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とんでもない選択?

あー私はさらっととんでもない選択をしたのか?

そう思ったことがある。二年前の秋だ。

当時私は娘を産んで2ヶ月、里帰りで関西にいた。当初は産後を完全にナメており、1ヶ月で戻ろうと思っていたけれど、人手のありがたみを実感しながら2ヶ月実家でお世話になった。さてもうそろそろもと住んでいた関東に帰ろうか、という話をしていたとき、関東はコロナの感染者が増えに増えていた時期だった。

産後の激弱メンタルで、慣れない育児を一人でこなすことになる。その上コロナにもしもかかったら大変どころではない。産前は自転車を乗り回していたけれど、目星をつけておいた小児科まではたしか歩いて15分くらいかかった。私の両親は関西、夫の両親は長野県。助けにきてもらうほうがリスクがある。

私たちでどうするか会議が行われた後、生後1ヶ月経った娘に会いに来てくれた義両親、私の親と共に緊急会議が開かれた。

引っ越すか

私たちでおおよそ結論が出ていたけど、やはり引っ越すことになった。長野には夫の両親及び夫が勤める会社の本社があり、ゆくゆくは長野に住むという話は結婚当初から出ていた。しかし私も夫もこどものいない若夫婦だったので、(とくに私は)いやいや都会で暮らせばええやんと思っていた。義両親とうまくやっていけるかも不安だったし、何より私は生粋の海育ちで、山に囲まれる生活に抵抗があった。

とはいえ、コロナの情勢はすぐ変わるものでもなければ、自分達で変えられるものでもない。すごく泣いた記憶がある。関東で親子3人暮らす想像をしていたのに。大きなお腹で散歩しながら、産んだらここの公園に来ようかななんて思っていたのに。

義両親と両親の後押しもあり、しばらく夫の実家に居候させてもらう形で引っ越しが行われることになった。家も見つける前に、とりあえず身体だけを移すことにしたのだ。

いざ長野へ

引っ越す当日は、義両親が車で迎えに来てくれた。長野とは関西から陸路で向かうにはなかなか難儀な土地で、はるばる東京まで新幹線に乗ってそこからさらに乗り換えるか、名古屋まで新幹線に乗って特急に乗り換えるかしないといけない。ドライバーはたくさんいるから、と車で連れていってくれることになったのだ。

 朝御飯はレーズンパンだった。マーガリンが出てくるタイプの。あとは卵とウインナー。義両親は別のホテルに泊まっていたので、私の親と夫と私(と娘)で食卓を囲む。なんとも独特の緊張感、というか出陣感があった。ほら貝があったら吹いていただろう。


車に乗り込んで、長野へ向かった。途中休憩も見越して午前中に出発したが、長野へ着く頃には夕方になっていた。

車窓から山がみえる。というか山しか見えない。海から5分の場所で育った私にとっては、圧倒されるほどの高さの山である。後に私はこの景色が好きになるのだが、当時はただシーンとした車内でボーッと山を眺めた。そして思った。

あ、これもしかしたら私、このままここに住み続けてここで死ぬかもしれないんだ。

とにかく都会より安全そうなところへ引っ越そう、というのが念頭にあり、バタバタと進んだ話だったので、先々のことまで考える余裕もなかった。私は元来、周りの環境ががっつり変化するのをあまり好まない。自分でやるぞ!と思ったものならいいのだけど、今回みたいに環境要因でどうしようもなくみたいなことは人生のなかでもあんまりなかった。

夫の祖母は静岡から嫁いでもう数十年、すっかり海の人から山の人になっていた。私もそんな感じになるのかな、などとぼんやり考えた。

あれから1年と7ヶ月。

心配していた山暮らしにも慣れてきた。冬の寒さに驚いたり、しばらく落ち着いていた冬季うつの症状が出てきたり、気圧の違いを感じることは多々あるけれど。
山の景色は四季の移ろいが感じられて、海にはない良さがあることも知った。あのとき「とんでもない」と思っていた選択も、住めば都、慣れれば楽しく暮らせている。

けれど、あのときの、曇天の夕暮れのなか思ったことを忘れまいと、この文章を書いた。

関東に戻ればよかったと泣いたこともあったけど、結果こうして今日も暮らせていて、よかったなあと思う。そして、これからも、よかったなあと思いながら生活していたいと思う。

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