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ブルックナーおじさんは多分嫌われている

今から4年前、SNSにこういう文章を掲載していたことがある。

毎週末の楽しみは、Eテレで日曜夜9時から放送している「クラシック音楽館」を観ることである。この週は、N響伝説の名演奏ということで、ホルスト・シュタインとか、エルネスト・アンセルメらの古い音源が放映されて、面白く観ていた。

が、後半がかなり異端だった。REMIX classic みたいなテーマで、クラシカルDJという人が、色んなクラシック音楽を、繋ぎ合わせて、ダンスとともに表現するというパフォーマンスを披露していたのである。もとある音源をパソコンで繋ぎ合わせて再構成していて、曲の雰囲気や調性、構造を的確に把握していないと難しいらしい。詳細は不明だが、ラ・フォル・ジュルネの一幕だっただろうか。そのパフォーマンスが終わった後は、観客を舞台上に集めて、ダンスパーティのようなことをしていた。春の祭典、シンフォニック・ダンス他、楽しげな音源をREMIXして流してクラブのように踊る。そのクラシカルDJは、元々は指揮科出身のバリバリクラシック人間だったが、現代のクラシック音楽の置かれている状況に閉塞感を感じたようで、今のようなことをしているらしい。「若者のクラシック音楽離れ」、「現代の若者の感覚をクラシックの中で表現」というテーマのもと、新たな創造性でもって音楽を構築しているらしい。

このクリエイティビティは、素晴らしい、と思う。時代の潮流に乗った先進的なクラシック音楽の創造。趨勢を捉えることは重要なことだと思う。が、今ここで、クリエイティビティ「は」、という助詞を使ったのは、自分の中で一定の違和感を覚えているからである。結論から言うと、現代の若者がクラシック音楽から離れているとは、思わない。もっと厳密に言えば、「離れていっている」という進行形が存在しているとは思わない。

筆者は、小学校高学年くらいに、イリーナ・メジューエワのショパンとドビュッシーとメトネルを聴いてから、クラシック音楽に目覚め、音源を集め出し、聴き出した。和歌山の田舎で、中学生で、リストやガーシュウィンの名盤、バックハウスのベートーヴェンソナタ全集を持っている者は自分以外に居なかった。だからといって、「みんなこれ聴けよ〜〜」とか無理に勧めたりしなかったし、他の邦楽や洋楽を一切聴かないということもなかった。周りのみんながクラシック音楽に興味がないことを知っていたし、多分自分ほどの人間も周りには居ないことを知っていたからである。

だが、言い換えれば、一人の若者をここまで執着させたクラシック音楽はこの時点で「成功」しているのである。(後略)

一読しただけで、恥ずかしいなあと思う。4年しか経ってないけど、4年前の自分があまりに稚拙だったなあと思う(文章力や語彙力という観点からも)。

今の私は、この4年前の自分の立場とは全く反対の立場にある。つまり、クラシック音楽は全く成功していない、という立場である。詳しくは、私が1番初めに掲載したnoteをご覧になっていただければと思うが、もし成功していたら、町中はマーラーやブルックナーで溢れているし、金曜夜9時からはタモリさんがテレビ朝日のスタジオでブロムシュテットの新盤を紹介し、オリコンチャートに藤田真央のモーツァルトのソナタ全集がランクインしているはずである。

成功していないクラシック音楽をいかに身近に感じてもらい、生活のそばに置いてもらい、最終的にブラームスの交響曲第1番を聴いて涙してもらうのか、多くのアーティスト、プレイヤー達が頭を悩ましてきた。

その点でいうと、今は名前も忘れたけれど、クラシカルDJの取組はとても評価できる。ただ、今は私も名前も忘れたくらいだから、彼も失敗したんだろう。

より多くの人たちに演奏会に足を運んでもらうために、私自身も苦心したことがある。先日、職場のアウトリーチの企画があり、プロのアーティストが職場にやってきて演奏を披露してくれた。その際、クラシック音楽を知らない職場の人たちに向けて、演奏会の数日前から、曲紹介やアーティストについての紹介ということで、ラジオのような放送を流すことになったのだ。

普段は舞い込まないような内容の仕事なので、私もかなり気合が入った。しかし、熱がこもりすぎると引かれると思ったので、ここで気をつけたのは、いかに力を抜くことか、ということである。

たとえば、彼らはチェロという楽器を知らない。ヴァイオリンという楽器は知っていても、それの大きいバージョン、と言ってもピンとこない。ここで私は、KING GNUの作詞・作曲担当である常田大希が時折ミュージックステーションとかで座って抱えて演奏している大きいヴァイオリンみたいな楽器だよ、人の声に一番近い楽器だよ、と説明を加えてみた。

すると、当日の演奏家が熟達したイケイケ感のあるおじさんだったことも功を奏し、後のアンケートでは、チェロの印象がかなり変わった、一番好きな楽器だった、という感想を多く抽出することができた。常田大希の豆知識が影響したかはよく分からないが、とにかく、自分達の生活に近い情報を多く流すことを心がけることは大事だと思った。

我々のようなクラシック音楽愛好家は、音楽を知り過ぎているため、「これならみんな知ってるでしょ?ということは、実はみんな知らない」ということは大変よくあることだと思われる。先回の拙筆にも似たようなことは書いたが、より分かりやすい言葉で喋ったり書いたりしないと、周りからするとやはりよく分からない。

勝手なイメージだが、古参の(特におじさんの)クラシック愛好家はブルックナーに五月蝿いイメージがある。〇〇の5番はあーだこーだとか、原典版とかノヴァーク版がどーのこーのとか、よく聴き分けてるなあと思う。はっきり言って私はそこまでの極致に達していないけれども、要するに私は、クラシックを始めようと思っている人とブルックナーおじさんとの間にある障壁を取り払いたいと思っている。

確かに、クラシック初心者からするとブルックナーのシンフォニーは物凄く聴くのが大変だと思う。でも一方で、愛好家はブルックナーの名盤を聴き分けてそれを(特に主観的な場合が多いけれども)事細かに論評して考察したがる。そうではなく、たとえば8番だと、何が凄いのか、どこを聴けばいいのか、どう聴けばいいのか、どのように作曲されたのか、そもそもブルックナーはどういう人物なのかーー。そういう視点から、ブルックナーを知らない人にも寄り添ったレビューをする方が、お互いが良い関係を築けるのではないかと思うし、ブルックナーを好きになる人も増えるのではないかと思うのである。

この音源はとても良い、この音源はダメ、この演奏会は良かった!この演奏会はダメだったーー、こういう賛否のレビューは私は引いてしまう。こういうところが聴きどころだよ、ここのオケはこんなところが良いところだよ、この演奏会のこういうところが良かったからみんな行ってみてね、の方が、絶対良い。私がTwitterで音源紹介するときや演奏会の感想を書く際は、必ずこういう視点を意識する。

職場のアウトリーチが終わったあと、ある1人が私のところにやってきて、「今回のアーティストが出演する演奏会は近いうちにありますか?紹介してください!」と言ってきた。私は快く教えた。けれど、1人だけだった。成功なのか、失敗なのか、自分でもいまだによくわかっていない。

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