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知らないことは選択肢に挙がりづらいし、習慣や当たり前になってることは他のやり方に気付きづらい

仲の良い友達と三人でランチに行った時のこと。一人が食前に薬飲まなきゃと漢方を取り出した。

少しして友達の方を見ると、苦かったのだろう、渋い顔をしている。

「え、お水口に入れてから飲めばいいじゃん」

いつもその飲み方で飲んでる私。それが私にとって当たり前だったので、渋そうな顔の友達を見て思わずつっこんだ。

「そうなの?」

衝撃を受ける。なんだと。知らなかったのかと。するともう一人の友達が

「私も最近水から飲むようになった。」

第二波…だと……

もう一人の友達も最近知ったとなると、分が悪いのは私の方だ。まじか。みんな知らなかったのか。

水より薬が先 が習慣になっていたら、それが当たり前になるわけで。当たり前になっていたら水から飲むって方法自体、確かに気付かないかもしれないななどと考えながら最初に出てきたサラダを食べた。

その翌日、一人コンビニで買い物をしていた時のこと。

自分の買い物を済まして出て行こうとすると、私の次に並んだお客さんの声が聞こえてきた。

「チキン二ついただけますか」

そ の 発 想 な か っ た

うっかりしただけといえばうっかりしただけだが、あまりレジ前のホットスナックを食べる習慣がない私。全く気付かなかった。完全にその発想がなかった。そしてもう出る方向に進んじゃったからあれだけどめちゃくちゃ食べたい。くそう…気付かなったくそう…!!!

どのコンビニに行ったかももしかしたら関係あったのかもしれない。普段よく行くコンビニチェーンではたまにホットスナックを買うこともあるのだが、この日行った所ではもう何年も買っていない。もはやケースの存在を忘れていたし、視界に全く入っていなかった……

そうして前日のことを思い出す。
友達といっしょだ。こういうことかと。

そしてぼんやり考える。
歳を重ねるにつれて意味がわかっていくこと。

経験とか、色んな所に行くとか、色んなものを見るとか、色んなことを知ると、選択肢が増えるということ。

言わんとしてることはわからなくないが、そうは言っても思いつくだろう。と、昔は思っていた。

確かに、何も知らなくても、その発想に触れたことがなくっても、思いつく可能性はゼロではないけど、じゃあ思いつく可能性は果たしてあるのか。いつになるのか。必要な時に思いつくことができるのか……

やっぱり、色んなことを知っている方が選択肢が広がるっていうのは、間違いないことなんだなと思った。

知らないことは、選択肢にならないのだ。
気付けないのだ。
そりゃまあ全く気付けないかって言ったらそんなことはないけれど、やっぱり知っている方が全てにおいて幅が広がるのだ。

もうひとつ、今年になってラテを飲む機会があった。今までの私はコーヒーを飲まず、ラテ系も飲まないで生きてきた。

機会があって飲んだのは初めてのヘーゼルナッツラテだったんだが

それがもう!!!!!!!

美味しくて!!!!!!!!!!!

何故私は今までこれを通らずに生きてきたのかと。何故知らなかったのかと。

新しいものを開拓して生きていった方が楽しいってこういうことなんだなと。

それからは今までの空白の期間を取り戻すかのようにラテ、コーヒー熱が爆裂した。そしてスタバに行き始め、(一時期行ってたが、それも飲んでいたのは紅茶かオレンジジュースで、食べ物もいつも同じキッシュを頼んでいた)フラペチーノを飲み始め、フラペチーノの美味しさに驚愕し、毎週レベルで新商品が出てきてお客さんを飽きさせることなく心を掴んで離さないスタバのマーケティング力に度肝を抜かれたのがつい最近のお話。

まだ、好きになれるものがこんなに身近にあったのだ。

色んなことを知ることは、自分自身を本当に豊かにしてくれる。世界を広げてくれる。
なんて狭い世界で生きてきたのかと。
全てにおいてきっとそうだ。旅にも通ずる話だし。旅行きたい。。

常識を疑えって言うのもこういうことなんだろうなとつくづく思った。

聞いたことはあっても、実際体験や痛感しないと自分の中に落とし込めないもんだなあとも改めて思ったり。

「今の習慣や当たり前を当たり前と思わずに、広い視野で世界を見るようにする」って考え方が自分の中に新たに刻まれたここ最近のお話でした。


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