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ある先生を褒めたたえさせてください

 今回は、ある先生のことについて書きたいと思う。

 小学校6年生のとき、ムスメさまはお友だちの悪意ある意地悪によって学校へ行けなくなった。しかし中学校へは行ってみる、チャレンジしてみるとムスメさまは希望したので、小学校のほうから中学校へ情報提供してもらい、入学前には夫婦で校長先生に会いに行き、事情を説明して配慮を求めた。学校へ行きたいという気持ちはあるけれど、果たして行くことができるのかな?―本人も、親である私たちも、不安と心配でドキドキしていたように思う。

 そうして迎えた入学式の日。式が終わったあとに「保護者の方も教室へどうぞ。」と仰って頂いたので、子どもたちと一緒に教室へ移動した。担任のA先生は、子どもたちに配布物を配ったり連絡事項を伝えるなどその日に必要なことをしたあと、子どもたちに語りかけてくれた。

 「みんな、中学校にあがって『新しく始めよう』と前向きに思ってくれていると思います。だから、小学校の時にあの人はこんなだったとか言って、新しく頑張ろうとしている人の足を引っ張るようなことはなしにしよう。」

 細かい言葉使いは思い出せないのだけれども、どういうクラスにしていきたいか子どもたちにゆっくり丁寧に語りかける中で出てきた言葉だった。私は今でもこの時のことを思い出すと涙がこみあげてくる。その場で号泣しなかったのが不思議でならないくらいだ。「小学校で何があったとしても、中学からは新しいスタートをきればいい」「新しいスタートをきろうとしている人を邪魔することは許さない」という強力で明確なメッセージは、小学校で色んなことがあった私たち親子にとってどれほど心強かったか・・・言葉で言い表せない。A先生がムスメさまのことを思って言ってくれているのかは当時分からなかったのだけれども、後日機会があってこの時のことを話題にした際にA先生は否定されなかったので、少なくともムスメさまを事情のある子どもたちの1人に想定して下さっていたのだろうし、かなり意図的なメッセージだったのだろうと思う。新しい生活を不安に思っている子どもたちには「大丈夫だよ。応援しているよ」と(暗に)伝えつつ、「どんなクラスにしたいか」という願いを語ることを通して「人の足を引っ張る」動きを(暗に)牽制するメッセージ。いわゆる「学級経営」と言われるものは、こういったことを指していうんだろうなと素人ながらに思っている。

 入学後も週に1度はフリースクールへ通うというフレキシブルな登校スタイルに対しても、A先生は「学ぶ場所は学校だけではない。」「あなたにとってそれは大事な学び。」とムスメさまにキッパリ伝え、応援してくださった。何より「学校が第一で、例外的な活動を(渋々)許可する」という形にはせず、ムスメさまの主体的な選択であり、ムスメさまにとって必要なことなんだという態度で常に接して下さっていたので、ムスメさまも(学校やクラスメイトに対して)引け目や罪悪感を感じずにフリースタイルの登校を続けることができたと感じている。A先生はいつも「あなたは堂々としていたらいい。」と言葉でムスメさまに伝える一方で、クラスメイトたちにも「〇ちゃん(ムスメさま)は、学校以外の場所でもしっかり学んでいます。」と話すことで、先生自身がムスメさまの選択を尊重していること(それをよしとしているという価値判断)を積極的に周囲に伝えて下さっていた。つまりムスメさまがこの状況で「堂々としていられる」ための環境を、周囲に働きかけてせっせと整えて下さっていたのである。他者からの好意的な評価なしに「堂々としている」ことなんて誰でもできないわけで、そのことを考慮に入れながら細やかに対応して下さっていたのだと思う。

 私はいつも思っているのだけれども、大人が子どもに向ける眼差しっていうのは、本当に怖い。もしムスメさまのことを(意識的にも・無意識的にも)「毎日学校へ来ることができない子」というふうに大人(先生)が眼差せば、それは容易に子どもたちにそっくりそのまま敷き写されてしまう。「ダメな子」「できない子」クラスメイトからそういったシビアな眼差しを向けられていることをムスメさまが感じ取ってしまえば、より学校へ行きたくなくなるだろうし、もっと悪いことには一方的なレッテルを通して自己評価だって下がってしまうことだろう。しかしこの眼差しの影響力を逆手に取って、大人がポジティブな眼差しを子どもに向けることができれば、周囲の子どもはそのことをきちんと理解し、自分と違う他者を尊重してくれるのである。だからこそ、大人は子どもに向ける眼差しについて自覚的でなければならないと思うし、専門家はそれをコントロールする責任を負っている人、と言うことができる。

 さて時々お休みしながら登校を続けていたムスメさまだったが、2学期の終わりに突然「おうちで勉強する」と、学校へ行くことをやめてしまった。これは親としても青天の霹靂で、小学校の時のようなお友だち関係の胸糞案件が隠れているのでは?と心配もしたのだが、これという大きな要因があるわけではなく、本当に文字通り「(学校へ行って一斉授業を受けるのではなく)家で学習したい」という気持ちからだったようである。そしてムスメさまの意思が固まったのは学期末の三者懇談が控えている時期だったので、その時に自分からA先生に気持ちを伝えるよう促した。

 しばらく欠席が続いたあとの懇談で、A先生もおそらく「何をきっかけに登校してもらえるかな。」と考えて下さっていたんじゃないかと思う。だから突然「もう学校には行かない」と生徒が宣言するなんて(親である私たち以上に)先生は驚かれたと思うし、これまでの手厚いサポートを思って様々な思いが去来されたんじゃないかと、正直申し訳ないというか気の毒にさえ思ってしまった。しかしムスメさまの意志を聞いたA先生は驚きの表情も見せず、というか表情を全く変えずに、間髪入れず「あなたの選択を応援する」と仰って下さった。

