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現代のモンゴル遊牧民は、どうやって乳製品加工で生計を立てているのか【後編】

現代モンゴル家庭における乳加工の話の続き。

Case 3: 「長期保存できる加工品を作りためて秋に売る」

「お隣さんは色々加工して売っているよ」というので、その家庭に数日間滞在させてもらうことにした。馬の荷台に荷台によじ登り、2キロ先のその家まで乗せてもらった。

小川のほとりにゲルが見えてきた。その近くに小屋が二つ。「あの小屋が寝る場所で、もうひとつの小屋とゲルで乳加工をしているんだよ」と教えてくれた。この家は夫婦二人暮らし。今は夏休みなので街に住む孫たちが3人やってきていて、仕事を手伝っている。乳加工ができるのは夏の時期だけなので、この時期が一年で一番忙しいのだ。小学生の孫たちが労働力として手伝っているなんて、ねこの手も借りたいほどの忙しさなんだなと思ったら、5歳の末っ子も一人前に馬を乗りこなして牛やヒツジを追い集めていて、子どもだと思って軽んじていたことと自分は何もできないこととで二重にごめんなさいという気持ちになった。

この家で飼っている家畜は、牛・馬・ヒツジとヤギ。フルコースだ。搾乳の回数は、牛とヤギは1日2回、馬は4~5回、羊は1回。朝起きてから夜寝るまで、搾っては加工するの連続だ。

朝5時に起床。お母さんは川の水で顔を洗ったら、その流れで作業を開始する。川のそばの平たい石の下には、土嚢のような白い布袋がある。昨晩寝る前に、タラグ(ヨーグルト)を加熱して水切りしたのを入れておいたものだ。すっかり脱水されて石板のようになっている。これを糸で石鹸サイズにカットし、干し台に並べる。これ、数日干してカチカチになったら、「アーロル」というチーズのようなヨーグルトのような風味の保存食になる。

並べ終えた頃、子牛の柵のあたりがざわついているなと思ったら、親牛たちが集められてきていた。搾乳開始。15頭の牛を、夫婦二人で一頭ずつ搾っていく。子どもたちはその間、指定された子牛を柵から出してやったり柵の中に戻したりと仕事をし、その合間に子牛の背に乗っかって遊んだりしている。

搾り終えたら7時過ぎ。鍋にかけ、ひしゃくですくい落としをしてウルムを仕掛ける。

その傍では、昨晩放置した鍋の表面にウルムが出来上がっている。ああ、あのキングオブ乳製品のウルム。母さんはそれをすくって、よーく水気を切って…

隣のゲルに持っていき、バケツに捨てた。

何が起こった!!?

その茶色いバケツの中には、昨日のウルムと一昨日のウルムと、鍋のこびりつきとおぼしき焦茶色のカサカサと、そんなものがこんもり入ってちょっと酸っぱいにおいを放っていた。

ゲルの中にはいろんな加工品が…まだ把握しきれない

彼女は、鍋のある小屋に戻ると、平然と残った脱脂乳にヨーグルトの種を入れてタラグを仕込み始めた。
作業の片手間にミルクティーとボルソック(揚げパン)を腹に入れてなんとなく朝食とし、10時になったらヤギと羊の搾乳。

ここのヤギとヒツジは、やたら小柄だ。「子ヤギしか見当たらないけど搾乳できるお母さんヤギは?」と聞いたらそれがお母さんヤギだった。これがモンゴル標準。ヤギとヒツジの乳は味わいが似ている上に量が少ないので、一緒くたにしてしまう。

搾り終えたら11時。母さんは昨日の夜搾った分のミルクを井戸から引き上げ、今日の分とまとめて火にかける。ヤギとヒツジの乳も、牛乳と同じようにウルムとタラグになるのだ。

その間、父さんは長男を連れて馬の搾乳に。馬は1日3~5回搾乳が必要だ。そのミルクは自家用のアイラグ(馬乳酒)にする。

母さんは次の作業へ。小屋の隅の寸胴を引っ張り出してきた。昨日仕込んだ牛のタラグだ。これを鍋にかける。

温めて、ふわふわした塊ができて浮いてきたら火を止め、鍋ごと外に運び出して冷ます。草原の風で冷まされる乳。気持ちよさそうだなぁ。

夕方頃、すっかり冷めた鍋の中身を布袋に入れてゲルの壁に吊るす。布袋から水滴が滴り落ちるその先には、バケツがあって、トイレのような異臭がする。「ヤギの胃袋だよ」と取り出して見せてくれたそれは、ひだがぽろぽろとれてきていた。すべて取れたら、バケツの中のウルムの残骸を詰めて熟成させ、白い油(ツァガーントス)を作るのだそうだ。白い油はなかなかな臭気がきつそうだけれど、保存が効くのは長所だ。

