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ジャイナ教の食のルールと、実際どこまで守っているのか?その裏にある意味

ジャイナ教は、世界一厳しい菜食を貫く宗教とも言われる。はじめて知ったときは「どうしてジャガイモがだめなの??」などとさっぱり分からなかったが、現地家庭に滞在して知るうちに、けっこう科学的で筋が通ったものであることと、一方で大きな矛盾も抱えていることがわかってきた。教わったり調べたことを元に、ジャイナ教の食をまとめたい。

ジャイナ教って?

ジャイナ教(ジャイナきょう、サンスクリット語: जैन、英: Jainism)は、マハーヴィーラ(ヴァルダマーナ、前6世紀-前5世紀)を祖師と仰ぎ、特にアヒンサー(不害)の禁戒を厳守するなど徹底した苦行・禁欲主義をもって知られるインドの宗教。「ジナ教」とも呼ばれる。仏教と異なりインド以外の地にはほとんど伝わらなかったが、その国内に深く根を下ろして、およそ2500年の長い期間にわたりインド文化の諸方面に影響を与え続け、今日もなおわずかだが無視できない信徒数を保っている。

Wikipedia「ジャイナ教」, 太字は筆者

信者数は約450万人。インドの人口の0.4%に過ぎないが、所得税全体の24%を収め、識字率は全国平均が65.4%のところ94.1%とずば抜けて高い。ダイヤモンド産業をはじめ商業に従事し、カーストも上位であるなど、インドの中でも特に豊かな集団だ(参考)。

その成立は2500年前の古代インドに遡る。ヒンドゥー教の元となったバラモン教が多大な動物供犠を要するものであったことから、その批判として生まれた。この世の始まり頃から少しずつ発展してきたとされていて、紀元前500年に最後(24人目)の祖師マハーヴィーラが登場して完成したとされる。

大原則:不殺生(アヒンサー)

古代インドに起源を持つ三宗教(ヒンドゥー教、仏教、ジャイナ教)に通ずる考え方で、生き物の命を奪ったり苦しめることを嫌う。仏教では非殺生戒にあたる。

不殺生はそんな複数宗教に通ずる思想であるけれど、ジャイナ教の特徴は、その徹底。他宗教が殺生と見なさないような「目に見えない小さな生命体」にまで敷衍する。すごいのは、紀元前からある古い宗教でありながら、微生物や細菌といった概念が存在しているという点。一見奇異にすら聞こえるルールもあるのだが、一方で非常に科学的な宗教とも言われている。

ちなみに不殺生の根底には、「精神の平穏に至り解脱するためには、あらゆる罪を避ける必要があり、他の生き物の命を奪うことは最大の罪」というような世界観があるのだけれど壮大なのでここでは割愛する。また、不殺生の他には、嘘をつかない、盗まないなど全部で5つの禁戒がある。

さて、殺生というのは具体的に何を指すのだろう。食の観点から見てみたい。

一つの感覚器だけを有する生命体が食べてよい

Wikipediaより引用

ジャイナ教の世界観によると、この世のすべてのものは生物と無生物にわけられて、生物は、そのものが持つ感覚器の数で五段階に分けられる。最も低次な、触覚だけをもつ生物カテゴリに、植物や水が該当する。不殺生を貫くならば本当はこれらも食べるべきではないのだけれど、それではさすがに生きていけないので、最も犠牲の小さい生き方として、この「一つだけの感覚器官をもつ生物」、すなわち植物だけを食べてよいこととしている。

つまり菜食ということね、と思うのはまだ早い。野菜であっても、食べてはいけないものが多くある。そこに「無数の生命が住んでいる」または「無数の生命が発生する」ものは徹底的に避けるのだ。

教義は一つ、ただしどこまで守るかは人それぞれだ。一体現実の生活はどんななのだろうか。
以下では在家信者の食に関して、教義と現実の生活を見ていきたい。生活の様子は、グジャラート州の複数家庭に滞在し、人々に聞いた話に基づく。ジャイナ教の中でも宗派や地域によって事情は異なるようなので、あくまでもこの地域の例ということでご容赦ください。

肉や魚を食べない

これは論じるまでもなく、断じてダメだ。動物は5つの感覚器官を有する、人間と同じクラスの生物なのだ。
インドのレストランメニューはたいてい「ベジ(菜食)」と「ノンベジ(肉を含む食事)」が分かれているのだが、ノンベジ料理とベジの両方を出す店では食事をしたくない、最低でもベジのみの店でないと嫌だという人は91%にも上(Pew Research Center, 2021)。理由は、調理器具や調理過程を通して肉が混入するかもしれない、肉を見るだけで心が穏やかでない、同じ空間で調理されたら浄性が保たれない、などなど。

