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パレスチナの台所から①〜難民キャンプのふっくらチキン

パレスチナの家庭に滞在した。

パレスチナと言ったら「難民?」くらいの知識しか持ち合わせていなかったこの土地で、三者三様の笑いある暮らしとその中での厳しい現実に出会い、帰国して2週間経つ今もまだ「どうだった?」という質問に答えられないくらい頭はこんがらがっている。

現地家庭で時間をともにする中で、来る前の自分の知識がいかに偏ったものであったかを痛感するとともに、パレスチナの人々の心からのやさしさに接し、ごめんねと謝るかわりに本当の暮らしを伝えたいと思った。

お世話になった3軒の家庭のある日の台所から届けます。

パレスチナとは?

パレスチナ国(パレスチナこく、アラビア語: دولة فلسطين‎, Dawlat Filasṭīn、英語: State of Palestine)は、地中海の東部のパレスチナにある主権国家である。国際連合(UN)には未加盟であるが、2016年8月時点で136の国連加盟国が国家として承認している。領土はヨルダン川西岸地区およびガザ地区から成り、東エルサレムを首都として定めている。(Wikipedia「パレスチナ国」より)

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- 黄色がパレスチナ。外務省HPより -

日本では「イスラエル国」の一部、自治区ということになっているが、国際的には国家承認している国の方が多い。

出会ったパレスチナ人は皆、”イスラエル扱い”されることをものすごく嫌っていた。自分たちアラブ人が住んでいた土地にユダヤ人がやってきて、一方的にユダヤ人国家を作ってアラブ人を追い出したという意識が強く、イスラエルという国の存在を認めない人もいる。(もちろんイスラエル側の歴史解釈は異なる)

1. アフマッド宅の台所(難民キャンプ)

アフマッドは、ヨルダン川西岸地区に19ある難民キャンプのうちの一つドヘイシャキャンプに住んでいる。「キャンプ内は住所がなくてね」とキャンプ入口まで迎えに来てくれた。

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キャンプと言っても、テントやバラックが並ぶ荒野ではなく普通の建物が建っている。このキャンプができたのは1949年。最初は家を追われて仮住まいのつもりでやってきた人々も、70年の間に子供を生み家族を作り、この土地での生活を築き上げている。

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キャンプ内は過密だ。住人の数は1949年当時から何倍にも増えた。家族が増えても新しい建物を建てる土地はないので、2階をつくり3階をのせ、家を縦に縦に拡張していく。「でもうちはもう古いからこれ以上積むことはできない」とアフマッド。

キャンプ内を歩くと、そこら中の壁に人の顔が描かれている。イスラエル兵の攻撃による犠牲者だ。日常的に繰り返される襲撃のため、「どの家のドアを叩いても犠牲者か元囚人か障害者がいる」という。このキャンプは特に、左翼派の多い地域なのだ。

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似顔絵が書き殴られた壁を見つめて呆然としていたら、そばで遊んでいた女の子が駆け寄ってきてお絵かきをくれた。そして自撮りをせがんできた。一気に気持ちが和んだ。

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エアコンでしっかりあたたかいお家

家にたどり着いたら、そこにはエアコンの温風にあたりながらぼんやりテレビを観るお母さんの姿があった。ベッドのある部屋もストーブでぽかぽかにあたためてくれてある。電気代もかかるだろうにと止めようとしたら、「キャンプ難民は電気代が無料だからいいんだ」と言う。

お腹空いてない?と食べさせてくれた自家製パンは、今朝焼きたてでほっとするおいしさだった。

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生焼けで止まるチキン

この日の夕飯は「鶏とじゃがいもを盆で焼いたやつ(Siniyet Djaj o Batata)」。大きなお盆のような電気鍋(Siniyet)に鶏とじゃがいもを切って入れ、スパイスをまぶしてスイッチオンするだけ。なんにもしたくない時に作る手抜き料理だそうだ。

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「このまま放置して1時間。」風邪気味のお母さんはスイッチを入れるや否やソファに身をうずめる。

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30分後。電気が消えた。「あー、停電だ。今日もか」とアフマッドは落ち着いている。イスラエルはしばしばパレスチナへの電力供給を止める。電気代を払っていないゆえ難民キャンプは、まっさきにカットオフの対象になる。

慣れた様子で懐中電灯の明かりをつけるが、チキンが止まるのは困る。ときには10分、ときには5時間、いつ復旧するかもわからない。30分ほどして電気が戻ってこないので、悔しそうな様子で生焼けチキンの大盆をガスコンロに移す。こういうとき昔ながらのガスコンロは盤石だ。

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水が止まる。洗い物がたまる。

ふと流し台に目をやると、洗い物が山ほど溜まっている。

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「水が来るのは3~4週間にたった一度、それも8時間だけなんだ。その間に屋上のタンクに水を貯めるんだけど、もうそのタンクも空っぽ…もうそろそろ明日くらいには水が来るかな。来てほしいな。」

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電気だけでなく水も、イスラエルによって止められる。水も電気も安定して来ない台所で、それでも毎日ご飯を作る。食べないわけにはいかぬから。

いつでも食べる。「毎日がホリデー」

そうこうしているうちにチキンが焼けてきた。いい匂いにつられて、みんなが寄ってきた。真っ暗な台所なのになんだか明るい。

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夕飯ができたのは19時過ぎ。暗闇の中かぶりつくと、チキンはふっくら、じゃがいもはほくほくしておいしかった。途中で加熱が止まったおかげで、期せずして蒸らし時間ができたためか。

しかし予定よりだいぶ遅れてしまった。ふだん何時にごはん食べるのと尋ねたら、「決まった時間はないよ。いつでも食べたい時に食べるよ。だってみんな家にいるから」と言う。

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キャンプ内の失業率は著しく高く、大半が失業者と言っても過言でない。通りですれ違う人はみんな明るく、午後なのに「Good Morning!」と笑顔で挨拶してくれる。英語がわからないのかと思ったけれど、どうも本当に起きたばかりだったらしい。「働いていたら生活リズムがあるけれど、僕らは毎日がホリデーさ」と複雑な笑いを浮かべる。

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次のお家に続く

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