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院生日記_その18

こんにちは。
月に1回は書こうと意気込んでいた院生日記ですが、今月はなんと2回目です。
4月って始まりの時期だからか、気持ちの整理が必要な状況が想定より早くきました。
もしよろしければお付き合いください。

なんと言っても最近、全体的に暗いんだよなというのが自分への印象です。
もちろん外に向けては明るく振る舞っているんですけどね。
楽しく過ごしていることも十分にあるし、何か大きな出来事があったわけでもなく…
ただ、ベースが暗いなって。
もうちょっと素の状態の自分を明るく過ごしたいなという所感です。

そのためにどこを整理したらいいかなっていうのを2つ見つけました。
1つ目は孤独との向き合い方について、2つ目は博士課程とその先の見通しについてです。

まず孤独との向き合い方についてですが、私はもうちょっと強くなった方が良さそうです。
すごく簡潔に表現すると、私は寂しがりやなんだと思います。
1人の時間も必要だけれど、前提として人と関わるのが好きで、人と話すのが好きなんです。
でも、博士課程になってからは、基本的にひたすら自分との対話なんですよね。
その対話の上で、過不足については他人の論を参考にしてみたり、はたまた教授に相談してみたり、ゼミや学会で発表してみたり…
そういうのはあるんですけど、その全ての工程の前段階に自分との対話があるんですよね。
とてもありがたいことなんだと思います。
そんな自分の意見ばっかり聞いてる仕事なんてそうそうないだろうし。
研究はむしろ、この世の既知のものを覆したり広げたりするためにあるものだから、他人の利益のために動く訳にもいかないってスタンスなんですけどね。
でも、若干25歳、自分との対話で生み出せるものなんてたかが知れていて、もうどっちかというと落胆の嵐な訳です。

こういう時こそ、目の前のできることをひたすら頑張るべきなんだと思います。
どんなに大したことないことでも、新芽だと思って大切に育てるべきなんです。
どうせ大したことないからって色々切り捨てても、大したことに出会える訳ないですから。
いや〜でも、この地道に自分を信じて繰り返すみたいなところが辛いですね。
しかも孤独。
逆にこの作業を、他人と共同してやる方が難しいですから。
1人で頑張らないとなのは至極当然なんです。

この状況に心折れかけてるのが今の私ですね。
だから思っていたより余裕がない。
こうやって十分な時間とお金を与えられた状態にありつけたにも関わらず余裕が持てていないという事実自体が、自分を焦らせている気もします。

ではどうしたらいいんでしょうか。
目の前のことを頑張ろうにも、元気がないと大変です。
そしてその元気は、楽しいことや良いことから生まれるけれど、私の日常のメインである研究がちゃんと進行しないことには受け取れないものでもあります。
でも、研究で心折れかけてるのに、研究進まないと元気になれないんじゃもう詰んだというか…
どこに打開策があるかと考えたら、それは孤独を飼い慣らすことなんじゃないかなというのが今の所の結論です。

寂しがりで人と関わるのが好きだけど、私が選んだ研究という仕事は基本1人で進めていくものなんです。
そう、自分で選んだことなんです。
だから1人で進めていくことに慣れなければいけない。
この状況を受け入れて、強くなる時なんだということです。
たとえ、支えてくれる人が傍に居たとしても、それでも研究は個人で進めなければならないという事実は変わりません。
だから、今やるべきは、心の拠り所を見つけることじゃなくて、自分を強く太く育てて、孤独を飼い慣らすことなんだと考えるようになりました。
ちゃんと耐えるべき時なんですよね。
本当は誰かに頼りたいし、教えてもらいたいし、なんなら同情して手伝ってほしいけど、でもこれからのことを考えたらそれではダメなんです。

もうずっと前から自分のことは自己責任なのに、なんとなくその事実を見てみぬふりをしてきてしまったんだと思います。
上手くいかない時は誰かのせいだし、上手くいったら運が良かっただけ。
そういう考え方をしていたら、自分を通して起こっている出来事なのに、ずっと自分の中には失敗談も成功体験も蓄積しなくて、時間だけが過ぎていきました。
それを辞める時が今なんだと思います。
もっと早くて良かったんですけどね。

