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30年前、演劇を見ていた。千本のっこや山田のぼるくんに会っていた頃。

ここのところ「千本のっこ」が顔を出して仕方がない。
人間ではない。
千本のっこの言葉だけが、ある日ひょっこり登場しそのまま居着いてしまった様子だ。

しばらく離れていたけれど、また文章を書きたいな。
そんな折、自己鍛錬のために「千本ノックを打つように作品を書く」というある作家の言葉をふと思い出した。
日記を書くように、エッセーなどの一言日記より長いものを書きたいな、などとも思っていた。どこかに公開なんてしなくても、書き癖をつけるためにほぼ毎日。
まさに千本ノック。ガンバレ、自分。

しかし、である。
数日のうちに、わたしのやる気などいとも簡単に崩れ去ったが、その代わり居座ってしまったのがノックではなく「のっこ」の方、つまり「千本のっこ」だったというわけだ。

千本のっこ。
言わずとしれた『ラヂオの時間』の登場人物だが、実はわたしは映画を見たことがない。
三谷幸喜さんの傑作なのだから一度は見ておいてもよさそうなものだが。

ではなぜこの名を知っているか?

映画ではなく、同作品のお芝居を見ているのである。
しかもライブではなくビデオか何かで。
東京サンシャインボーイズ。
当時わたしは大学の演劇サークルに所属していた。そんなこともあって劇団とか舞台に興味があった。
おそらく1993年あたりの公演ビデオではないかと思われるが、あの面白さに匹敵するお芝居に未だわたしは出会っていないのである。

出演者もそうそうたるメンバーで、西村まさ彦さん(当時はまだ雅彦さん)、梶原善さん、相島一之さん。阿南健治さんに宮地雅子さん、甲本雅裕さんに伊藤俊人さん等、おおかた今でも活躍されている面々ばかりだ。深沢敦さんもなつかしいなぁ。

今回調べてみて知ったのだが、近藤芳正さんは客演だったのか。
てっきりサンシャインボーイズの一員かと思っていた。

それはそうと、あれから30年も経つのか……
愕然ともするが、あの頃の楽しさが蘇ってもくる。

高校生まで田舎に住んでいた。
その小さな町に、地元の高校生が扉座の前身である善人会議を呼んだ時には驚いた。
その前年あたりに学校行事で演劇鑑賞があり、善人会議の『ジプシー』という舞台を観劇したのではなかっただろうか。
舞台で輝く役者がかっこよかった。少しクサイが話もよかった。
だけどなにより、そんな行動をとれる高校生の彼女らがすごいと思った。
イケメン(古い?)の役者さんに対するミーハー(死語?)ぶりにじゃっかん引いたが、それでも若さゆえの行動力。都会から劇団を招いたのだ。すごいことだ。

横内謙介さんが脚本・演出で、六角精児さんとか有馬自由さん、赤星明光さんとかがいた。
高橋一生さんは扉座になってから所属していたみたいで。


自分でお芝居に関わろうとは思わなかったが、心のどこかでもっと知りたい!
という思いがあったのだと思う。
大学のサークルで演劇をかじっていたが、それは役者ではなく裏方として。当時から書くことが好きだったので、役者より脚本家の方に興味があった。
しかし実際書いていたのは小説まがいだったのだけれど。

ソワレとか演劇ぶっくなどの演劇雑誌も読んでいた。
天海祐希さんもまだ宝塚在籍中だったはずだ。内野聖陽さんは「文学座の内野さん」みたいな感じだった。
野田秀樹さんとか平田オリザさんとか、当たり前に当たり前のスター集団が載っていた。

第三舞台とか(いわずもがなの鴻上尚史さん)、遊◎機械/全自動シアターとか、ずいぶんなつかしい。山田のぼるくんに会いたくて青山円形劇場まで行ったっけ。高泉淳子さんや白井晃さん所属の劇団である。

目の前で展開される生のお芝居の臨場感は、テレビとはまったく違う。
コロナ禍で直接対面せずに行われたリモート会議より、人間同士が顔を突き合わせた会議の方がずっと頭に残るというのとどこか似ている。
ライブという、その場限りの時間と空間を共有し、そこで目撃したことが我々のすべてだという共犯めいた感覚も好きだ。

あの頃はよかったとか、そんな陳腐な言葉は使わない。
あの頃もよかったが、それなりに今もいいことがある。

そういうことではなく、30年も前のことをきちんと思い出し、記憶を蘇らせることができることが楽しいし嬉しい。
当時胸を高鳴らせていたことを思い返し、そんなことがあったあった! と喜べることがありがたいのだ
特別に劇的なことがあった半生ではない。だけど元気にここまで生きてこられた。
そのなかで、夢中になれたものがあってよかった。
それは例えば映画という人もいるだろうし、アニメという人もいるだろう。スポーツかもしれないし音楽活動かもしれない。めちゃくちゃ仕事に没頭した人だっているだろうし、今も熱中し続けているという人もいるかもしれない。

自分の人生の一時期を何が彩ってきたかを考えるのは楽しい。
わたしの場合、それの一つが演劇だったということだ。

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