ひとりで東京へ向かうムスメに伝えたこと
「ひとりで東京に行く。」
この春6年生になったムスメはそう宣言して,おじいちゃんおばあちゃんの待つ東京へ旅立った。本当は一緒に帰省しようと思って文庫も閉館にしていたのに,ハハひとり置いてけぼり。国立科学博物館で人体展を見たかったのになぁとか,日頃ジェラシーを感じてやまない素敵な活動をしている場所を訪れてみたかったのにとか,ハハは色々未練たらたらのお留守番デス。だけど苦手な新幹線にひとりで乗ってみようって思えたこととか,お母さんがいなくてもきっと何とかなるって一歩踏み出したことを思うと,寂しい反面「すごいな。」とムスメに対する敬意が自然と生まれた。うん,行っといで。さみしいさみしい呟きながらも(漏れ出しながらも,といった方が事実に近いが),ムスメの背中をそっと押した。
どういうわけかオット氏は分厚い時刻表を買ってきて,ムスメに時刻表の読み方を伝授した。「そんなんネットで調べたほうがいいに決まってる。」と,時刻表なんて読み解く自信のまるでない私は横やりを入れてしまったけれども,ムスメは存在感のある時刻表を手にして「自分で・調べて・行くんだ!」という気持ちを強くしたようだった。自分が乗りたい新幹線を決めて,おじいちゃんおばあちゃんに到着時刻を電話で伝えてから,新幹線のホームで待っていてくれるようにお願いしていた。
新幹線の中ではTwiceの音楽を聴くんだとか,二コラ(女の子雑誌)を読んでるからヒマにならないはずとか,ムスメは新幹線の中での過ごし方も自分であれこれ考えて話してくれていた。その時にふと,「あっ彼女は新幹線の中で一人なんだな。」と急にその姿がリアルに浮かんだ。そしてその隣には,見ず知らずの人が座っているに違いない・・・
そこで私は突然,大きな不安を覚えた。
その見ず知らずの隣の人が,「いい人」とは限らないからである。
それが社会というもので,そんなの当然なのだが,ことムスメに関しては,「もしかしてキミ,周りのおとなはみんないい人だと思ってやしないか?」ということが突如心配になったのである。
意図していたわけではないが,これまであんまりムスメに「悪い人」対策を伝えてきていなかったことに改めて気づく。もちろん暗い道をひとりで歩いてはいけないとか,暗くなる前に帰っておいでとか,そういった日常的な心がけは伝えていたけれども,あえて「世の中にはこういう人もいる」「だから気をつけなさい。」というようなことを言ってきてはいなかった。自分の経験や想像をこえた危険が及ぶ可能性について,まるで言及してこなかったということに我ながら驚く。そう,それは「伝えよう」という意思を持たなければ,伝わりにくいことだったのだ。
とりわけムスメは,親以外のおとなに恵まれて育ってきた。まだ赤ちゃんの頃から,近所のカフェのお姉さんに可愛がってもらった。育児・仕事・大学院の3足のわらじ生活を支えてくれたのはそのお姉さんで,長い間ムスメを定期的に預かって大事にしてくれた。今でもお姉さんとのお出かけは,ウキウキである。ムスメは私の友人たちのことが大好きだ。ナースのあきちゃんは,たとえば風邪で寝込んだ私のかわりに幼児だったムスメのお世話をしに来てくれた。小さいころからあきちゃんとよく出かけ,私があきちゃんと二人で出かけようものなら,ムスメは不満ぶうぶうである。ムスメが小学校へあがると,近所のおばさまたちがムスメのために入学パーティーをして下さった。そんなおばさまたちに「今日給食なくて,お弁当持たせるんで食べさせてやってくれませんか。」と厚かましくお願いしても,快く引き受けてかわいがってもらってきた。仕事から帰ってくると,お隣の家からムスメの笑い声が聞こえてくるなんてことはしょっちゅうあった。梟文庫でもたくさんの素敵なおとなたちに色んなことを教わり,楽しい経験を伝えてもらっている。「(ワークショップ講師の)wataさんがお母さんっていいよね!」とムスメからサラリと言われるハハなのですよ。近所のNPO法人スウィングさんへ「ちょっと行ってくる!」と突然出かけていっても,スタッフもメンバーさんもみんなが歓待してくれる。これまた上賀茂シェアハウスさんへ行けば,いろんな国のいろんなおとなが喜んで出迎えてくれる。そうして彼女はこう言うのである。
