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真っ白な部屋に、花が咲いた日

真っ白な部屋の中、私たちは外の世界を知ることができない。
大部屋に流れるテレビのニュースの情報だけを頼りに、4月に咲く花に思いを馳せていた。

ここは閉鎖病棟。
外へ出られる窓も、綺麗な植物も何もない、ただ鍵のかかった真っ白な部屋。
皆が何かを抱えていて、だけどここにいる理由はあえて誰も聞かない。
私たちはその部屋でなるべく心穏やかに、たまに懐かしい歌を一緒に口ずさんで、ただ一日が過ぎていくのを待っていた。

テレビの桜前線のニュースで、今週の土日が満開になることを知った。
ある昼下がり、3時のおやつを食べる前のことだった。
病室の近くにはそれは見事な桜並木があることを、この部屋にいる人たちは誰もが皆知っている。
それでも今年も桜の花を見ることを、心のどこかで諦めている。
今、外の世界はどうなっているのだろうかと空想する。
いつもの長椅子に座って、目を瞑りながら桜の歌を歌ったりもした。

「今日は見せたいものがあって」
その日、真っ白な部屋に訪れた人がいた。
その人は手のひらにギンガムチェックの小さな箱をのせていた。
「目を瞑ってて」その人はそう言いながら箱を触った。
「目を開けて」その人は箱の中身を見せた。
目の前には桜の花びらがあった。
それを見た瞬間、私は「わぁ」と思わず歓声をあげた。
久しぶりに見た、生きている花の色。
こんなに桜の花が美しいと思ったことは今まで一度もなかった。

今年見ることを諦めていた桜の花。
気がつけばそこにはたくさんの人が集まっていた。
本物のその花びらをみて笑って、少しだけ泣いてしまった。
私たちは外の世界で悲しみ、傷ついてきた。
それでも世界はこんなにも美しいもので溢れているのだと、「むこう側」の世界のことを少し信じてみたくなった。

ここは閉鎖病棟。
ここにいる人はだれもが皆、それぞれ何かを抱えている。
それでも今日は真っ白な部屋に笑顔が咲いた日。
桜の花が舞い込んできて、この部屋にもやっと春がやってきた。

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