緑はveg、赤はnon-veg、両方提供しているレストラン

卵を食べない

もちろん卵も生命の源だからダメ。ただし中にはokにしている人もいるらしい。ジャイナ教徒が多く住む地域のスーパーでは、肉や魚は一切売っていないけれど卵は隅の方に申し訳程度売っていた。

えらいまた隅のほうに…

乳製品はOKだけれど部分的にNG

ヴィーガンとの違いは乳製品がOKな点。殺生にあたらないからだ。ヨーグルト(ダヒ)やパニール(チーズ)は。インド料理の重要な食材だ。現代の畜産は工業化されていて牛に苦痛を与えているけれどいいのだろうかと疑問だったのだが、「インドでは牛の神様、大切に扱われているから大丈夫」とのことだった。確かに、街中を人間より偉そうに歩いている。牛は神様だけど実際消費量の多い水牛は悪魔と言われているけどどうなのというのは、深掘りしなないことにした。

ただしすべての乳製品がOKというわけではなく、厳格な人は「72時間以上経ったダヒは微生物が増えすぎているからダメ」「パニールはいいけれど、チーズは仔牛の胃からとった酵素(レンネット)を使うからダメ」などと線を引いていた。現代の食産業は、深く調べる人ほどダメなものが増えそうだ。

ピザは子どもや若者に人気。屋台のピザでもJain pizzaがある。

地面の下の野菜を食べない

じゃがいもやにんじんなどの根菜類が該当する。
じゃがいも自体は感覚器一つの植物だけれど、「地面の上の野菜に比べて遥かに多くの生命を殺す」ので禁じられている。解釈はいくつかあって、掘り起こすときに土中の微生物をたくさん殺してしまうから、芋を置いておくと芽を出すということは生命を宿しているから、トマトは単細胞だけれどじゃがいもは多細胞だから(そうなの?)、など。

そういうわけで厳格な人はじゃがいもやにんじんを食べないが、このあたりはokとしている人もそれなりにいる。「夫や子どもが好きだから作る」という人もいれば、「じゃがいもを使う料理は調理用バナナで代用する」という人もいる。

調理用バナナを潰してマッシュポテトがわりに。

では、根塊である生姜やターメリックはどうなのか?インド料理に欠かせないスパイスだ。
これは「生はダメだけれど乾燥させて粉末にしたものはOK」となっている。水分がなくなればバクテリアは増えないというのがその理屈だ。乾燥させる過程で生命は死ぬのだけれど、それは太陽光による自然のプロセスだからよいのだという(現代は太陽光ではないと思うのだけれど…)。

ターメリック(一番上)は色付けにマスト

また、じゃがいもなどの根菜に比べて生姜やターメリックは生でも比較的許されている印象。置いておいても芽を出さないことに加えて、「身体に良いから」という理屈で上書きされるようだ。生姜を入れたチャイは体をあたためるし、ターメリックは抗酸化作用がすごい。

生ターメリック、抗酸化作用抜群

地下茎の例外はまだある。ピーナッツは殻に覆われているし乾燥させるのでよいらしい。料理に使う油はピーナッツ油だし、ピーナッツのお菓子はよく食べる。わかるような、わからないような。

ピーナッツのお菓子chikiは豆板にそっくり

以上、細々書いたけれど、大まかには「土は湿っぽいし何かと微生物多そう。カラカラにしたら増えないから大丈夫」という感覚。

玉ねぎやにんにくを食べない

仏教の五葷と同じで、気持ちをかきてたてるので、魂の平穏に害である、冷静を失い虫を殺したりするなどの理由でだめ。代わりに、似た匂い成分を持つヒングが多用される。

玉ねぎは赤玉ねぎが主流?

