僕の好きなアジア映画68: 小さき麦の花
『小さき麦の花』
2022年/中国/原題:隠入塵煙/133分
監督:リー・ルイジン(李叡珺)
出演:ハイ・チン(海清)、ウー・レンリン(漢字表記を発見できず)
僕が最初にアジアの映画に惹かれたのは、『冬冬の夏休み』など侯孝賢の台湾映画で、その次に魅入られたのが、チャン・イーモウの『紅いコーリャン』や、チェン・カイコーの『黄色い大地』など、所謂中国第5世代の映画だった。これらは広大な中国の辺境に暮らす人々を描き、神話的な世界観を持つ作品であった。時代背景こそ違うがこの『小さき麦の花』は、それらの素朴で原初的な感動を与えてくれた映画群に連なるものだと思う。
主人公の男は集団の中で、常に片隅に居りほとんど話をしない目立たない人物で、極端に貧しい農夫である。また女は体に障害を持ち(麻痺や尿失禁があるところを見れば脳梗塞等の後遺症か)、それ故周囲から邪魔者扱いをされ内向的になっている。この二人が家族から厄介払いのために所帯を持たされることになる。
生活はもちろん容易ではない。労働は過酷であるが、貧しさ故に機械化もできずロバに頼らざるを得ない。男は寡黙でほとんど会話もないが、男はどこまでも優しく、さりげなく相手を思いやることができる。
中国共産党の政策と親類達の奸計で、住んでいた家を「空き家」として売られてしまうが、逞しくもレンガを作り、ついには自分たちの手で家を建てる。
女は言う、「まさか私が自分の家や自分の寝床を持てるようになるとは思ってもみなかった」と、そして「あなたはいい人。この人なら一緒に暮らせると思った」と。厳しい生活の中で彼等の倹しい幸せが描かれる。
この先はネタバレなので詳細は避けるが、監督の描いた運命は人情的には残酷なものだった、とだけ記しておく。幸福に尺度はなく、その形はさまざまである。彼らは「愛している」とか「好きだ」とかを決して言わず、そういう形の愛情も主人公たちの境遇を鑑みればむしろリアルに感じられる。
リー・ルイジン監督は、通常映画の主人公とは成り得ない、社会に拒絶された者を主人公に据え、束の間であっても彼らの純粋な愛情や幸せを描いてみせた。二つの小さな麦の花がやさしく揺れるラストは、彼らの幸福を象徴して儚く感慨深い。本作は監督の故郷で撮影され、出演者もハイ・チン以外は監督の親類などが務めたとのこと。時代の変化の中で、世界の片隅で土と生き、やがては土に帰るものたちを描いた珠玉の作品だった。
余談だがこの映画、中国では当初全くヒットしなかったそうだ。しかし中国の若者たちの間でこの映画の素晴らしさがSNSで拡散され、この映画の大ヒットに繋がったらしい。日本ではあり得ないことで、少し羨ましい話ではある。
第72回ベルリン国際映画祭コンペティション部門出品作品
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