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どんな愛も伝わる。そして、伝わってしまう。

私は本当に“愛”が好き。


愛ほど、尊く、美しく、良くも悪くも大きな力を持つものはないと強く信じている。

私の身体は愛に敏感で、それが当事者としてでも第三者としてでも、愛を感じたときに自然と目から涙が出る仕様になっている。


そんな信念も身体の仕様も、私の育ってきた家庭が影響していて、
それはこれまでとこれからの仕事選びにも、影響している。

このあたりはまたnoteに書こうと思っているのだけど、、
つまり私は、人生単位で"愛"に強い関心があるのだ。


そんな私に、先日また"愛"に関する私の哲学に影響する体験があった。


*****


6/15(土)、先月から通っている講座「言葉の企画」の第2回目の講座が実施された。

今回出ていた課題は、「○○○○○○(ある実在する2人組フォークデュオアーティスト)がどうしたら話題になるのか、自由に企画せよ」というものだった。

71名の企画生が同じだけの時間を与えられ、企画を考え、企画書に落とし込む。

講座数日前にその全ての企画書を共有されるのだが、心をグッと掴まれるいくつかの企画書を見ていてしみじみ感じた。


「企画書ってほんとラブレターだな」と。


そのアーティストとそのスタッフに対する、「あなたたちはここが素敵!」「応援したい!」「力になりたい!」そんな愛のある声が企画書から聞こえてくる。



そして同時に、「これは、伝わってしまう。」と肩を落とした。

私の企画書に詰まった、“見せかけの愛”が。


やはり講座当日の総選挙(全ての企画の中で、“伝わった、実現したい"と思った企画を投票で順位を決める選挙)でも、私の企画書に入っていたのはほんの数票だけだった。

(でも、貴重な票を入れてくれた人がいたことは、本当に嬉しかった。心が救われた。ありがとうございました。泣)


理由は分かっていた。


白状する。

私は企画書を作る過程で、そのアーティストのことを調べまくり、本気で考え、本気で想っていなかった。

調べたが、本気になれなかった。

本気で向き合おうとしていなかったからだ…。

「話題になれば嬉しい。」
それくらいの気持ちだった。
今覚えばもう、何て失礼で、自分も相手の可能性も信じず、情けない話かと、顔が赤くなる。ごめんなさい。

そんな状態でなんとかカタチにした「見せかけの愛(企画書)」は、やっぱり伝わる。伝わってしまう。



そして講座当日は、阿部さんの実際のお仕事の企画書もたくさん見せて頂いた。

感動した。


相手のことを徹底的に調べ上げ、相手の良いところを見付け出し、何者なのかを言語化して、その時代に合わせた、相手のためだけの企画を熟考して、“伝わる”企画書に落とし込んでいた。


私の何倍も、頭と時間、そして心を使っていることを痛感した。

そうやってできた企画書からは、見せかけではない“ほんとうの愛”を感じた。

相手を本気で想う、愛が伝わった。
目頭が熱くなった。


魅力がない人なんていない
一生懸命のあるところには何かがある
それを言葉にして背中を押したい
「愛と熱」を持って接する
覚悟のある肯定
「私は、私で大丈夫なんだ」
そう思ってもらいたい


阿部さんの話してくれたこの気持ち、この言葉が本当に好き。大好き。
全ての言葉に共感する。


魅力がない人なんていないと思うし、それを言葉にして背中を押したい。
「愛と熱」を持って接したいし、「私は、私で大丈夫なんだ」そう思ってもらいたい。
そして、愛を伝える人の力になりたい。

だから、企画の勉強をしに来た、言葉の勉強をしに来た。

見せかけの愛のある企画書を作ってしまったのは、
本気で向き合おうとしていなかったのは、
その目的や意志を忘れてしまっていたからだ。


そんな私に阿部さんや企画生は、企画書を通して喝を入れてくれた。


「愛がどうこう」と言う前に、目の前のヒト、コト、モノに本気で向き合うこと、本気で想うこと。

そうしてはじめて、相手に伝わるほんとうの愛を与えることができる。


そんな信念を持って、また頑張ろうと思う。



P.S. 

企画書提出後にそのアーティストのLIVEにお邪魔したんだけど、本当に可愛くてかっこよくて全力で明るくて元気で、ちょっとほんとに好きになりました。

「一生懸命のあるところには何かがある。」

その何かに気付けるまで、好きになれるまで、調べ続け、本気で向き合い続けようと思いました。




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