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日本で教育を受けられていない子ども

「日本で教育を受けられていない子ども 19万人」

 こんな見出しが躍っていたら、多くの人はぎょっとするかもしれない。「そんなわけはない、日本には義務教育という制度があるのだから。」きっとそう考える人が大半であろうと思う。しかしこれは残念ながら事実である。なにしろ日本では19万人の子どもたちが、不登校状態なのだから。

 「いや、不登校の子どもたちは別に『教育を受けられていない』わけではないんじゃないか?」と、ややひっかかりを持たれる方も大勢おられよう。SDGsの目標の4番目に「質の高い教育をみんなに」が挙げられているが、きっと多くの人が思い浮かべる「みんな」のイメージは「学校のない、貧しい国の子どもたち」だろうと思う。「日本にはちゃんと学校があるじゃないか」と。しかし学校というハコと場があっても、そこに行けない・行きたくない子どもたちが日本には19万人いて、その子どもたちは誰がなんと言おうと公教育を受けられていない「みんな」である。

 「学校に行きたくないなんて、ワガママで甘えだ。」と殴りかかってきたり、「社会はもっと厳しい。そんなことでは社会の中でやっていけないよ。」と脅してくる大人で溢れかえっている本邦。しかしなんで19万人もの子どもたちが拒否している「厳しい社会」を我慢してせっせと維持することが前提になっているんだろう?こんなエンドレスの我慢比べ大会はもうこりごり。「みんな」ができるだけ我慢しなくていいような「やさしい社会」へと創りかえていけばいいのだし、19万人もの子どもたちはその担い手でありパートナーである。

 子どもたちが「生きたい」と思える社会、子どもたちが「行きたい」と思える学校を、それぞれの場所で手作りしていこう。「しんどい」と思ったら声をあげることができて、その声を聴き合い、「しんどい」環境に手当てを施していける市民になりたい。そんな願いを胸に地域の中で子どもたちの居場所作りをこれまでしてきたが、今後は学校の中にもそうした場所を作れたらいいなと、仲間たちと思案している。

 質の高い教育を「みんな」に。
 そこに主語は書かれていない。空白のその部分に、「学校」「先生」「行政」「国」と放り込んでいくこともできるけれども、私はそこに「わたしは」を置くことに決めた。そして学校・行政・国と立場は違っていても、空白の主語に「わたしは」を置いている人たちと手を携えていきたいと思っている。

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