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ふれあいと影(シャドウ)
音楽と鍼灸という異色のコラボレーションイベントで、久しぶりに鍼をうってもらった。
触れる手はそっとわずかに、微細なエネルギーを感じとっていくその静けさに、呼吸が自然と落ち着いていく。
人にしてもらうって気持ちいいですよね、とおっしゃっる鍼灸師のふみけるさん。
それはやはり、委ねることができて、安心できるからなのだろうと、ご自身が鍼を通して感じてもらいたいことがそれなんだなぁと、胸があたたかくなった。
先日夢の中に、父が出てきた。
わたしは理由あって両親との関係が断たれている。けれども無意識の自己イメージに深く関わるのが両親だから、自分の人生に起こるあらゆる出来事への感情的反応や思考パターンの元型になっていて、日々その存在を感じている。
夢の中では、父がどこか遠くに旅立つシーンで、わたしは見送りのために空港にいた。
どのくらいの期間とか、そういった設定は曖昧だったけれど、長い期間であることは分かった。
なぜか分からないけれど、わたしはいても立ってもいられなくて、父に抱きつきハグしていた。
父のからだは小さく震えていて、抱きしめられることも、抱きしめる感覚も忘れてしまったかのように、動揺していた。
現実の世界では今まで一度もしたことがないし、された記憶もない。
父は傷ついて心を閉ざしていたし、自分が傷つくことで気にかけてもらおうとしていた。
自分の気持ちを言えず、分かってもらえない苦しさは他者への攻撃になり、その攻撃はそのまま自分を傷つけた。
そしてこれはそのまま私の自己イメージになり、わたしもまた父と同じように、自分を責め、自分を傷つけ、心を閉ざして、他者に責任転嫁した。
この夢は、ユング心理学でいうところの、個人的無意識にある影(シャドウ)だと思う。
シャドウとは、内面に存在しているにもかかわらず、それを受け入れようとしていない人格のこと。
そうしたいと思う半面、それは認められないとして否定している感情や考え方などで、攻撃性、軟弱、卑怯、卑俗といったレッテルを貼り抑圧するため、文字どおりその人の暗い影の部分となる。
こういったシャドウは、最も近い親との関係性で形成されていて、人格がつくられる初期段階のことであるから認識することは難しい。
今まで気づいていなかった欠点や否定的な面を知り、それに直面して、そのなかに肯定的なものを見出し、生きてゆこうとする過程は、予想外に苦しい。
けれども、それをやっていった先に本当の自分を生きられるよろこびがあるのだと思う。
わたしは今回、この夢を見たおかげで、父を愛おしく感じることができたし、ある意味その呪縛から解放されていいんだという赦しを得られたと感じている。
最後に河合隼雄の先生のことばを引用します。
皆さまの中にあるシャドウが癒されますように。
影はつねに悪とは限らない。
確かに、この人の場合であれば、行動的に生きることや、感情のおもむくままに生きることは、ばかげて見えたり、嫌だったりしたであろうが、それはむしろ、今後、自分の中に取り上げられ、生きてゆかねばならない面と考えられる。
つまり、今までそのひととしては否定的に見てきた生き方や考え方のなかに、肯定的なものを認め、それを意識のなかに同化してゆく努力がなされねばならないのである。
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