「脳は回復する~高次脳機能障害からの脱出」を推す2

 なんなんだ・・・
 風邪なのか、花粉なのか、pm2.5なのか、低気圧痛なのか、あるいはその複合体なのか・・・

 絶不調である。
 歯はものすごく疼き、まぶたはむくみ、肌は荒れ、頭痛と倦怠感、おまけに強烈な眠気。
 あああああ!!!不快である。不快指数振り切っている。

 せめて低気圧からの害を軽減したいと、さきほど頭痛ーる(※1)佐藤ドクター考案の耳栓をポチった。耳栓に2千円近く払うって普段なら勇気いるけど、なんかもう藁にもすがる思い。あぁ効果がありますように。ていうか爆弾低気圧は昨日やったんやし。今更遅い感も半端ないが、でもこれからに備えるんだよー。

 数日前からこんな感じだが、今朝はついに「今日はマックスです!!!」とオットに訴えた。もちろん気の毒がってはくれるが、「ねぇ、この辺(目の周り)が重くて痛くなったり、この辺(口のまわり)全体が疼いたり、頭が重くて痛くてヘルメットかぶってるみたいになったことないの?」と尋ねてもオットは申し訳なさそうに「ないよ。」と首を振るばかり。

 ないの!?なんでないの!?羨ましすぎるでしょ。
 ていうか、サイボーグなの?

 私は花粉その他の見えない物質が飛んでる日は体調で分かるし、「あぁ今日はヘルメットが(頭についているようだ)」と思って頭痛ーるをみるとたいてい気圧が1010を切っている。オットにはない飛来物センサーと気圧センサーが私にはあるのか、あるいは閾値に違いがあるだけなのか・・・よう分からないけれども、こういうことって精神科の患者さんたちにもあったな、とふと思いだした。私には目に見えない何かをキャッチしている、ミスター敏感。どれだけ取り繕って訪問看護しても、「デニムさん(ジーンズを勝手に制服化している私に彼が勝手につけたニックネーム)、しんどいの?」と体調不良は確実に見破り、「デニムさん、今日なんかあったの?」とその日にプリプリすることがあったことを察知する。私がとりわけそういうことを包み隠しにくいタイプだというわけではなく、ミスター敏感の「お見通し力」はスタッフみんなが慄いていた。でも別にそれはオカルトでもなんでもなく、おそらく私が目に見えない花粉情報を視覚以外の方法でキャッチするのと同じで、私とは別用の知覚&情報処理が行われた結果なんだろうと思う。

 あぁいまや、「生きにくいよなぁ、俺たち!!」とミスター敏感の肩を抱きたい気分だ。

 だって別に花粉情報も気圧低下アラートも要らんし。ミスター敏感だって、デニムさんのちょっとした体調不良情報要らんやろ。私は「これ以上花粉きたらor気圧下がったら死にます!危険です。」のちょっと手前でその情報をもらえればそれでいいし、ミスター敏感にいたっては「デニムさん、今からすんごく怒ります」くらいは知っておいて損はない、という程度じゃなかろーか。

 知りたくもない情報を先回りされて押し売りされる。生きにくいわぁ。・・・って、押し売りの主体がまた「自分」っていうのもなんだか皮肉でツライぞー。

 そうなんですよ!

 花粉症に限らずアレルギーや諸々の敏感体質を携えて生きることの哀しみは、「それがどんだけ馬鹿げていて無意味であると分かっていても、反応してしまうことをやめられない」っていうところにあるんでございます。

 「花粉なんてね、少々身体の中に入ってきたところでですね、何の害もないから大丈夫だよ。落ち着いて。」と、免疫を司る小さい方々に直接お伝えしたいところだが、彼らはそんなこと聞いちゃくれない。現場で侵入者をかたっぱしから攻撃して、「これが最適解」と焼野原で居直っている(ように私には見える)。いやいやそんな、国土の一部を焦土化する前に、対話して共存する道を探って欲しいとこっちは(ってどっちだ?)思うが、「そんな悠長なことは言っておられん」と強硬姿勢を崩さない最前線。Jアラートをけたたましく鳴り響かせるどっかのバカモノの国の現状のようだが、でもそれを「どうすることもできない」。あぁ不毛!と思わなきゃならないのがまたストレスフルである。

 たぶんアレルギーに限らず、病気とはそういう事態なのかもしれない。正解というか、進むべき道は分かっているのに、それを自分でコントロールできないということのやるせなさよ。

 鈴木大介さんも「脳は回復する」でこのように記述されていた。(よ、ようやくここで推し本の話題につながった・・)