 先生・・・神すぎひん・・・???(泣)

 「そうはいっても、部活だけは来たら?」とか、引き留めるような声かけだって、その場でしようと思ったらできる。でもまずはムスメさまの決意を「そのまんま」がしっと受け取って「応援する」と言ってくださったことは、今から振り返ると本当にムスメさまにとって非常に意味のある、大きなことだったと感じている。ムスメさまだって何の迷いもなく決断したわけではなく、色々なものを天秤にかけ、おそらく自分の選択によって諦めたものや犠牲にしたものだってあっただろう。それでも「こうしたい」と思って決めたこと、それを条件付きではなくてそのまま丸ごとOK!と言ってもらえたという経験は、のちに自分の進路を自分で決めていく力につながっていったように思うのだ。自分で決めていい、自分で決めたことが尊重される。そういった経験の積み重ねの、端緒の出来事だったというふうに私は感じている。

 そしてもちろんA先生はムスメさまの選択を尊重した上で、「学校としてできることはしたい」「また学校に来たいと思ったらいつでも帰ってこられる」「行事など参加したいものは参加できる」というふうに、学校とのつながりも保障して下さった。この言葉があったからこそ、家か学校かの二択にならずに、ゆるやかに学校とつながりを持ちながらホームスクーリングの日々を送れたのだと思う。

 こうしてオリジナルの登校スタイルを続ける中で、一つだけ私が気になっていたことがあった。通知表である。授業を受けていないのだから評価のしようがないと分かっていても、自分なりに学習に取り組んでいるのに容赦なく「1」が並んでいる通知表を受け取るのは気分のいいものではない。教科によってはテストも受け、自分にとって必要だと考えた課題は一部提出もしているので、取り組んでいる内容について評価してもらえたらいいなぁと思った。もちろん評定というのは高校受験に紐づいてしまっているので、公正さが求められており、一律の基準に従って評価しないといけないことは重々承知している。だからその評価とは別枠でも全然よくて、本人の学習意欲につながるような評価方法を検討してもらえないかなぁ・・・ということをぼんやり考え、ちょうど学校評価アンケートみたいなものがあったのでそこに記入をしてみた。個々の先生がたに改善を今すぐ訴えたいというより、「長期的に不登校の子どもたちに対する評価の在り方を検討していってもらいたい」という気持ちで書いたものだったが、A先生はすぐにリアクションをして下さった。

 「〇ちゃんなりに勉強を頑張っているのに評価できない、というのは私も気になっていたんです。」という前置きから、それでも現状では評価することが難しいということを率直にお伝えくださった。しかしその中で状況を変えていく必要はあるとA先生自身は考えておられること、その思いに基づいて他の教科の先生がたにもムスメさまの選択と、ムスメさまが現在家で頑張っていることを積極的に伝えるようにして下さっていることもお話くださった。そうしたA先生の働きかけもあってだと思うが、他の教科の先生がたもムスメさまの提出物やテストに「頑張ってるね」など前向きなコメントを入れてくださったり、学校で出会うとあたたかい声をかけて下さっているようだった。通知表での評価という形ではなくても、学校にいるほかの先生がたからもあたたかく見守って頂いていることを感じられるということは、ムスメさまの学習意欲に決して無関係ではないと思っている。

 この3年間、A先生には本当に親子で救われてきた。普段学校を批判するような記事ばかり書いているけれども、私たち親子に関して言えば個々の先生がたにはよくして頂いていると感じているし、直接的に先生がたの対応を問うたことはない。でも先生に辛い対応をされたというお話がたくさん私のもとに集まってくるのも事実であり、先生がたの、不登校の子どもたちへの眼差しはまだまだ厳しいものがある。また不登校の子どもたちに、「どう接していいのか分からない」という先生がたもおられることと思う。「近いうちにA先生を褒めたたえる記事を書きます!」と冗談まじりにA先生にはお伝えしたのだけれども、実は冗談なんかじゃなくて、不登校の子どもとその家族がA先生のどんな眼差しと振る舞いに支えられたのかということを、子どもたちに関わる大人に知ってもらいたい、という思いで筆をとっている。そのエッセンスをご自身の実践に取り入れて下さる方が1人でも2人でも増えたら、それだけ救われる子どもと家族も増えるだろうから。

子どもたちを信じて、語りかけてくれる先生。
子どもたちの意志を尊重してくれる先生。
子どもたちのその意志を、周囲にしっかり伝えてみんなで尊重できる環境を作ってくれる先生。
子どもたちが決めたことを、心から応援してくれる先生。

それが、A先生。

 きっとそういう先生は全国あちこちにいて下さるんだと思う。でもまだまだそういう先生に出会えるのは・・・(ニシオ観測で)レア度が高い!のも事実である。私たち親子はA先生に出会えて本当に恵まれていたけれども、この幸運の種をまくためにこの記事を書いている。芽吹け~!

 A先生、3年間ムスメを信頼し、オリジナル街道をまっしぐらに進んできたムスメの傍らで寄り添い、応援して下さりありがとうございました。A先生のおかげで、彼女は堂々と自分の選択を生き、学び続けることを諦めず、自分で進路を決めて、この春、巣立つことができます。自分の選択が価値あるものとして感じられる、その根っこの部分を支えて下さったことに、感謝してもしきれない思いでいます。

 そして学校の中に、彼女の特殊な選択を理解し、サポートしてくださる存在があったことは、私たち親にとっても非常に大きな、大きな支えでした。子どもたちだけではなく、その親の思いや願いを聞き寄り添って下さり、心よりお礼申し上げます。本当に、ありがとうございました。

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