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夜のドライブ

夜のドライブが苦手だった。暗い車内には、彼の好きな曲が迷いなく流れ、街並みは容赦なく過ぎ去る。何もついていけない。何も捉えられない。

夜のドライブは、「どうせ終わる」ことの象徴だ。もうすぐデートが終わる。楽しかった時間が終わる。そのあと芋づる式に頭に浮かぶ言葉は、今度いつ会うのかわからない、もう会わないかもしれない、だった。

頭をぐるぐる......巡る、独りぼっちの感情たち。言葉にしてみればいいのに。委ねてみればいいのに。できなかった。頑なに口をつぐむ自分に、結局のところ誰のことも信じる勇気がないんじゃん、と。情けなかった。

ただ彼に合わせて曖昧に笑うことしかやり過ごす方法を知らない。ぎゅっと締め付けられる胸の張り裂ける痛みを、ちゃんと実感するほどに寂しかった。

***

漆黒の空に蛍光灯が散らばる、空っぽな駅が大嫌いだ。それなのに、笑顔で「じゃあね!」と車のドアを閉める。

車を見送り駅のホームへと歩き出すと、ぶわっと涙が溢れた。身体中から、ありとあらゆる細胞から、搾り出された強烈な寂しさと苦しさと情けなさ。痛みは容赦なくこころを突き刺し、赤く黒い血がどろりと流れた。

恋なんてしなければいい。これは恋じゃない。

そう必死に言い聞かせる。「どうせ、終わる」恐怖から目を逸らしたくて、逸させなくて。大粒の涙を流しながら改札を通った。たくさんの人とすれ違うのに、結局誰とも目があうことはなかった。

***

もう来ないだろう。

そう勝手に思っていた夜のドライブは、その後何度も続いた。楽しく夕飯を食べた帰り道、彼は必ずわたしを乗せて車を走らせた。片道50kmもある道のり。その辺で降ろされても、きっと笑って手を振り改札をくぐったはず。

それなのにどうして。毎日毎日連絡をくれる彼は、どうして私の手を離さないのか、どうして目を逸らそうとしないのか。切なくて、楽しくて、苦しくて、嬉しくて、不思議だった。

そうかと思えば、彼の容赦ないまっすぐな感情をぶつけられ傷つくこともあった。「どうしてそんなことを言うの?」「どうしてわからないの?」次第に、彼に一生懸命気を遣おうとすること、好かれようとすること自体に疲れていった。

「もう、嫌われてもいいと思って接する!」

彼が自分をさらけ出すように、わたしも自分をさらけ出して楽になるのなら。そんな願いもあったかもしれない。もしこれで嫌われるくらいなら、最初からそうだったってことだ。自分に言い聞かせ、半分自棄くそになり送ったメッセージ。

なのに、彼の返信は拍子抜けしてしまうほどあっけらかんとしていた。

「たぶん、嫌いにならないと思う!」

え?嫌いにならないの.....?

何年も独りで抱えていた劣等感や不安や自己否定を、いとも簡単に溶かしていく彼。それは嬉しくもあり、ときに腹立たしかった。こころの中に簡単に入られることが嫌で、なんで勝手に入ってくるの!と、怒りを覚えることさえあった。

でもどうやら、「わたしのため」というやさしさや善意はないらしい。思いっ切りドアを叩き、ぶち破り、真っ暗な殻に閉じこもるわたしの手を引いて、一緒に外の世界へ出てくれるその表情を見ると、なぜかいつも苦しそうで。

本当の自分を知ってほしい、自分を偽りたくない。そう目一杯に力を入れ牙を向けながら生きる彼は、痛いほどに切実だった。


ああ、この人はわたしを救おうとしたんじゃない。必要なんだ。彼は彼のために、必死なんだ。

怖いのはわたしだけじゃない、だとしたら・・

このままの自分でいたらいい。安心して、わたしはわたしでいたらいい。


ふっと肩の力が抜けたとき、少しずつ、少しずつ。ぽつり、ぽつりと、自分の気持ちを彼に打ち明けられるようになっていった。

見られたくない。無かったことにしたい。封をしていたい。ずっと昔の辛かった経験。誰にも言えず一人で傷つき続けていたこと。彼に言われて傷ついたこと、腹が立ったこと、されて嫌なこと。

