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精神病院で生きていた話 その1


こんな事になるのは何度目だろうか。
私は訪問看護の湖東さんに付き添われて、通っているメンタルクリニックの待合室にいる。
一昨日、オーバードースした薬のせいで息が苦しくて心臓がバクバクしている。
先生に何を話すかを考えている。感情のことより実際あった事を話そうと思っていた。

月曜日に私は死にたくなってしまった。仕事も恋愛もすべて上手くいかない。もう限界だ、上手くいかずに迷惑をかけた人に死んで詫びなくてはいけない。そんな気持ちになり睡眠薬や精神薬を200錠、レッドブルで流し込んだ。
それからしばらくすると意識はなくなった。目が覚めると大きな病院のベットで寝ていて湖東さんが隣に座っていた。意識が混濁していた僕は何が起こったのか全く分からなかった。
どうやら意識を失ってる間に湖東さんに「ごめんなさい」と6文字だけメールを送っていたらしい。

本当にごめんなさいの気持ちになった。

それから2日経った。この2日間はつらすぎて咳止め薬遊びをしてハイになって咳止め薬が抜けると鬱になってを繰り返していた。その時に「咳止め薬の致死量はどれくらいだろう」とよろしくない疑問を感じ検索してしまった。成分を計算すると200錠。全然揃えられる量だ。
運が悪く私の家の周りにはドラッグストアが沢山あった。私は自転車で店舗を回り一人一瓶しか売ってもらない薬をいくつも買った。430錠ほどの咳止め薬を手に入れ帰るとそれをすべてまたレッドブルで飲んだ。
心臓がバクバクして呼吸が上手くできなくなり死ぬというのはつらい事なんだなと思った。
意識は清明だった。レッドブルのゲップが薬品臭くて口の中が気持ち悪くなった。

「死ぬ前にミルクティーが飲みたい」

僕はアパートを出るとコンビニの前で倒れ、またあの大きな病院に運ばれた。
同じ先生が「お久しぶり」と迎えてくれた。

そんな事を思い出していると順番が来た。
「三谷さんどうぞー」
いつもの医療事務員が声をかけ、湖東さんが僕の顔を見て「大丈夫だよ」と言う顔をしてくれた。
診察室に入り先生の顔を見る。
もう20年通っている病院の信頼できる河上先生。先生の顔は髭だらけだが清潔感のある不思議な顔だ。先生の顔を見ると私は安心して涙が止まらなくなってしまった。そして同時にすごく怖くなった。
【まだ助かるかもしれない】という気持ちと【まだ頑張らないといけない】と言う気持ちの入り交じった爆弾の様な涙だった。
「どうしたんだい?落ち着いて話をしてごらん」

私は涙を押し込みながら聞き取れるか聞き取れないかのような声で話しをはじめた。
「月曜日に薬を200錠飲んで死ねなくて、どうしても死にたくて一昨日咳止め致死量の倍飲んでそれでも死ねなくて、もうこれ以上頑張りたくなくてだからだから」

私はそれ以上喋れなくなって号泣をしてしまった。
湖東さんが宥めるように私の背中をさする。優しい手の動きが辛くて泣くのをやめれなかった。

先生が宥めるように優しく質問をする。
「今日は何曜日だかわかるかい?」
「・・・金曜日」
今は何曜日だっけ?それを少し考えたら涙が落ち着いた。
「意識ははっきりしてるようだね。三谷くんはよく頑張ったよ、入院して少し休もう。のんびりしてくるといいよ。その後のことはその後考えればいい。病院を紹介するよ。」

私は「助かった…」と思った。
「ただ、今は金曜日の夜だ。病院もなかなか見つからない。薬を出すから月曜日まで我慢できるかい?」

それから月曜日までは先生の処方してくれた抗不安薬を飲みながら時折湖東さんも電話をしてきてくれて何とか生き延びた。月曜日の朝、電話が鳴りクリニックのソーシャルワーカーが「T病院に決まりました」と教えてくれた。

すぐにT病院について調べてみた。Googleのレビューは低評価ばかりだ。某匿名掲示板ではS病院、K病院と共に県内三大ワースト病院と書かれていた。先生は「のんびりしてきなさい」と言っていたけど本当にのんびりできる所なのだろうか?
不安を抱えて睡眠不足になっていた。



実話をもとにした創作精神病院入院記です。
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