実はなすも…

似た性質を持つらしい。玉ねぎやにんにくのような刺激はないからいまいちピンとこないのだけれど、アーユルヴェーダではtamasという「惰性な暗い食べ物」という同じカテゴリに分類されるらしい。

ただ、玉ねぎやにんにくに比べたら弱いからなのか、「身が柔らかくて虫が住みやすいからね」と理由2つセットで説明される。

柔らかいから虫が住みやすい、というのがいまいちわからないのだが。

厳格な人は守るけれど、なすとトマトの炒めたものなどは「おいしいからOK」とする人も。あるときナスを料理していたら虫が巣食っていたが、その部分を大きくくり抜いて使っていた。なすはじゃがいもよりは許されている印象。

きのこや菌類

これも理由の解釈は様々なのだが、無数の菌やバクテリアがいるからダメ、ジメジメした環境で育って不衛生だからダメ、などがよくある説明だ。日本では精進料理に欠かせないうまみ食材だが、それも使えないのだ。困らないのかと思うけれど、ジャイナコミュニティの地域に住んでいたら目にもしなかったので、必要としていないのだろう。

発酵食品や発酵パン

原則として、発酵は菌の働きなのでだめだ。どれくらい菌の数があるかはわからないけれど、変化しない野菜に比べて発酵は動的なので、無数の菌がいる感じはする。むくむくと膨らんでいくことから「菌を増やした上で焼き殺している=余計な殺生をしている」というロジックのようだ。無発酵パンであるチャパティ類はバリエーションが豊富にあり、一方でナンや食パンなどの発酵パンは食べない人が多い。

チャパティは無発酵だが、火に投げ込むとふっくら膨らみ柔らかく仕上がる

ただし、ドーサやイドリーのような、米と豆の生地にヨーグルト(ダヒ)を入れて数時間発酵させて焼く料理を食べない人には出会わなかった。いまいちわかりきれていないのだけれど、微妙な線引きがあるらしい。「ダヒによる乳酸発酵やベーキングパウダーはOK、ドライイーストはダメ」「日をまたがなければOK、一晩寝かした生地はだめ」など。

お世話になった家庭では、「ドーサやイドリーの生地は12時間以内までかつ日をまたがなければOK、ヨーグルトは72時間まで。パンは、本当は家で焼けば鮮度を保証できるからいいのだけれど、焼くのに手間がかかる上にたくさんできてしまう。それでも一日で食べきらなければいけないのは無理があるので、どうしても必要な時は買うことにしている」と言っていた。なんと制約の多いことか。
家庭によって線引きは異なるものの、朝食の定番であるドーサが厳格なジャイナ教家庭では夕食の選択肢になっているのは興味深かった。朝焼くために前日に生地を仕込んでおくことができないからだ。

南インドの朝食ドーサ。生地の発酵に4~8時間かかるので、厳しいジャイナ家庭では夕食メニュー。

ほうれん草、カリフラワー、ブロッコリー

ほうれん草は葉物の中でも虫がついていることが多いらしく、カリブロは房の中に虫が隠れていても見つけにくいから。厳格な人は守るけれど、このあたりはOKとしている人も多いよう。

モンスーンの時期は特に気をつける

普段はほうれん草OKとしている人も、モンスーンの季節は食べるのを避ける。日本の梅雨のようにじめじめした時期で、微生物や虫が繁殖しやすいからだ。この時期安全な食事は「乾燥した豆類と米を食べ、フレッシュな野菜や果物は避ける」というもの。また、モンスーン時期の終わりにはパリューシャナと呼ばれる大事な宗教儀礼の時期があり、この8~10日間は節食や絶食に尽くし、普段じゃがいもや玉ねぎを食べる人もこの時期ばかりは厳格になる。

5,8,11,14日は緑の野菜は食べない

ジャイナ教のカレンダーは15日サイクルになっていて、そのうち5,8,11,14日は宗教的に大事な日なので、節食の意味があって緑の野菜を食べない。緑の野菜というのは色の話ではなく、トマトやカリフラワーを含むフレッシュな野菜のこと。なので、乾燥した豆や豆の粉、穀物だけで食事が作られる。
これは行う人も行わない人もいる上に、5,8,14日だけ行う、人によってカレンダーが違うなど、けっこうややこしくてバリエーションがある。

豆のスープと豆の炒め物。

水は一度沸かしたものを飲む

昔は、生水は無数の菌やバクテリアがいた。いまは浄水器がある家やボトル水を使う家庭もあるけれど、それでも儀式的に布で濾す作業をする人もいる。滞在先のある家庭では、毎朝浄水器の水をコットンの白い布に通して水瓶に貯めていた。このあたりは、一度沸かしたものだけを飲む最も厳しい人たちから、浄水器に通した水をそのまま瓶に入れる人まで、やり方は様々。

