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図書館に浸る

図書館が無性に好きな人で、転居先はたいてい近くに図書館がある場所を選んだ。
彼女いわく「図書館が近くにあれば、自室に巨大な本棚を持っているのと同じことになるから」

自宅にはたくさんの本が置けない。だが歩いて数分もかからないところに図書館があれば、よほどの人気作でない限りほぼ常設してあるのだからそれは自分の本棚にならんだ自分の所有物とほとんど同じことになるのだ。

背の高い本棚に本が上から下までぎっしりと入っていると女はそれだけで満たされる。自分の中に古今東西の書き手が語りかけてきて、好きなようにしゃべって通り過ぎ、元気かと声をかけてきて、俺の本はいつ読むんだとせっつかれ、大方読んでいないにも関わらず、彼らの知識がみっしりと吸収された気になり、あなたのまだ知らない話をあたしは知っているのよと軽くあしらわれるのもまた心地よく、もうすぐ読んでやるからまっておれと鼻から胸まで古い時代から最近のものにいたるまで大量の本の粒子の浮かぶ図書館の空気を深く吸い込んだなら、女の心身はすでに満たされているのである。


電子書籍では満足できない人だった。紙の手触りを感じながら、色あせたページを一枚めくり数枚戻って読んだりするのが好きだった。
紙の匂いをかぎながら、本の重さを知りながら、本を閉じるたびに現れる表紙が見慣れてくるころに、本と心の一部がシンクロしているのを感じることを好んだ。

新品も好きだったが、なにより図書館で何人もの指でめくられたような本に心が弾んだ。
中には潰れた小さな虫がいるときもあったし、血液、角の折り目、どうみても鼻くそ、コーヒーらしく茶色く色づいたシミ、だがそれは長年の風化でそんな色になっているのかもしれなかった。
趣があったのは鼻血でも落ちたのだろうか、劇的に放射状に飛び散った血液の跡だった。それは見事な均等を保った飛び散り方で拭いて伸ばしたりせず上からパタンと本で閉じた跡のようでもあり、よく無理やり拭き取りもせず残しておいてくれたと感謝したくなるような代物だった。

奥付の読み終えた日付らしい数字、解読不明なサイン、一言のみの感想、何人もの指で懸命にめくられ続けた結果本を閉じて指を這わせてめくるページの色濃く茶から黒く変色している真ん中より気持ち下のあたり。
みな、だいたい同じところを左手の親指で抑えるらしい。それともそこに惹きつけられてしまうのか。指が勝手に乗ってしまうのか。だって、わざわざ意識して見ず知らずの誰かが触れ、何人も何人も触れまくった同じ部分を触ろうとはしないと思うから。
女はそこを辿った人々に思いを馳せる。

女は色気も何もなく、ドラマ「阿修羅のごとく」の中のいしだあゆみを型どった様子なのだが、一方で本に対しては貪欲だった。
同世代の子たちがファッションとして持ち歩く書物の存在はおもしろいとは感じたが、かといって自分が装丁だけで本を購入するかといえばそんなことはなかった。
アニメ風の表紙に心が惹かれることは皆無だった。むしろ軽い本に変わってしまったような悲しさを感じた。

外装よりも中身が大事で、新刊でも中古本でもまったく意に介さなかった。自分の持ち物としての本がおしゃれな装丁をしているからといってムルソーがムルソーでなくなるわけではないし、ジュリアンだってジュリアンのままだった。

ファッションアイテムの一部として本が購入されるという事実は、別に女にとって不快なことでもなければ非難の対象になるものでもなかった。出版社が儲かるだけだし、それでもっといい本を刊行してくれるのならばむしろ歓迎すべきことだ。

ただ、女にとっては慣れ親しんだ文庫本の、色あせて醤油色に染まってきたものも中にはあるが、それでも好きな出版社の好きな翻訳者のものでなければ味わえない異空間があるのだった。


本に出会いたくて、女は今日も図書館に行く。
新しい友達と知り合えたり、その背表紙で窮地の知人と挨拶を交わすことに女は喜びを感じる。

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