見出し画像

全日制以外の高校が選択肢である本当の理由

 この夏、全日制以外の高校をあちこち見に行ったり、お話を聞く機会を持った。新しいタイプの定時制高校だったり、今や高校生の16人に1人が通うまでに生徒数が増加している通信制高校。もうすでに進路の選択肢として珍しくないはずなのだけれども、これらの学校は中学校や塾の先生の言う「選択肢の幅」には全く入っていないだろうと思われる。きっとまだまだ「特殊な事情のある子どもが行く特殊な学校」という位置づけなんじゃないかなと思うのだけれども、そろそろそのあたりも近い将来ぐっと変化していくんじゃないかと私はみている。というのも私が見聞きした範囲内ではあるが、それらの学校に共通していた魅力は「大人が子どもを管理・指導の対象とみなさずに、民主的な環境を創ろうとしている」点にあったからである。管理的な教育にウンザリしはじめている子どもたちがそのことに気づいて「いち抜けた!」とし始めるのも、時間の問題だと思う。

 もちろん定時制・通信制高校にも課題やデメリットがあるし、とりわけ「進路」の問題は楽観視できない。大学に進学することがいいことかどうかという価値判断は置いておくにしても、大学進学率は全日制で55%を超えるのに対して、定時制で12%、通信制で18%と明らかに低い(※)。様々な事情を抱えている子どもも多く通うタイプの学校なので単純に比較することは難しいかもしれないが、それにしてもずいぶんと大きな差がある。私自身も実はそのあたりを不安に思っていたのだが、「子ども本人が望めば」大学受験をサポートする体制は思いのほか手厚く、まるで予備校や個別指導塾のように学校の資源を使えるところもあった。ただ「子ども本人が望めば」というところがミソで、「この集団にいたら何となくみんな大学進学を目指すから、何となくみんなと同じように学習を進める」みたいなことは起こらないので、そもそも意欲や主体性の面で課題がある子どもは、学校にある資源を使いこなすことが難しいだろう。学習面に限らず、とりわけ自由な通信制高校は、よくも悪くも集団の強制力や圧力みたいなものが働かないので、「子ども本人次第」になることが多そうである。その点向き不向きもあるだろうし、親御さんが不安に思う点だとも思うが、資源は準備されていて、望めばサポートを得られる、というのはとても大きいことだと思う。

 またこれは通信制高校の場合だけれども、教科学習は動画授業(スタディサプリなど)で自主的に進め、それ以外の(オリジナルの)学びに焦点を当てているところもある。教科学習は一定の質を担保した動画授業で効率よく学習して、その分あいた時間で自分の好きなことやプロジェクト学習を進めよう・・・というのは非常に合理的で理解も共感もできる。だが一方で古い人間かもしれないが、「教養ってそういうものではないだろうなぁ」と思う面もあり、そういう形で教科学習を「やっつけてしまう(こなしてしまう)」ことが果たしていいのかどうか私には判断がつかない。このあたりも好き嫌いが分かれるところだろうし、長期的には子どもたちにどんな影響があるのか分からないけれども、「みんな一斉に同じスピードで、決められた時間割で」学習を進めることが合わない・嫌だと思う子どもには、それとは異なる方法もあるよ、と伝えてあげたいところではある。ただこれも「自分で進める」ことが苦手だと、また別のサポートが必要になりそうではある。

 さらにこれも通信制高校に言えることだが、ビジネスが参入してきている分野でもあり、もうこの点に関しては「いいのか悪いのか全く分からない!お手上げ!!」状態である。時代の変化に鋭敏に対応している・できる半面、うっかり気を抜いたらいつでも「企業が求める人材の育成」をされてしまいかねない。教育はビジネスとは異なる論理で成り立つ営みであり、営利企業が求める「戦力」ではなく、もっと幅広くこの「社会」を作り、支える人(市民)を育てるミッションを持つ。その視点を失ってしまうと「ひと」が育つ場所ではなくなってしまうことを考えると、正直不安に思う面もある。ただまぁ、公的な教育機関もいきすぎた管理教育をしていることを思うと、すでにどこもかしこも教育の本来のミッションという視点を見失っているようにもみえる。

