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「頑張る」再考

 ホームスクール中の中学生ムスメさま、もうすぐ定期テスト。普段は家で学習を進めているのだけれども、学習進度は概ね学校に合わせていて、定期テストだけは受けに行っている。学習計画をたてるサポートは今も続けているけれども、これも今は「あーだ、こーだ」自分で考えるための「つぶやき相手」程度になっているので、ムスメさまはずいぶんと経験値を積み上げられているなぁと感じている。たてた計画の通りにいかずに遅れがちになるようだけれども、まぁ計画なんてそんなもんだよね・・・と思う。計画通りにいくことが大事なのではなくて、うまくいかなかったら計画を見直したり、軌道修正したり微調整することができるようになれば最高なのでは?という話をムスメさまにはしている。

 しかしそうは言いながら、「自分でたてた目標なんだから、それを達成するためにもうちょっと頑張ってもいいのでは?」という内なる声の存在を我が身に感じてややこしい。大概はぐっとその言葉を飲み込むけれども、飲込めずに漏れ出てしまうことが1割くらいの頻度である。「うーん、もうちょっと、やろう!って決めてやってみてもいいかもねぇ。」なんて、相手にとってなんの助けにもならないクソバイス(クソなアドバイス)をしちゃったりしてるんだな、これがまた。自分が「毎日家計簿をつける」という高い目標をたてたのに、「昨日もまたやらずに寝てしまった・・・」なんていう時に、「せっかくたてた目標なんだから、頑張りなよ!」って人から言われたら「やれるならとっくにやってるわ!(うっせーな。)」としか思わんもんね・・・それなのに他人(特に権力勾配がある弱い立場の人)に対しては、「自分で決めたことなんだから頑張れ」と、「圧倒的正しさ」で殴っちゃうんだから情けない・・・

 もちろんね、「頑張ることができる」ってすごい力だと思うし、「頑張ることができた」ら「えらい!」「すごい!」と、他者に対しても、自分に対しても褒めちぎったらいいと思う。甘あまな人間なので、現にいつでもそうしている。でも「頑張ることができる」ことを「善」「正しい」という基準で評価してしまうと、「頑張ることができなかった」時にそれが反転してしまって、「悪」「間違っている」とジャッジされてしまう。だけど「頑張ることができない」って、「悪」とか「間違っている」って(とりわけ他者から)ジャッジされなくちゃいけないことなんだろうか、と思う。ニンゲンはいつでもどこでも頑張れるわけじゃないし、頑張ることができる「条件」や「環境」が整わないことだってある。かつて私は子育ての自己責任論に唾を吐きながら、「子育ては、内も外も大自然なんだから」という記事を書いたことがあるけれども、ナマモノとしての人間、自然環境に身を置いている人間、という視座を欠くと、ままならないことの多い日常が必要以上に過酷なものになってしまうんじゃないかと警戒してしまう。

 子どもがホームスクールを選んでいるからというのもあるし、学習支援をしていることもあり、教育関係(者)のSNSを割と多くフォローしているのだけれども、塾の先生がたのご発言をしんどく思うことが結構ある。公教育が「うーん、いまいち・・・」と感じざるをえない状況の中で、新しい実践をされていたり、オルタナティブな教育観を発信されておられるので、非常に(私自身の)学びになるし、共感できることが多い。のだけど、誤解を恐れずに言うと、文化系マッチョな雰囲気をどうしても感じ取って引いてしまうことがある。もちろん塾という場所では子どもたちそれぞれに「志望校合格」というはっきりとした目標があって、それに向かって頑張ることを応援しなくてはいけないのだから、「がんばれがんばれ!」と(いう雰囲気に)なるのは当然である。子どもたちなりに頑張れることを応援する、そのこと自体を否定するつもりは全くないし、ブルーハーツみたいに「心の中では/ガンバレって言っている/聞こえてほしい/あなたにも/ガンバレ!」とは思っている。でも「頑張れない」(子どもの)ことをジャッジして嘆いたり批判したり、「頑張れる」子どもと比較して頑張れない子どものことを下げたりするのを見聞きすると、正直胸が苦しくなる。今頑張れなかったら社会に出ても頑張れない・・・というような論調だとなおさら。え、そんなの「頑張る」行為が変わったら頑張れるかもしれないし、頑張れる環境が整ったら頑張れるかもしれないんだから、勝手に悲観して呪いをかけないで欲しいと思う。そしてそもそも、「ぼちぼち」でやっていけたっていいわけで。

