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学校に行くとか行かないとかいうよりも

 あっという間に3月。
 40半ばにして(私が!)大学に在籍して1年になった。ひぃひぃ言いながらではあるが単位も順調に取得、実習へ出る資格判定にも合格できた。途中心折れそうになる出来事もあって、「もう辞める!」と大騒ぎをしたこともあったが、みんなたちが優しくなだめてくれて何とか続けられている。あと1年、がんばります・・・

 ムスメさまも高校へ進学して1年になり、つい最近「お母さん、1年経ったよ。」とほっとした顔で呟いていた。中学3年間「学校に毎日通う」ということをしていなかったので、高校になって週に3日通学とはいえ、「本当に通うことができるのかな?」という不安もあったのだという。とても楽しく学校へ通い、文化祭実行委員として大活躍、新しい同好会を立ち上げるなどアクティブに活動している様子からは全く分からなかったけれども、「合わない」と感じて撤退した「学校」。学校種は違えど、同じ制度にまた参加してやっていけるのか不安だというのは、至極当然のことだと改めて思う。

 そんな不安を胸に秘めながらも、ムスメさま、高校生活を大変にエンジョイしている。たくさんの種類の高校を実際に見に行き、自分の目で見て回って最終的に選んだ高校ということもあってか、自分の学校に誇りを持っている様子がなんとも眩しい。数ある高校の中から「ほかでもないこの学校を選んだ理由」が彼女の中で明白なので、そこに照らして「この学校らしくない」と思うようなことがあれば手厳しく批判をするのも、学校が示す(教育の)ビジョンに深くコミットしているからだろうと思う。私は(自分が通ってきた)学校に対してあまり期待をしていなかった(できなかった)から、そんなふうに学校に対して信頼感を持つことができるのはなんだか羨ましくさえある。

 たとえば。先日ムスメさまは文化祭実行委員の代表として、附属の大学の理事長と対談する機会を持ったのだけど、「対談っていうのは、こういうことなんだなぁと思った」としみじみ喜びをかみしめながらその様子について語ってくれた。文化祭実行委員として、「来年はもっとこうしたい」などメンバーからの要望や意見を集約し、要望書まで作成して臨んだ対談。その場で理事長は高校生たちの意見をきちんと聞いてくれただけではなく、「権限は自分にはないから、(権限のある)大学の文化祭実行委員会とつないであげる」と仰ってくださったそうで、理事長が権力を持つ人として決定を下すのではないという点に関して「独裁じゃないんだと思った」「この自由な学校を創ってきた人だと思った」とムスメさまは嬉しそうだった。そして「なんでもやってみて」「失敗してもいい」「分からないことがあったらなんでも聞いて」と、生徒たちのチャレンジを励ましてくれたそうで、「この学校らしい」とムスメさまは誇らしげに評していた。

 理事長と話をする、ということを聞いた時に、私は「大人が頑張れ」と実は思っていた。子どもたちの話を受け止める側の「大人」が頑張れ、意見表明する「子ども」が頑張るんじゃないぞ、と。とりあえず子どもの意見も聞いてみました、みたいな形ばっかりの対談で、子どもたちをがっかりさせないで欲しいと思ったのだ。今の子どもたちにとって圧倒的に足りないのは「意見を表明する」ことそのものより、その意見がめちゃくちゃ尊重され、きちんと検討され、ものごとがよい方向に変わっていく「手ごたえ」を感じることができる、そういう経験だと私は思っている。「言ったところで変わらない」という無力感を植え付けられるだけの意見表明の機会は、むしろ有害でしかない。

 だから誇らしげに対談の様子を報告してくれたムスメさまを前にして、本当によかった、と安堵した。大人が頑張ってくれているんだ、と。その中できっとこれからも彼女は、安心して色んなことにチャレンジしていけるのではないかと思う。その証拠に、彼女たちは早速横のつながりを積極的に作り始めているし、「学校がいろんなことを応援してくれているっていうことを、もっと生徒が知る機会があった方がいい」と考え、どういう形でそれが実現するか話し合っているようである。おおお。すごいなぁ。