「私,家出してもいっぱい行くとこあるなぁ。」
お姉さん,スウィング,かめちゃん,あきちゃん,ここちゃんママ,wataさん,シェアハウス・・・と指折り数えてみりゃ両手いっぱいじゃないですか!勝手に当てにされているみなさんには申し訳ないが,でもこれってすごく幸せなことだよなぁと心の底から思うのだ。親以外に頼る先が—本当に頼るかどうかは別としても,ここへ行ったら大丈夫だと思える人や場所が—たくさん地域の中にあるって,何よりもありがたいと思う。願わくば私も誰かに「勝手に当てにされる」先の一つであれたら嬉しい。
それはさておきそんな人なので,ナチュラルに「自分に悪いことをしてくるおとななんていない」と信じ込んでいるんじゃないだろうかと,なんだか急に不安になったのである。「おとなは信頼に足る」という経験は大切だと思うし,そこをベースにしていて欲しいと願ってやまないが,それでも自分に危害を加える人,自分が嫌だと思うことを強いてくる人がいるということは事実である。それを「ない」ものにしてしまったら,きっと自分の身を守ることができないだろう。
そう思って,だいぶためらいながらも「もしかしたら新幹線で隣に座った人が,(あなたにとって)悪いことをするかもしれない」ことに触れてみた。とりわけ私が伝えたかったのは,お年頃のムスメの状況を考え,「痴漢」という存在だった。たぶん,見ず知らずの他者の身体に(本人の同意なく)触れてくる人がいる,ということそのものを知らないだろうし,知らなかったら「何がなんだかわからない不快な経験」として他者に伝える術も持たないだろうと思う。だからまずは「痴漢」という事象について説明し,それは犯罪であること,そんなことがあったらすぐに席をたってお母さんに電話すること,お母さんと相談しながらまわりのおとなを頼ること,など伝えた。
「もし痴漢にあっても,あなたは決して悪くない。痴漢をする人が悪い。極端なようだけど,あなたが裸でいたとしても,あなたはほかの人から勝手に触られない権利があるとお母さんは思っている。あなたがどんなふうであっても,勝手に触っていい理由にはならない。」
どう理解したのか,あるいは理解できずにただ言葉を受け取っただけなのか,正直なところ神妙な顔つきで聞いているムスメの様子からは分からなかった。でも,やっぱり一番伝えたかったのは「もし被害にあったとしても,あなたは悪くない」ということだった。誰が何と言おうと,あなたは悪くない。
お母さんからそんな話を聞いたもんだから,隣の人の様子をCメールで律儀に報告してくるムスメ。本当は,女性だというだけでそんなふうに警戒しなければならない社会であって欲しくない。男性だって,男性だからというだけで必要以上に警戒されてしまうのは心外だろうとも思う。ムスメも,「隣の男のひと,いい人だったよ。だって,落としたペットボトル拾ってくれたもん!」と言う。そりゃあ,疑いの眼差しを向けるより,「いい人だと思いたい」に決まっている。でも,自分の心身を,人権を守るために,残念ながら現状必要な知識や構え,振る舞いがあると私は考えた。そして,自分なりの言葉で,これからの社会を創っていくムスメにそれを伝えた。信頼と慎重のバランスをどう取っていくかは,これからムスメ自身が経験を積み上げながら学んでいくんだろうと思う。
ま,突然心配になっちゃったけど,でもあなたがおとなに寄せる信頼のあつさは,あなたのいいところなんだから。むしろそこにおとなは応えたいよな,とやっぱり思ってしまうお花畑体質のハハなのである。
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