こんなこと言って、受け入れてもらえるのだろうか。面倒臭い女なんじゃないか。結局、捨てられるんじゃないか。気持ちを伝えるのが、自分を見せるのが、怖かった。プルプルと怯えながら返事を待っていると、いつも彼は「ちゃんとここにあるよ」と丸くてやさしい愛を教えてくれた。


「おれ、言ってくれないとわからないから。言ってくれるの嬉しい」

「不安にさせるつもりはなくて、本当にごめんね」


そうか、大丈夫なんだ。この人は、ちゃんとわたしに愛を持って側にいてくれる。安心感を与えてくれる。心から安心してほしいと思ってくれている。

それまでは彼の手に引かれて出ることしかできなかったけれど、彼からの愛情を受けるうち、次第に自立できるようになっていった。自分の言葉で、自分の意思で、光の刺す世界へ行くことを選べるようになっていったのだ。

***

きっとこれからも続く。そう思いたい。夜のドライブをいくつも経たある日。

あんなに自分の気持ちを打ち明けることを怖がっていたわたしが、溢れる気持ちを、自分の言葉で、彼に伝えられるようになっていた。

今の関係に、不安なこと。大切に思ってくれていることは伝わっていること。彼の気持ちを尊重したく、そこまでで止めた言葉たち。

どんな反応をされるか怖い。だけど黙って一人でモヤモヤしていることのほうが2人にとってよくない。そのことを教えてくれたのは、他でもない彼だから。勇気をだして、素直に、委ねてみた。

わたしの言葉に、一瞬思いつめた表情で遠くを見たかと思えば、悔しそうに髪をクシャクシャさせる彼。


そのあと誘われたのは、夜のドライブだった。


なんでもない話をして、バカみたいに笑って、彼の好きな曲に身を預けて。通り過ぎる会話も景色もなにも変わらなかった。

それでも漂う「いつも」の空気を破ったのは、いつもより少し低い彼の声。

ああ、さっきの話をされるんだな。

すぐにわかり、胸が痛かった。結局また、傷つくんだ。「どうせ、終わる」夜のドライブ。脳裏をよぎるのは、少し前の自分の言葉だった。

いつもより明るめの声を出してみる。笑顔でいようと努めた。彼からどんなことを言われようと、全部受け止めよう。そう思って、静かに耳を傾ける。彼の言葉をぽつぽつと聞く、そのとき。



「美里のこと、好きだから」


「付き合ってほしいと、思ってる」


「美里の好きなところは、たくさんあるんだけど・・・



少し遠慮がちな彼の声は、いつもの何倍も、何十倍も、素直で、やさしくて、温かかった。


夜のドライブで告げられた気持ち。涙がぶわっと身体中から込み上げた。そんなわたしの目をちゃんと捉えてくれる彼。幸せな気持ちが溢れ流れだす涙を、初めて経験した夜だった。


***


小さなベッドでくるまる、彼の腕の中。初めて聞く彼の声に、初めて見る彼の表情に、胸がいっぱいだった。彼の頰に、彼の唇に、彼の腕に、触れるたび、わたしのなかの何かが弾ける。大きくてやさしい彼が、ぎゅっと身体を抱いてくれるぬくもりを感じると、何度も何度も泣きそうになった。

彼と手をつなぎ、安心して目をつぶる。

気持ちよさそうに眠る横顔を見ていたら、つながれた手に想いを馳せていたら、頭の中にたくさんの言葉たちが星の数ほど降ってきて。結局、部屋の中に白い光が差し込む時間までまったく眠れなかった。

それなのに。大好きな人と迎える朝は、これ以上ないくらいに綺麗だった。

***

溢れた感情を安心して伝えていいと教えてくれた彼。ありのままの自分で人と信頼関係を築けるんだと教えてくれた彼。こんなわたしを好きなってくれた彼。

きっとこれからも、2人で乗り越える。その自信が、確かにあるんだ。


終わらない、これから始まる。夜のドライブ。



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