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山形新聞「日曜随想」 2020年1月5日

 「日曜随想」に1年間寄稿させていただくお話を頂き、戸惑いつつも私に書き得ることを考えてみました。私は長年南米を中心にさまざまな音楽家を山形に招聘する活動を続けております。であればやはり音楽に関する話題がよいだろうと。そこで読者の皆さんが穏やかな日曜日を過ごせるような音楽を、それにまつわる事柄を交えて毎回紹介することにいたしました。南米の音楽に興味のない方には、名前すら聞いたことがないものかもしれませんが、どうかしばしお付き合いください。

 最初に紹介するのはブラジルの音楽で、カエターノ・ベローゾ(194~)とガル・コスタ(1945~)の「ドミンゴ」というアルバムです。「ドミンゴ」とはポルトガル語で「日曜日」のことです。日曜日に聴く音楽として、殊更に相応しい作品だと思います。カエターノ・ベローゾは男性、ガル・コスタは女性ですが、ともに現在のブラジルを代表する偉大な音楽家です。2人とも出身はブラジル北東部に位置するバイア州で、若い頃から行動を共にし、音楽を育んできました。

 彼らが最も影響を受けたアーティストは、同郷の「ボサノバの神様」、故ジョアン・ジルベルト(1931~2019)でした。ボサノバを聴いたことがある方はお分かりでしょうが、あの囁くような歌唱や、「バチーダ」と呼ばれる、サンバを1台のギターに置き換えた独特の奏法を生み出したのが、ジョアン・ジルベルトです。1958年にジョアン・ジルベルトのデビューアルバム「想いあふれて」がリリースされましたが、若き日のカエターノとガルにとってこの作品こそが、ブラジル音楽の「革命」だったといいます。

 「ドミンゴ」は、67年にリリースされた、彼らのデビュー作です。当時まだ一人一人では知名度が低いという判断で、2人の共作という形でリリースされました。この作品のフォーマットは、ボサノバのスタイルを踏襲したもので、ジョアン・ジルベルトを尊敬してやまない彼らにとって満足いくはずのものでした。ところが2人とも、ここに収められた音楽の質には納得していたものの、音楽のスタイルには古さを感じ、どこか釈然としない心境だったようなのです。

 ブラジルは64年のクーデターで軍事独裁政権への道を進みます。自由なボサノバの時代は終わり、保守的な空気が国全体を包みます。2人は同じバイア出身の、マリア・ベターニア(カエターノの妹)と、ジルベルト・ジルと共に「バイアの4人組」として、地元バイアで、そしてリオデジャネイロやサンパウロで頭角を現します。しかし軍事政権の下、ボサノバは保守化し、彼らの思いとは徐々に相いれない音楽になっていきます。

 そんな時勢にあってカエターノは、かつてジョアン・ジルベルトがもたらしたように、音楽的革命の必要性を感じます。そんな音楽的ジレンマや、社会的な閉塞感の中でリリースされたのが「ドミンゴ」なのです。本作のリリース後、彼らはブラジル音楽、そして文化全般の革新を標榜した、トロピカリズモ運動に身を投じます。その過激な行動は軍事政権の標的となり、68年12月には逮捕拘禁され、翌年にはロンドンへの亡命を余儀なくされまました。そんなカエターノをブラジルに呼び戻したのはジョアン・ジルベルトでした。

 「ドミンゴ」という、美しいボサノバを世に出した彼らでしたが、この作品には本作だけが持つ、独特の倦怠感や虚無感が感じられます。その背景には当時の2人の迷いや不安、そして焦燥があったのでしょう。そしてそうであったからこそ、皮肉にも本作だけの特殊な空気を封じ込めることができたのではないでしょうか。穏やかな日曜日にぜひ聴いていただきたいアルバムです。

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