見出し画像

見えない生命に思いを及ばすジャイナ教家庭の台所

西インド、グジャラート州のジャイナ教家庭に滞在している。

インド人口のたった0.4%しかいないジャイナ教は、食のルールが厳しいことで知られる宗教だ。肉や魚や卵だけでなく、野菜も食べてはいけないものが多々ある。トマトとほうれん草と豆はよいけれど、ジャガイモとニンニクとキノコはだめ。

けれど、「神聖な生き物だから」とか「汚れているから」という反論を許さぬ理由ではなく、一貫したロジカルな説明がされるから、不思議と親しみやすさを感じる。すべての根本にあるのは、生き物を殺さないという徹底した思想だ。

キノコは菌類かつ虫がたくさんついているので、これを調理することは多くの命を奪うことになる。

ジャガイモなど「地面の下の植物」は、幾通りかの説明がある。掘るときに無数の菌やバクテリアを殺す可能性があるから、放置して芽を出すということは命を宿しているから、じめじめしていてバクテリアが増えやすいから、などなど。とにかく、無数の命を殺める可能性が高い。

ニンニクは仏教の五葷と同じ理由。気持ちを掻き立て、注意力を失って虫や動物を殺してしまうから避けるべきだそうだ。

台所にいると、それ以外にも不殺生の思想は食習慣の隅々まで反映されていて、家の台所を担うスヴァルナ母さんは一つ一つ教えてくれた。

朝一番にその日の分の水を濾過してかめに入れるの。水中のバクテリアや細菌がないようにするため」。

調理したおかずはその日のうちに食べて、翌日に持ち越さない。
「細菌が増え始めるからね。でも、水分が少ないものは細菌繁殖しにくいから、少し長い。焼いたチャパティ(平焼きパン)は一日だけれど、揚げたのは3日。ドライなスナック類やナッツは2週間くらいね」。

台所を常に清潔に保ち、小麦粉(アタ)を使う前に篩でふるうのも、お皿の上の残渣を流さないのも、聞くとすべて理由を教えてくれる。

「ジャイナの食のルールは科学的だと思うの。細菌や公衆衛生の知識がない数千年前の時代に、これだけのことがわかっていてルールになったって、すごいことだと思わない?」とスヴァルナ。たしかにすごい。でもそれ以上にすごいと私が感じるのは、普通の家の主婦が説明できるという事実の方だ。

どうしたらよいか判断や解釈に迷うときは、グル(指導者)の言葉を仰ぐ。食べてよいかどうかという表面的なルールではなく、殺したくないという意志を感じる。現代の生活環境変化や技術進歩の中で、フレキシブルに判断して生活しているようで、へんな言い方だけれど"こわくない"感じ。

今日の夕飯はドーサ。米とウラド豆を数時間浸して挽いた生地を鉄板でパリッと焼き、スパイシーなじゃがいも炒めを包むものだ。

「ドーサは一日のうちのいつ食べるの?」
「朝にも、昼にも、軽食にも、夜にも、いつでもOKよ。でもうちは朝には食べない。だってそのためには前日に生地の支度をする必要があって、日をまたぐと菌が増えすぎるからね」。

「ドーサにじゃがいも炒めを包むの?じゃがいもは、食べていいの?」
「私は食べないけれど、夫が好きだから作るの。野菜は許せるかな。私も生姜やターメリックは健康のために食べるしね」。

厳格な人は日没後の料理や食事を避け、3日以上前に開封したケチャップは使わず、葉物の中でも虫の付きやすいほうれん草は避けるというけれど、うちはそこはいいことにしてるの、という。家を出た息子たちの食習慣変化にも、肉や魚を食べない限りは寛容だ。

ドーサが焼き上がってきた。普通の台所と何変わらぬ、いい音とにおいがしてきている。
虫をも殺さぬ宗教と言われると、どんな厳しい生活を送る厳格な人たちだろうとドキドキしていたけれど、拍子抜けするくらいにふつうだった。

私と同じように食べたいものを食べて、健康に時々気を遣って、でも「生き物を殺さず心穏やかに暮らしたい」という強い思いだけが加わった生活。それに、生命体が生まれそうなものを避けると、結果的に食中毒や刺激の強いものを避けることになるので、身体によくもある。

どこのレストランや屋台で食べたよりも新鮮で、パリッとして、人生最高においしいマサラドーサを食べて、残飯を通りの犬にやり、ジャイナ家庭での初日が静かに終わっていった。

いただいたサポートは、 ①次の台所探検の旅費 または ②あなたのもとでお話させていただく際の交通費 に使わせていただきます。