 変な視線、変な表情、変な話し方。僕は絵に描いたような挙動不審人物になってしまった。脳梗塞を起こすと人は性格が変わったようになるとは聞いていた。けれど違う。僕は僕として、変わらずにあり続けている。けれど、性格や僕という人物が変わってしまったのではなく、病前の僕と同じようなパーソナリティでいるための「僕自身のコントロール」が失われてしまったのだ。自分で自分が変だとわかっていながら、「変でない自分」であることができないのだ。P16

 あぁ・・・
 「コントロールしたいのに、コントロールできなくて苦しんでいるひと」、そんなまなざしを私は向けることができていただろうか。つらいけど、いや自業自得なんだからつらいなんて言っちゃいけないんだけど、「全然できてない」具体的場面のほうがたくさん思い返されてしまう。「コントロールできなくて苦しんでいるひと」を「コントロールなんて手放している」かのように見ていた自分、なんなら「わざと」そんなふうにしているんじゃないかと悪意に受け取っていた自分さえいる。こうして翻訳してくれる人がいなかったら、「あの時のあの人の振る舞い」の意味を永遠に誤解したままだったように思う。

 それにしても「コントロールできる」ということが当たり前すぎて、コントロールしたいという意思がありながらも「コントロールできない」という事態をナチュラルに想定するのは非常に困難である。だから「コントロールできないなんてありえない」→「コントロールしないだけだ。」と短絡してしまうのだろう。そこのところの論理はあまりに自動的に起こるものだから、相手の「コントロールしないという不遜」に対してプリプリと塩対応してしまうのだと思う。

 でもさ、
 きっと本当は「なんでもコントロールできる」わけないんだよね。

 実際私は花粉に対応しているゲートキーパーたちをコントロールできないし、気圧変化を感知する内耳に「落ち着け」というメッセージを届けることができない。コントロールしたいと願いながらも、コントロールできないことなんて無数にある。相手の振る舞いを不審に思ったり、やたらと悪意に受け取っている時には、このことを思い返してみたいと思う。

 ていうかもっと言ってしまえば、
 「コントロールしている(できている)」と思っていることの多くが、「わたし」の与り知らぬところで奇跡的に行われているんだと考えたほうがむしろ合理的なんじゃないかと思うのだ。

 脳コワさんが書かれた著書の中でも「脳は回復する」と同じくらい優れた記述を展開している「脳はすごい」にも、こんなシーンが登場する。著者のクラーク・エリオット氏は交通事故による脳震盪で脳コワさんとなり、様々な困難に見舞われる。ある時氏は空腹のため何か食べようと冷蔵庫へ向かって、中にあったサラミとリンゴを取り出してきたのだが、「どちらから先に切るべきか」決める段階で凍りついてしまう。どちらから先に切っても同じことだと分かっていても、「意思決定を下すという生得的な能力を行使でき」ず(p79著者引用)、サラミもリンゴも冷蔵庫に返してしまう。

「リンゴが先か、サラミが先か」のどちらかを選択することは、まったく選択しないより、はるかにマシだという知識は、私にとっては何の役にも立たない。(P83)

 サラミかリンゴか選べ。・・・分かってるよ。でも、どうやって?
 花粉は敵ではない。放っておけ。・・・百も承知だ。でも、どうやって?

 「どうやって?」が分からない人にとってそれは、奇跡的な魔法なのである。そして魔法使いたちだって、自分の魔法が「どうやって」繰り出されているのか知的に説明することなどできないことが多い。「今日の気分はサラミ♡」と即決できる魔法とか、「花粉ネガティブキャンペーンをやめさせる」魔法とか、説明できる?いわんや、自らの努力でその魔法をゲットしたわけでもない。

 そんなわけなもんで、個人にコントロールを厳しく求める社会なんだけれども、そしてそれはとても大事なことでもある反面、場合によっては「おい、魔法をしっかり使え!」というのと同程度の理不尽を要求しているかもしれないということを、覚えておきたい。

※1「頭痛ーる」
気圧・温度・湿度などの気象に関わる変化が、頭痛その他の体調不良をひきおこす「気象病」。「頭痛ーる」は気圧変化をグラフで表し、気圧低下情報を教えてくれるアプリである。気圧の変化は内耳で感じ取るため、その影響を抑えるための耳栓が発売されている。

引用文献
・鈴木大介, 脳は回復する 高次脳機能障害からの脱出, 新潮社, 2018.
・クラーク・エリオット著, 高橋洋訳, 脳はすごい-ある人工知能研究者の脳損傷体験記-, 青土社, 2015.

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