う`中`主婦。


ジョージア、あぁ、ジョージア。
なんて甘美な響き。
聖なる土地で作られた聖なるぼうし。


滝丸は用意されたナイフとフォークを使い、テンガロンを切り分け始めた。
そして、おもむろに一口目を口に放った。


モグモグモグ
モグモグモグ
モグモグモグ
モグモグモグ
モグモグモグ
モグモグモグ
モグモグモグ
モグモグモグ
モグモグモグ


かてぇ。
底抜けにかてぇ。
ミノやタンの比じゃない。


追って、くせぇ。
くさみの後続車両。
滝丸の目は真っ赤に充血している。


後ろから`中`主婦がにこやかな視線を投げかけてくる。
多分、あなたが思う涙ではない。
感涙ではなく、しんどさからくる涙だ。
にここっ
テンガロンハットを噛みながら滝丸は精一杯笑ってみせた。


唐突に尼ヶ崎が笑っているところが頭に浮かんだ。
滝丸はすぐさまグーパンチを見舞った。


まだまだ無くならないテンガロン。
そんな様子を見かねてか、`中`主婦が滝丸の耳のそばに寄ってきた。


「・・・持ち帰ります?」
そんなシステムがあるなら早く言ってくれ。
こちとらもうおゲロがすぐそこまで迫っております。
土石流でございます。
そんな怨念のこもった目を差し向けながらも滝丸は、こくりと頷いた。


滝丸は商店街を歩く。
先ほどとは変わり、どこか力なく彼は歩いていく。
頭にはテンガロンハット。
つばの少し欠けたテンガロンハット。


尼ヶ崎に会ったらなんて言おう。
そんなことを考えながら駅へと向かう。


そして、滝丸は1つだけ自分に約束をした。


もうぼうしを食べるだなんて、やらないよ絶対。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?