少し話題が拡大しますが、人との関わりの中で生きる私というのも少しずつ削っていく必要があると思うんです。
人と関わるのが好きであるが故に、どうやったら人に好かれるかということを知り過ぎてしまった気がしています。
そうやって、他人にとって都合の良い自分の側面を増やしすぎたことで、最近は自分の核となる部分まで、他人用の側面に侵食されている気がするんです。
随分抽象的な言い方になってしまったのですが、自分を見失いかけているし、そのこと自体を正当化する理由まで見つけちゃったという感じです。
これももう辞めたい。

ずっと前からそうだけど、どの選択も自分でしてきたものだし、その選択で日々自分が出来上がっていくんだから、今の自分は自分が作り上げたものなんです。
その自分のいいところも悪いところも、あんまり受け入れてこなかったまま過ごしてしまっていました。
これからは、これが私が選んで作った自分ですと胸張って過ごせるようになりたいです。

随分長々と話してしまったので、自分のためにもまとめると…
元気になるためには、孤独を飼い慣らす
孤独を飼い慣らすためには、強くなる
強くなるということは、自己責任で毎日を生きる
ということかなと、今は思っています。

あ、でもやっぱり誰かに助けてほしいって思っちゃったり、心許ないなっていう時は、趣味に全力で頼ろうと思います。
好きなキャラクターやアイドルのコンテンツに触れるとか、ゲームするとか小説読むとか、映画見て泣くとか。
強くなれたとしても、ある程度私はちゃんと弱いはずですから。
そういう時は、いろんなものに頼らせていただいて生きて良いはずです。

そろそろ2つ目に移りたいと思います。
博士課程とその先についてです。
確か少し前のノートで、先のこと考えても分かんないし、とりあえず今できる、論文を書くことを頑張ろう、的なことを書いていたと思うんですが
正直頑張れていないです。
ここを頑張れていないことで自分を責めて、元気がなかったりしています。

だって、論文書くの難しいし(知ってたはずでは…?)、書いて何になるかよく分かんないし。
とにかく書かなきゃという気持ちだけが膨らみ続けて、実際はさほど進歩もない毎日を過ごしています。
この、気持ちだけはあるっていう状況よくやってしまうのですが、とっても良くない。

なぜ目の前のことを頑張れていないのかな、というのを考えてみたんですが、
私は先に見通しを立てて頑張っておくことの美味しさを知っているので、とにかく目の前のことだけを頑張るということが苦手なんじゃないかと思うようになりました。
つまり、見通しも立たない(インセンティブが見えない)ことは頑張れないということです。

事実として、3年後のことは今考えても分からないのには変わりありませんが、仮にでも見通しを立てておいた方が良いということですね。
では、今その見通し(仮)を立ててしまおうと思います。
ついでに膨らみぎた気持ちも一緒に処理してしまおうと思います。

・見通し(仮)_その1
論文を投稿したらひとまず研究専念義務を果たしている気持ちになれる。

・見通し(仮)_その2
1つ論文を投稿できれば、次に書きたいものが見つかり、研究者としての道を選ぶ決心がつく可能性がある。
逆に見つからなかったならば、この形での研究は3年間のものと割り切って向き合うことができるようになる。

・見通し(仮)_その3
論文を投稿する以外に同時進行で色々なものにチャレンジしておけば、他の道を歩むことになった時の候補が増えて安心できる。

どうしても仮の見通しなのでふわっとしていますが、それでも見通しが全くないより気持ちが楽です。
そしてなんだか頑張れそうな気さえしてきました。

気持ちが良い方向を向いてきたところで、今回は締めたいと思います。
この調子てやってみて、また5月のどこか然るべきところで書きに来る予定です。
私はあまり休日という感じのGWではなさそうですが、休めるときにしっかり休んで日々を過ごしたいと思います。
暑くなってきたので水分補給を意識しつつ、皆様良いGWをお過ごしください。


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