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「問題を解決しないのがまちづくりだ」『まちづくりの思考力』ブックトーク記録#1 [国立市]

2023年7月8日、国立市にある「ひらくスペース」にて、『まちづくりの思考力』のブックトークが開かれました。
貸し本棚やコワーキングスペースとして利用可能な同スペースでは、短歌や落語の会も開催され、参加者同士が交流できる居場所となっているそうです。

本書の著者・藤本穣彦先生のゼミ生である森山壱成さん(明治大学大学院 政治経済学研究科)に、素敵な参加レポートを書いていただきましたので紹介します。 


「まちづくり」とはいったい何だろう?

主催者の斉藤亮太さん(左)と藤本穣彦先生(右)

現代の暮らしでは、「買う」ことに重きが置かれています。お金さえあれば楽で便利ですが、物があふれた都会では、あまりに多く用意された選択肢に囲まれ、仕方なくどれかを選ばされていると感じることがあります。人生で真の楽しみと満足感を得るのは、「買う」ことではなくて、「つくる」ことにある――そんなことを私に教えてくれたのが、所属している藤本先生のゼミナールでした。

「つくる」とはどういうことなのか、また本書のテーマである「まちづくり」とは一体何なのか、参加して考えてきました。

直観すること

藤本先生はつねづねゼミで、大学を飛び出して時には国境さえも越えて、フィールドで学ぶことがいかに大事かを教えてくれます。なぜなら、自分で自分の選択を積み重ねていく最終的な頼みの綱は、エイヤと思い切る「直観」にあり、これは経験と出会いの中でしか磨かれないそうなのです。

フィールドに出て、「何かがおかしいな。何かがこじれているような気がするぞ」という、内から湧き出る違和感に気づくことが大事だそうです。それまでの経験とのギャップを切り口とすることで、身の回りの生活を捉え直す「問い」に出あえるからです。このような気づきこそがフィールドワーカーになるためのスイッチであり、現場に潜入していく入り口であると先生は言われます。

まちづくりをするのはどこ?どうやって?

生まれ落ちた時点で関係が確定する「土着」に対して、「着土」という表現を先生はされました。「赴くままに旅をする中で、自分と地域の世界が惹かれ合う瞬間に出会い、自覚的にそこに根を下ろす」ことだそうです。そのような感覚に出あった場所で、その場の行く末について考えることが、まちづくりだということになるようです。まだ見ぬ使命に突き動かされる感覚に出あう場所、とも理解できそうです。
 
この本には、藤本先生がフィールドに出て、地域と人に出あい、課題を見つけ出す過程で「そこにあるといいな」と感じた物事をみずからつくろうと起こした行動が、いくつも描かれています。

住民と水車をつくったり、集落に水道をひいたり。

しかしそのような過程を経ても、「問題は解決しない」、先生はそう言い切りました。その言葉には、「解決なんてできない、解決に囚われるべきでない」という両義が含まれていたように思われます。というのも、問題解決や合意形成といった目的設定では、自分の経験に基づかない言葉を援用してまで争い、本来の意義が見失われる可能性があることを指摘されていたのでした。

藤本穣彦先生

困難を解決しようとしない

この日のブックトークの参加者からも、さまざまな悩みや経験が語られました。PTAでの調整が難しいという問題、また高齢化する自治会の維持の問題、手弁当でしていた市民活動が公共性を帯びてきたことによる問題……これらも、藤本先生流にいえば、困難を解決することを目的とするのではなくて、困難だという認識が共有されれば十分だと考えることができます。
 
問題の解決された未来ではなく、仲間と一緒に悩みながら歩む今をまなざすこと。誰かに仕向けられた消費で課題を排除する「買う世界」と、自分の行動で課題を何かに繋げる「つくる世界」との間を揺らいでみること。ちょっと寄り道をして、先人の考えてきた系譜に気づいて、自分も時間をかけて考えてみること――まちづくりとは、そのような過程をへて、手づくりしたものを仲間と分かち合う個性表現の一つなのかもしれません。

だから、いきなりまちをつくり変えようなどと、気負う必要がないとわかりました。先生は、本書のタイトルにもあるように「思考」を叩き込むのではなく、「思考力」を授けてくれたのだと思います。


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