 「頑張ること」そのこと自体はよいことだから、「頑張ることができる/できない」という評価の軸が導入されてしまうと思うんだけど、私は案外と「頑張ることが大好き/そうでもない」人間がいるだけなんじゃないかと思ったりしている。子どもに「頑張る」ことをすごく求めている人は、ご自身が「頑張る」ことをめちゃめちゃ好きなんだろうなと思う。「頑張る」にも色々タイプはあって、目標に向かってがーっとがむしゃらに頑張る、というタイプだったり、計画をたててコツコツと積み上げていくタイプだったりするのだろうけれど、いずれにしても「そういうふうにするのが好き」で、たまたまそれが受験ありきの学習には「よしとされている(好ましい)」「結果につながりやすい」態度なんだろうなぁと思う。私自身も短期的な目標がはっきりとある場合は、ほかのことがどうでもよくなって一極集中的にがーっと取り組むタイプなので、「頑張っている時のいい感じ」はとてもよく分かる。それって分かりやすくて気持ちいいよね、と思う。いろんな物質が脳内から出てるだろうし。だけどよくよく考えたら、様々な物事を犠牲にして「それだけ」を頑張ることが果たして「いいこと」なのか分からないし、もっと言ってしまえば、一つの目標を前にしてそのほかのことが「どうでもよくなる」人生ってどうなんだろう?とさえ思う。勉強も大事だけど、手離せない「何か」がある人生、何か一つのことに打ち込むんじゃなくて色んなことを幅広くやっている人生は、それとは異なる生き方をしている人には想像できないような形の豊かさを内包しているかもしれない。それは「受験」のことだけを考えたら全く評価されない在り方だけれども、本来は他者によって「評価」されるべきものではなくて、「色々なひとの、色々な生き方」として尊重されてしかるべきなのだと思う。

 そうはいっても「受験」は競争であるし、そうすること(競争の中に身を投じること)を決めたのも本人である。それを論拠にして頑張れって追い込んでしまいがちだけれども、それへの向き合い方は「いわゆる頑張る」一択じゃないと思うし、「そこそこ、ぼちぼち」だって、「いろんなことをやりながら、できるように」だってある。その結果を引き受けるのは本人だけれども、それは自己責任だからねって突き放すのではなく、周囲は本人の「納得」に寄りそえるといいのかな、と思う。

 それと受験は一定期間で結果を求められるものだから仕方がないのだけれども(受験というシステムに対して、いいとか悪いとか評価するつもりはない)、勉強って「頑張る」ことを強く求められがちなのがしんどいよな、と思う。そこにはなんというか、勉強は「嫌だけど/つらいけど/苦しいけど」「でも頑張って」という暗黙のメッセージが含まれてしまっているような気がして、なんだかなぁ・・・と思ってしまう。もっと楽しく楽に、してもいいよね?

 そんなモヤモヤを抱えていた時に手に取ったのが、私もムスメさまも大好きなQuizKnockの「勉強が楽しくなっちゃう本」。プロローグには、こんなことがズバリと書いてある。

 みなさんは「勉強」に対してどんなイメージを持っていますか?
つまらないもの、つらく厳しいもの、他人と競い合わなければいけないもの、でも将来のためにイヤイヤでもやらなきゃいけないもの・・・
こういったネガティブなイメージを持っている方が多いのではないでしょうか。
 この本は、そういった「勉強」のイメージを変えようと思って作りました。大事なのは、勉強を自分自身の人生をもっと楽しむための手段としてとらえ直すことです。同じ範囲を、他人と常に比べながら進めなければいけない受験勉強よりももっと広く、自分の世界を広げていく手段としての勉強のイメージを、QuizKnockからみなさんに提供したいのです。
(中略)
 勉強の目的や在り方、内容は人によって全然違うものであっていい。その人自身が人生を楽しむためのものであっていい。
~「勉強が楽しくなっちゃう本」 朝日新聞出版 P3より抜粋~

 変化が激しく、「頑張って勉強した先」に何かが保障されているように思えない大変な時代を生きる子どもたちにとってきっと必要なのは、「今は苦しいけれど将来(目標)のために頑張りぬけ!」というメッセージではなくて、生涯楽しみながら自分自身のために学び続けられるような、「勉強それ自体が楽しいよ!」というメッセージだと思う。子どもたちに人気のYouTuberさんたちがそうしたメッセージを明確に打ち出してくれているということがまずありがたいし、「勉強が楽しくなっちゃう本」では勉強を楽しむコツや工夫を紹介してくれている。本書では「勉強のやり方をデザインする」ことを強く勧めているのだけれども、子どもだろうと大人だろうと「学習者」としての到達点はそこにあるんじゃないかと思う。

 わが家のムスメさまも、いつかこの本の感想をnoteに綴ると思うのでしばしお待ちください。教科学習は捗ったり捗らなかったりしているけれども、好奇心いっぱい、なんでもやってみたい!の彼女は、今また再びお着物を習い始め、Kpop大好き韓国のかわいいもの大好きが高じて韓国語のオンラインレッスンも始めようとしている。これらも等しく「自分の世界を広げていく」学びであるし、いろんなことをいっぺんに楽しく学べるムスメ氏をすごいな、と心から尊敬している。

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