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私はもっと怒るべきだった

 もともとは精神科領域の地域ケアに関わり、精神科の患者さんたちにとって「居場所」と言われている場所がどのように成り立っているのか研究をしてきたんだけれども。今現在はご縁があって、学習に困りを抱えている子どもさんたちや、学校に行っていない・行きづらい子どもさんたちと関わることが多く、まさかの畑違いな「教育」活動へ。きっかけは支援級に在籍している友人の子どもさんの家庭教師を引き受けたことで、引き受けるからには学ばねばならんと「発達障害学習支援サポーター」という資格を段階的にとった。そうする内に個人的に学習支援をお願いされることが増え、今複数の子どもさんたちと学びの時間を持っている。また梟文庫には学校に行っていない・行きづらい子どもさんたちもたくさん遊びに来てくれているということもあって、支援級・普通級問わず学校まわりの「しんどい」声が直接的・間接的によく届いてくる。一方地域によっておかれている状況も異なり、先進的な取り組みをしている学校や地域の話もメディアを通して飛び込んでくる。そんな中あるお母さんが先日仰った一言。
 
 「たまたまこの場所に家を建てただけなのに、住んでいる場所で受けられる教育が変わっちゃうなんておかしない??」

 ほんとそれ!!
 なのですよ!!

 私も含め、子どもを持つ親御さんたちはそんなに多くを望んでいるわけでは決してない。子どもたちが安心して、楽しく学べる環境を。たったそれだけのこと、その最低限の水準さえもが保障されていない現状。たまたま住んでいる場所で、それが保障されたりされなかったりしてはならんでしょ。そこを保障するのが「公」のはたらきのはずである。

 つい最近、校則をなくしたことで有名な桜ケ丘中学校の特集番組を家族みんなで観る機会があった。ムスメ氏は「いいなぁ・・・この学校に行きたい。」と熱望し、オット氏は「いいよ。行ったらいいよ。移住したらいい。」と言う。もちろんよりよい教育を求めて移動するのはいいと思うし、それができる人たちはとっくにもうそうしている現実も知っている。そして我が子が学校へ行かない選択をした時にすでに、「土地に根をはってしまうことのリスク」に嫌がおうにも直面させられた。だって、「選べない」んだもの。たまたま根をはった土地の公教育がガチャで「ハズレ」だったとしても、ほかの公立小学校へ転校することができない。もう、「そこしかない」。でも根っこをはらなければ、別の「よりよい」を求めて移動しやすい。そんなつらみ半端ない現実のことなんて、家を建てる時に全く考えていなかった。もし「学校を辛いとわが子が感じるかもしれない(それによって潰されてしまうかもしれない)可能性は半分」ということを知っていたら、私たちは土地を購入しただろうか。いつでも「おさらば!」できるように、身軽でいたかもしれない。そんなことを考えてしまう時もある。でも同時に。

 なんだそれ戦時下か?
 そんな状態を国民に強いるんか、この国は?

 という怒りが沸き立ってくるのも事実である。「いつ戦禍を被るか分からないからいつでも逃げられるようにね。」じゃないんだよ!どこにいようが「まじ戦争反対!」なわけ。まず第一に戦争のない世界を保障して欲しい。

 ・・・とここまで勇ましく批判を飛ばしているんだけれども、実のところその言葉はブーメランとなって私に突き刺さってきて、最近心の中で慟哭している。

 なんでって、ムスメちゃんが学校へ行かなかった約半年の間に、私は「まじ戦争反対!」って叫ばなかったのだ。

 小さな学級王国の中であれだけの人数の同年齢の子どもたちが集まれば、いろんなことが起こってくるのは仕方がない。そんなところからは、逃げるしかない。そう思っていたのだ。

 でも、それが根本的に間違っていたんじゃないか。
戦争反対!って、まず真っ先に声をあげ、抗うべきだったんじゃないか。

 今、そのことを心から後悔している。

 そう考えるきっかけはいくつかあって、その一つが「3月のライオン」というマンガだった。高校生棋士を主人公にしたマンガなのだけれども、途中でひなちゃんという中学生が壮絶ないじめにあう話が出てくる。

 当時ムスメちゃんは「3月のライオン」をたまたま読んで、「ひなちゃんの気持ちが分かる。いつかひなちゃんのことを書きたい。」と言っていた。でも私はそのマンガを読んでいなかったので、その言葉の意味するところが分からずスルーしてしまっていた。しかしこの夏帰省した際親友に我がムスメちゃんの状況を簡単に伝えたところ、「なんか、3月のライオンのひなちゃんを思い出す」と話してくれたので、その重なりがどうしても気になって読んでみることにしたのだけれども。

 ・・・泣くしかなかった。
 そして、深い、深い後悔に苛まれることになった。

 「3月のライオン」のひなちゃんは、同級生がいじめられているのを放っておけずに助けるのだけれども、そのお友だちはいじめに耐えきれなくなって転校してしまう。その後いじめのターゲットはひなちゃんになり、ひどいいじめを受けながらも「私は間違ったことをしていない!」と負けずに通う。当初担任の先生も対処してくれなかったが、担任が変わっていじめ調査を開始し、事態が収束に向かうというストーリー展開だった。

 もちろんムスメちゃんが置かれていた状況と、ひなちゃんの状況は同じではない。でもムスメちゃんが「嫌だ」と思うことがあったのは事実であり、そして、

 「私は間違っていない!」
 そう彼女が思っていたのだろうことが、よく分かったのである。ひなちゃんの、全身全霊の叫びから。

 それなのに私は、ムスメちゃんのおかれている状況を「おかしいんじゃないのか?」と訴えることも、改善に向けて動くこともせず、全力で逃げてきた彼女をただ守ることしかできなかった。でも本当はひなちゃんの新しい担任の先生のように、環境そのものをよくするようにはたらく義務が私にあったのだろうし、ムスメちゃんもそれを望んでいたのではないか・・・そう思ったら、情けなくて、ふがいなくて、申し訳なくて、悲しくて。

 もちろん私はその場を運営する者ではないから、直接何ができたってわけじゃないかもしれない。でも「おかしい」「環境を改善してほしい」って粘り強く訴えることは出来ただろうし、その状況を甘受せずに戦う姿をムスメちゃんに見せることはできたはずなのだ。

 当時はそうしない合理的な理由があると思っていた。抗ってもいい結果を引き出せる気がしなかったし、余計にムスメちゃんを苦しめることになるんじゃないかという恐怖心だってあった。その状況から抜け出したから「もっと戦えばよかった」と思えるのかもしれないけれども、だけれども。結果を見据えた合理的判断より先に、「まじ戦争反対!」って言うべきだったんじゃないか。つい支援職ポジションに立って、状況を俯瞰して「仕方ない、ベターな選択を。」ってやっちゃったけど、私はまずムスメちゃんと一緒に怒りくるってよかったんじゃないか。

 今更遅いとは思ったけれども、「ひなちゃんのクラスの新しい担任の先生みたいに、もっと解決に向けて戦ったらよかったととても後悔している。そうしないでごめんね。」とムスメちゃんに謝った。別に・・・って彼女は言った。学校に行きたかったわけじゃないよ、とも言った。

 どうしたらよかったのか、分からない。
 分からないけれども。

 もし万一また同じようなことが起こったら、私は「まじ戦争反対!」って怒りの声をあげられるようでありたい。そうしてできれば、子どもたちが暮らす環境がよりよいものになるように、おとなとしてできることを探せるようでありたい。泣きながら、そう思っている。

※この話題に関して、ムスメ氏には執筆許可をとっています。

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