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「をはらせ屋」 〜終活サポート水先案内事務所の優しい怪奇譚〜 1章 第4話(全13話)

第一章【case1.船木家の終活】 第4話


 ◇

 今回の依頼人である船木秋男あきおさんは、軽い認知症を抱える妻・春子さんの他に頼れる身内のいない、八十過ぎたばかりの爺さん。
 長年、妻の春子さんと二人きりで細々と暮らしていたが、日に日に顕著となる春子さんの認知障害を目の当たりにしているうちに自身の将来にも不安を覚え、『終活』を決意。
 たまたま春子さんが手に持っていたメモ用紙の裏側に書かれていた『水先案内事務所』の事業案内ビラに目を留めて迷っていたところ、定期的に世話になっているデイサービスの職員から評判を聞くことができ、また、場所もさほど離れていなかったことから縁を感じてこの事務所を選び、問い合わせの電話をしたのがきっかけだったそうだ。
「しかし驚いたな。ただの受付のお嬢さんかと思えば、事務所の所長さんだったとは」
「申し上げるのが遅れて申し訳ありません」
「いやあ、お若く見えるのに大したもんだ。知人に聞いた話だとな、昔に身内の付き添いでここの事務所を利用したことがあったそうなんだが、その時は中高年の男性所長さんで、ずいぶん親身になって話を聞いてもらえたり、色々と世話になったとかで……」
「さようでございましたか。おそらくそれはわたくしの父のことだと思います。現在は娘のわたくしが……」
「おお、そうかそうか。まあ、時代もあるしな。個人事務所っちゅうのはそら色々あるだろうね。いやしかし、なんでもその頃は『をはらせ屋』なんていうあだ名までついて、巷じゃそれなりに名の通った事務所だったんだろう? 巷いうても、わたしにとってのソレは老人が集まるような界隈だから、ひょっとしたらお嬢さんらには縁のない場所かもしれんがね。ふぇふぇ」
 爺さんはよほど誰かと会話をしたかったのか、終活相談が始まり、指定のアンケート用紙に記入をお願いしている間も、ひっきりなりに口を動かしていた。
 おかげで裏表あるA4サイズ一枚程度のアンケート用紙の空欄がなかなか埋まらず、相談が一向に先に進まないまま時間だけが流れていく。
 それでも水先さんは全く気分を害する気配はなく、爺さんの話を徹底的に聞いて絶妙なタイミングで相槌を打っていた。
「……さてと、ずいぶん話し込んでしまったな。すぐには書けない部分も多くてかなり空欄が増えてしまったんだが、これでいいかな?」
 アンケート用紙の記入が終わったのは、それから三十分後のこと。
 その頃になると、爺さんと婆さんの前に置かれていた湯呑み茶碗もすっかり空になっており、横にいた婆さんはやや眠そうな顔つきで、応接室にかけられた振り子時計の振り子をぼんやり眺めていた。
「ありがとうございます。今はわかる範囲で結構です。少し確認させていただきますね」
 そう断りを入れてから、水先さんは俺に、小声で簡単な作業を依頼する。言われた通りに給湯室に向かい、あらかじめセッティングされていた一式を使って新しい茶を入れ、小さな皿に盛られた個装の茶請けを添えて応接室へ戻る。
 難なくお茶出しの任務を遂行し終えた頃、ちょうど彼女も記入済みアンケート用紙のチェックを終えたところのようだった。
「お待たせいたしました。まずはじめに確認させていただきたいのですが、船木様には奥様の春子様以外に連絡のとれる親族の方はいらっしゃらない、ということでよろしいでしょうか?」
 水先さんからの質問に、船木の爺さんは小さく頷く。
「ああ。わたしには兄弟もいないし、妻の春子も似たようなものだからな。まあ……本当は息子が一人おったんだが……」
 そこまで呟いて、何かをいい淀むように口を噤む船木爺さん。