 ・・・とここまでデメリットというかオルタナティブな高校教育の懸念について書いたけれども、私はそれらを補ってあまりあるメリットがそこにあることを感じている。それは子どもたちがこれからの社会を「創っていく」上で大事な大事な土壌になるもので、それを子どもである期間に経験できるかできないかで、社会へのコミットの仕方が変わってくるのではないかとさえ思っている。何かと言うとそれは一番初めにも書いたが、大人たちが子どもを「管理・指導する」対象とみなさずに、できる限り民主的な環境を作ろうとしていることで、その志向の働いている環境に身を置けるというのは(中学までの間に管理的な教育を受けてきた子どもたちにとっては特に)奪われてきた主体性を取り戻す大きな経験につながるのではないかと思うのである。もちろん通信制高校以外の高校でもそのような文化を培っている高校だってたくさんあると思うし、通信制高校でも管理的な教育をしているところもあるので、通信制だから、全日制だからとすぱっと切り分けられるものではない。ただ通信制高校の中には、従来的な管理教育ではないほうへ舵を切って、子どもたちと新しい関係性をとり結ぶことを選び、それを前面に打ち出している学校が散見されるというのは事実である。先日不登校特例校の草潤中学校に関する記事を読んだのだが(※)、その中学校は「学校に行けなくなった子どものチャレンジのための学校ではなく、学校の側が子どもの信頼を取り戻す再チャレンジの学校」であるという明確なメッセージを発信していて、「ようやく子どもではなく学校が変わると宣言するところが現れた!」と胸熱だった。通信制高校の一部もそうした選択をしており、子どもたちのために変わろうとしている(新しいコンセプトを打ち出している)ように見受けられる。

 外見や服装にとやかく言われるというクッソ失礼で人権侵害的なことをされない、なんていうのは当然のこととして、入学したすぐそばから「進路、進路」とせかされるのではなく、「あなたは何がしたい?」と問うてもらえる、一緒に考えてもらえる、応援してもらえる関係。学校生活を自分たちで作っていく、そのことを委ねてもらえる関係。現実はもしかしたら非常に難しいかもしれないし、うまく機能しているかどうかは中に入ってみないと分からない。でもそうした関係を志向しているよ、というメッセージは、どんどん息苦しさを増している社会の中で小さな希望だと感じる。

 実はムスメさま、すごく楽しそうな、多彩なコースのある通信制高校の体験授業に参加したのだけれども、「身だしなみ指導(服装等の規定)」があると知ってすぐさま却下していた。「おしゃれしたいし。」・・・手厚いサポートや、楽しそうな授業はとてもよかったので、「えっそこ!?」と思わなくもなかったが、私もムスメさまの潔い判断について少し分かる気がした。とても熱心で、入学してきた子どもたちを責任持って社会に出るまで応援したい・・・その現れとしての「身だしなみ指導」であることが伝えられたんだけれども、結局それってね、今ある「身だしなみにうるさい」社会に子どもたちを合わせよう、っていうことに変わりがないのだ。それはとどのつまり「身だしなみにうるさい社会」の是非を問わないばかりか、問答無用で是として「まずはそこに適応せよ」というメッセージになるのだよね・・・念のために言っておくが、「身だしなみなんてどうでもいい」というようなことが言いたいのではなくて、自分がやりたいことをするために、あるいは自分が「この世界でやっていこう」と決めたときに「身だしなみが必要だ」と思うなら身だしなみを大事にしたらいいと思う。だけどそれは自分で「選ぶ」ものであって、一律に与えられたり押しつけられていいものではない。結局「身だしなみ」というのは単なる一例で、その論理はやがて「身だしなみ」以外の様々な自由や権利を侵害してくるだろうな・・・ということが想像できるわけで、ムスメさまがその学校を選ばなかった、というのはちょっと頼もしくさえ思う。