浄水器の水を「白い布」に通すのは、半ば儀礼。

日没後の料理や食事はだめ

明かりがなかったその昔、暗い中で火を使ったり食事をとろうとすると意図せず虫を殺してしまう可能性が高かったからとされる。また、日没後は日光の光による殺菌効果が得られないので、食べ物にバクテリアが繁殖しやすくなるからというのも理由らしい(加熱調理したものをすぐ食べるなら問題ないように思うのだが)。夜18時前に夕飯を終えて、翌朝に日が昇って48分後までは何も食べない。厳しい人は水も飲まない。

現代は電気があって明るいし、社会生活を送る上で難しくもあるので、かなり許している人は多い印象。これを守っていると尊敬の対象というくらいの感覚はある。
守る人は、「夜遅くに食べない方が健康にもいいよ、intermittent fastingは科学によっても裏付けされている」という。

17時過ぎには強制的に全員が食卓に集う

前日の残り物はNG

日をまたぐと菌が増えるから。滞在先のある家庭では、「買ってきた野菜は冷蔵庫で何日かおいてもいいけれど、調理したものはその日のうちに食べて翌日に持ち越さない」と言っていた。極めて新鮮なものだけを食べるという良さはあるものの、作り置きができない、余分に作ることができないので托鉢や来客があると一家の主婦が我慢しなければならない、など不自由はある。また、朝食作りをゼロから始めなければならなくて、そのためかグジャラート州で出会った朝食はいずれもドライスナックだった。

ドライスナックの朝食。乾燥して水分がないので2週間くらいOKらしい。自家製。

乾燥豆や穀類は、虫がわかないように保存する

どこの家も台所のパントリーは、各種豆類や穀類、粉物が整然と並んでいた。中には必ず「石」が入っていて、これが虫除けになっているのだという。anti-pest mercury ballといい、水銀とセメントを混ぜたもののようだ(人体に安全なのだろうか)。

ウラド豆と保存用の石

そうやって保存した豆や粉を使う時も、虫が混ざっていないことを念入りに確認する。アタ(全粒粉)を使う前にふるうのは、ハスクを取り除くためではなく、虫がいないことを確認するためだ。グジャラート州の家庭ではどの家でもやっていたが、より寛容なラジャスタン州の家庭ではふるわずそのまま使っていた。

ザルに残ったハスクは再び粉にまぜて使う。香りが良いのだ。

生理中の女性は不浄

これはジャイナ教に限らずヒンドゥー教などにもある概念だが、血が出ることが殺生を連想させるのか血そのものが不浄だからなのか、寺に行ってはいけないなどの制約がある。それだけならばわかるのだが、台所に入ってはいけない、料理をしてはいけない、共有の食器や食べ物に触ってはいけない、皆と同じ食卓についてはいけないといった徹底的な隔離がある。ある家庭でちょうど生理中の女性がいたのだが、床に置かれた食事を床に座って食べ、チャパティ一つ食べるにも「そのチャパティを2枚このお皿にちょうだい」などとお願いしなければならず、他の誰にも触らないよう気を遣って生活していた。本人たちは「そういうもの」として受け入れているようなのだが、犬のように食事を与えられて食べる様子が、私には見ていて耐えられなかった。「私の祖母の頃は、生理中の女性は学校にもいけなかったの」とも教えてくれたから、それに比べたら今はましなのかもしれない。これは、程度の差こそあれ案外多くの家庭で守られているようだった。日没後の食事と同じくらいだろうか。

その他にも、食べ終わった食器は少量の水を注いできれいにしてその水を飲む(何も無駄にしない、食後の雑菌繁殖を抑えるため)、食事のおいしいや好き嫌いを表現しない(食はエネルギーであり楽しむべきでないため)、家の外で作られたものを食べない(どこの誰がどうやって作ったものかわからない)などある。

目的は不殺生だけ?

一貫して不殺生の精神が貫かれていることは間違いない。しかしよくよく見てみるとその裏に食品衛生や健康に生きるための「生存の知恵」が垣間見える。潔癖とすらも思えるほどの徹底した衛生管理は、高温で人口密度が高いインドで生き延びるためには非常に有効だっただろう。肉食による食中毒は菜食のそれより何十倍も怖いので、その意味でも菜食は衛生的だ。
2500年前に成立したものにしてはよくできているなと感心する。現代社会での矛盾や、迷信科学のように思えることもあるけれど、それはまた別の記事で。

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