さて、この加工小屋にはいろんな乳加工品がある。左奥にはタラグ。その手前にはホルモックというどぶろくのようなヨーグルト発酵酒の樽。子どもが時々棒でついて攪拌している。
これらはいずれもそのままでは売らない。「街に出ていくのが嫌なんだよ」というこの夫婦は、日持ちのしない乳製品は商品とせず、それらを加工して長期保存の効くものにして、貯めておいて草原を去る秋口に売るのだそうだ(冬は街の家で暮らす)。

タラグは火にかけて脱水して干せばアーロルになる。タラグは毎日2種類できてたまっていくので、一日おきに牛のアーロルとヒツジ・ヤギのアーロルを交代で作る。ホルモックは、蒸留するとシミンアルヒという蒸留酒になる。手製の蒸留装置は、年季が入っている。蒸留酒はいい値段で売れるらしい。そして副産物として残ったオカラみたいなのは、これも脱水して切って干すとアーロルができる。このアーロルはちょっとすっぱい。

そんなこんなで14時くらいになり、馬乳酒なりお菓子なりを食べてひとやすみ。17時くらいに干し肉と米で夕飯を作って食べ、18時過ぎに牛とヤギと羊の搾乳。火にかけてウルムを仕掛け、吊るしておいた袋を川の近くの石のところに持って行って下敷きにし、今日の仕事は終了。21時に布団に入ったかと思うと、数分後にはいびきが聞こえてくる。

と、この家では色々な加工が一日の中で目まぐるしく行われるが、主力商品はアーロルだ。そのほかに、焦がしチーズの化石エーズギー(見た目は唐揚げ)、牛乳酒シミンアルヒ、精製バターのシャルトス、白い油ツァガーントスなどが日替わりで行われる。いずれも長期保存できるもので、ウルムとタラグは売らない。

ボルソック(揚げドーナツ)の上にどかんとのったアーロル。一つで満足感ある。

乳製品は、十分に発酵して腐敗する前になんとかしなければならないから、発酵と腐敗のサイクルの中で、毎日樽やバケツの中の発酵乳の様子を見ては昨日とちがう作業をする。朝起きてから夜寝るまで、昼寝休憩を除いて動きっぱなし。「こんなに大変なのになんで加工するの?」と聞くと、「同じことばかりやっているのは、私はつまらない。それに加工した方が高く売れるからね」と母は言う。

エーズギー。乳を焦がすまで加熱しているので、香ばしく甘い風味。

そういえば、この家に牧夫はいない。雇えなかったのだという。いい牧夫を探すのは、近年ますます大変になっているのだそうだ。さらに言うと、家畜の数(=資産)もあまり多くない。たくさん飼ってたくさん搾ってバンバン売るということができない以上、高付加価値にして単価を上げて売るのは理にかなっている。
頻繁に街に行きたくない、単調でなくいろんな作業をしていたい、そして単価を上げたい。長期保存用に向く乳製品に特化したのは、彼女たちのそんな選択の結果なのだ。

加工しなくていいならしない方がいい…?

30種類を超えるバリエーションの乳加工とか、乳の保存食とか、かっこいいしその未知の輝きに惹きつけられる。しかし、今回おじゃました首都に近く街にも近い3軒の家庭では、商売として作るものの種類数はきわめて限られていた。現代インフラの恩恵を享受している家庭ほど「加工しない」または「単純な加工のみをする」という選択がされることに、郷愁を帯びた複雑な気持ちになりつつも、そうだよなあという気持ちになった。

考えてみれば日本だって同じだ。大根は漬けものにせず野菜として使えるならそれに越したことはないし、鱈はカラカラに干した棒鱈よりも切り身の方が使い勝手がいい。

モンゴルの社会は、ここ30年ほど国内外の情勢変化に激しく翻弄されながら変化してきた。世界で二番目の社会主義国家であったが、ソ連崩壊後の1990年代に市場経済に移行。ネグデル(牧畜協同組合)の民営化によって公的支援が消失し、土地所有と利用が可能になり、気候変動による遊牧リスクが高まり、各世帯が自力でなんとか生計を立てなければならなくなって、"遊牧"も様々な生業形態が生じたとされる。定住化が進み、技術やインフラや流通も整えられてきた。限られた家畜のみを飼い乳加工をしないという選択は、ある意味現代社会を生きる草原の民の力強く豊かな選択肢と言えるかもしれない。

それに、ウルムとタラグはわかりやすくおいしいのだ。

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