 いきいきと民主的なプロセスを楽しんでいるムスメさまを見ていると、ことムスメさまに関してだけ言えば、「義務教育の後半、学校に行かなくてよかったな」と思ってしまう自分がいる。うーん、もう少し厳密に表現すると、「彼女のこの力は、学校教育の中では育たなかったのではないか。むしろ潰されていたのではないか。」という思いに近い。これまでにもずっと発信してきたことだが、学校で出会った個々の先生はとても素敵で支えられてきたけれども、今の学校システム自体は競争的で、管理的で、全体主義的である。そこから距離をとることができたからこそ、彼女は過度な競争の中で自信を失わず、自分がこうだ、と思ったことは声をあげていいと思え、「伝えよう」という気持ちをくじかれずに義務教育期間を通り過ぎることができたのだと、私たち(夫婦)は思っている。そしてそれができたのも、彼女自身が中学1年生のときに「おうちで勉強したい」という言葉で学校と決別したからである。「ここは私が居られる場所じゃない」、そんなふうに思わせてしまうのは大人として親として胸がしめつけられるような思いがするが、でもそれは長い長い目で見たら自身のメンタルヘルスを守るための大事な気づきであり、かつ自分の持てる力を発揮できる場所を探す旅への第一歩だったんだと、今振り返って心から思える。

 絵本作家の五味太郎さんのお嬢さんも高校を途中で辞められ、そのことに対して五味太郎さんは「学校生活の不条理にハッと気づくタイミングは人によって違う。たまたま彼女がその時だっただけ。」と仰っていたのだけれども、本当にそうだなと思う。そしてどのタイミングにせよ、「気づけてよかった」。気付かないまま、あるいは気づかないフリしてなんとかサバイブして社会へ出てから、合わない環境で頑張りすぎた結果深刻なメンタルヘルスのトラブルを抱える前に、自分はどういう人で、どんな環境が合うのか考える機会を持つことは、これからの時代より重要になってくるのではないかと思う。学校に行けるかどうかよりも、いかに自分が持っている力を潰さずに、心身の健康を保ちながら生活できるかが大事であって、そのための環境を自分で選び作っていく方向へシフトチェンジしていくことが、いわゆる「不登校」支援なのではないだろうか。

 もうすぐ新学期を迎える子どもたち、進学していく子どもたちが「学校へ行けるかどうか」「なんとかやっていけるかどうか」、とても気になっておられる親御さんたちは大勢おられると思う。だけど学校に「行く・行かない」を中心的なトピックにしてしまうと、親子でしんどい。だから「我が子は、自分に合う場所を探す旅の途中(親)」「私は、自分に合う環境を見つけるために実地体験中(子)」とお互いマインドセットできるといいな、と思ったりしている。今しんどい渦中におられる当事者親子さんには「楽観的すぎる」と言われるかもしれないけれども、社会に出る前にその経験値を積み上げられるのは「不登校」のメリットでもある。それくらいのパラダイムシフトを突然強いられるのも「どうなん?」と思わなくもないが(だって本当は公教育が全ての子どもたちを包摂すべきだから!)、でも自分たちができるだけ愉快に、機嫌よく生きていくためにどこかの時点で必要になってくることなのだと思う。そして繰り返しになるけれども、そのタイミングは人(子ども)によって異なり、遅いとか早いとかはない。「もっと早くこうしていれば」という後悔が先立ってしまうこともあるかもしれないが、その時まで頑張ることができたとか、適応的でいられたのもその子ども自身の力である。急に人的・物理的環境が変わって合わなくなることもあれば、本人の発達や育ちのペースと、周囲のそれとがかみ合わなくなってくるということもある。だから子どもが学校へ行きづらくなったとき、行けなくなったとき、「学校に行きたくない」と意見表明した時が、その子にとってのタイミング。その時に「合わない環境になんとか合わせていく」方向を向いていくのか、「自分に環境を合わせる」方略に切り替えるかの選択を迫られることになるけれども、私は、あくまでも私は、ということだが、後者を激推しする立場をとっている。今までさんざん「環境(社会)に合わせろ」と言われ続けて、その中で頑張ってきた人たち(自分も含めて)にとって、その方向転換は容易でないのも分かっている。だから別の価値のシャワーが本当は必要なんだけど、社会の中にまだ十分用意されていないのが現実である。こうして「合わない環境から撤退して、合う環境を探し求めた」ムスメさまの話をするのは、何も「成功例」として提示してドヤりたいからではなく、「自分に環境を合わせる」価値のシャワーを設置するためだと思ってしている。その選択をしてよかった人もいるよ。そういう発信が増えて、別の価値のシャワーになっていったらいいなと願っている。

※この記事は、ムスメさま本人の了承を得て投稿しています。

写真は、お預かりしている子どもちゃんたちと型から作ったアモアスクッキーだよー。これはドヤりたい。ランドセル背負った子どもたちに見えなくもない。

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