 この夏はムスメさま、とても熱心にあちこちの学校を見に行ったり、体験したり、話を聞きに行ったりしていて、自分なりに比較しながら色々考えているのもすごいなと思っている。そして「やりたいことがたくさんありすぎて、決められない!」と叫んでいるもんで、なんだかとっても幸せそうな悩みで、おかーさんは羨ましいよ・・・私の時は公立高校受験だったので、まぁなんというかランクが一つ二つ変わるくらいでどこへ行っても大差ないというか、そんなふうに夢膨らませる感じじゃなかったからなぁ。「絵も描きたいし、アニメーションや動画も作りたいし、(デジタルで)音楽も作ってみたい。お洋服も作ってみたいし、お着物を着て色んなところにお出かけもしたい。プロジェクト学習もすごい面白そうだし、小さな学校でグループワークも楽しそう。大学連携の授業も楽しそうだし、専門学校にも興味があるの!バイトもしたい。」お~やりたいことてんこ盛りだ。「やりたいことたくさんあるけど、将来何するのかなぁ~。今のところ一番ありそうなのは、起業かな!」お~将来の選択肢に普通に起業があるっていうのも、いいものだね。

 きっと君はどこへ行っても楽しいだろうし、君が行きたいと思っている高校はどこも、君のやりたいことを応援してくれそうな学校だから、どの学校を選んでも大丈夫だよ。そんなふうに彼女には伝えている。もし彼女が全日制の高校に進学したら、とても忙しくて彼女がしたいことをする時間を捻出することは難しいだろうし、今やりたいことより将来のために時間を使うよう促されるのだろうなと思うので、彼女にとっては全日制以外の選択肢が(不登校であるかどうかにかかわらず)妥当であるように私も思っている。もし大学受験をしたくなったらその時に学校の資源を最大限活用して頑張ればいいし、学校の先生たちも応援してくれる。君が今「すごい楽しそう!」とときめいている専門学校へ行ってもいいし、その後大学に編入する道だってある。最近読んだスウェーデンの若者政策の本には、「スウェーデンの大学入学時の平均年齢は24歳」とあって「え!!!」と仰天したのだけれども(※)、考えてみたら別にみんながみんな高校卒業と同時に進学しなくてもいいよな。いろんな経験をして、自分にとって必要だと思ったら、自分のタイミングで学び直したらいい。「ランクの高い大学の新卒じゃないといい会社(年収の高い会社)に入れない」と言われたら、現在も、そしてこれからしばらくもその通りだろうと思うから、その現実はムスメさまにも伝えているけれど、10年度どうなっているかは正直分からないよな、とも思う。だって15年前にはiphoneなかったし、2年前にはコロナもなかったんだよ・・・これから社会がどう変化していくかなんて分からないから、とにかく「やりたいこと」を含めた興味関心を足場にして、社会にコミットしようと思える、自分が社会に影響を与えることができるという思いを絶やさずにいられたら、どこで何してても大丈夫なんじゃないかな。その萌芽をたたきつぶされずにいられそうな環境を選ぶ、それは進学率よりも重要なポイントなのではないかと私は思ったりする。

 通信制高校は不登校の子どもたちが行くところ、とか、お勉強ができない子どもたちが行くところ、みたいな世間一般の認識があるかもしれないけれども、こんなふうに選んでいる人もいるよ、ということは「今の学校がちょっとしんどい」子どもたちにもっと伝わるといいなぁと思っている。

※「高等学校通信教育の現状について」文部科学省 令和2年
https://www.mext.go.jp/content/20200115-mxt_koukou01-000004175_5.pdf

※学校は耐える場ではない 不登校中学が目指すバーバパパの理想と現実 朝日新聞 2021年9月8日
https://www.asahi.com/articles/ASP9334YVP8KOIPE00B.html

※両角達平 「若者からはじまる民主主義 スウェーデンの若者政策」, 萌文社, 2021.

細々noteですが、毎週の更新を楽しみにしているよ!と思ってくださる方はサポートして頂けると嬉しいです。頂いたサポートは、梟文庫のハンドメイドサークル「FancyCaravan」の活動費(マルシェの出店料等)にあてさせて頂きます。