 思わず俺は、いまだに爺さんの背後にぼうっと突っ立っている黒い影を見上げた。
 相変わらず影は何も言わないが、何か言いたげにこちらを見ている……ような気がする。
 もちろん、俺に視えているのはただの黒いモヤでしかないわけで、その影が爺さんの息子だという確証もなければ、そのモヤが何を考えているのかなんて解りゃしないのだが。
「……」
「さようでございましたか。ご子息の件、何かご事情が……」
 何も言えずに成り行きを見守る俺の横で、水先さんが静かに相槌を打った時だった。
「そういえば、おとうさん。夏樹なつきは次いつ、大学の学生寮からこっちに戻ってくるんですかねえ」
 それまでずっと無言だった春子さんが、不意にとぼけたような声でそんなことを言い出した。
 いきなり核心に触れるような発言に、どきりとしたような顔を上げる俺。
 船木の爺さんはにわかに苦笑して頬をかくと、「あぁ」とこぼした。
「春子や。夏樹はもう……何十年も前に、事故で死んだじゃないか」
「事故……」
「ああ。ショックで伏せるわたしに変わって、葬儀やらなにやらの手配をしてくれたのは……春子、君だったろう。忘れてしまったのかい?」
「……。そう、でしたか……」
 優しく諭すように、悲しい現実を突きつける船木の爺さん。
 過去形で語られていたところからなんとなくそんな空気は感じていたが、やはり、亡くなっていたようだ。
 だとすればきっと、彼の背後にいる黒い影は息子さんのものと推察するのが妥当だろう。
 悲しそうに俯き、再び元気のない顔で押し黙る春子さんを見て、無性に胸がつまる。
 シン、とする応接室。
 船木の爺さんは、沈んだ空気を打ち消すよう、気丈な声を返す。
「すみません。以前は彼女もしっかり覚えていたというか……むしろわたしよりも、春子の方がきちんと息子の不幸と向き合っていたはずなんですが、今ではもう、その頃の記憶も曖昧になってしまったようで……」
「病の影響もありますでしょうし、無理もございません。春子様も秋男様も大変お辛い経験をなされたのですね」
「そうだなぁ。息子は事故死だったんだが、あれは本当に、わたしら夫婦にとって青天の霹靂だった。あの不幸からもう何年も経つというのに……わたしはいまだに当時のことを夢に見て魘されるし、深い後悔から抜け出せずにいる」
 隣にいる春子さんを見つめたまま、わずかに苦笑を滲ませる船木の爺さん。
 水先さんが控えめな声色で尋ねる。
「深い後悔……でしょうか?」
「ああ。わたしはね、息子の声をちゃんと聞いてあげられなかったんだ。明日もある命だと信じて疑わなかったから、自分の気持ちもきちんと伝えられないまま、死に別れてしまった」
「……」
「今さら嘆いたところで罪滅ぼしになどなりはしないんだがね……一人で抱え込むのにもいささか疲れ果てていたところだ。もし、今ここで聞いてくれるというのなら、老人の独り言だと思って、少し吐き出させてはくれないか?」
 遠慮がちに向けられたその視線には、真剣に終活に挑む爺さんの切実な願いが込められているかのようだった。
 爺さんの要望を真正面から受け止めた水先さんは、静かに頷き、二つ返事で了承する。
「もちろんでございます。ここは『きちんと終わらせるため・・・・・・・・・・・』のサポート事務所であり、わたくしどもはお客様のお心に寄り添った支援をすることが務めですから。船木様さえご負担でなければ、詳細を伺えますでしょうか」
 繊細な言葉をさらりと告げ、真摯な表情で爺さんに向き合う水先さん。
 船木さんは水先さんの言葉に縋るように小さく頷くと、思いを馳せるようにどこか遠くを見つめる。
 しばしの沈黙ののち、やがて爺さんはその重い口を開いて、抱えていた辛い過去の一部を吐き出し始めた。



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