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現象学における「想像力」

現象学における「想像力」はマガジン「原文から読む哲学」購読者の要望によって書かれたものです。何か解説してもらいたい哲学の何かとかあればご要望ください。可能な限り詳しく書いてみたいと思います。 

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 ざっくりみると現象学において「想像力」という概念は知覚に類する作用として扱われてきたように思われる。だから「想像をたくましくする」とか「想像したとおりの結果になる」とかの意味で使用される「想像」は現象学の想像概念の中には入ってこない。むしろケンタウロスとか水の精を思い浮かべたり、幻覚を見たりする場合など、何らかの感覚的対象を思い浮かべたりする場合の概念として基本的には使用されている。(このような傾向はアリストテレスからしてそうである(『魂について』参照)。
 ただ用語の選択は人によってまちまちだ。まず「想像(力)」と聞くと最初に imagination という言葉を思い浮かべる人が多いと思われるが、フッサールはむしろ Phantasie という言葉を使い、Imagination は像意識と呼ばれる絵画とか彫像を見たりする経験をあらわすのに使用される。どうしてそうなったのかはよくわからないが、Phantasie はギリシア語の φαντασια が語源でそのラテン語翻訳がimagination であることから語源的に古い方を採用したのかもしれない。ただし、フランス語には Phantasie に類する概念がないのでフッサールの翻訳では一般にimaginationを使っている。サルトルの二冊の著作『想像力』『想像的なもの』(訳書は『想像力の問題』(平井啓之訳、人文書院、1955年)となっているが原題は L'imaginaire なので、「想像的なもの」と訳すことにする)、明らかにフッサールの Phantasie 概念が念頭に置かれているけれども、どちらも L'imagination, L'imaginaire と imagination 系列の言葉を使っている。じゃあフッサールの Imagination と Phantasie をどう翻訳し分けているのかという問題が発生するはずだが、フッサールはそもそもあまり Imagination という概念を使わなかったのでさほど問題にならなかったのかもしれない( Imagination と Phantasie が対比されて使われるのは、1904/5年の空想に関する草稿だけである)。
 他にも想像的な能力をあらわす言葉はドイツ語にはたくさんあっていろいろ使われている。例えば Einbildung という言葉がある。辞書だと「空想、妄想」という意味が出てくるが、哲学ではカントの Einbildungskraft =「構想力」という概念が有名であり、現象学ではあまり使われない。フッサールの場合だと、Halluzinationという言葉が明示的に幻覚を指す言葉として使われていたり、Fiktion(虚構と訳される)が感覚的対象に限らない空想(想像)をあらわす言葉として使用されていたりする。他にもいろいろあると思うが、概念の意味合いは書物ごとにコロコロ変わるので、最終的には読みながらその文脈ごとに判断していくしかない。
 また想像「力」に関してであるが、この「力」に焦点を当てて探求していく姿勢は現象学者にはあまり見られない。例えばフッサールなら空想について記述するというのは空想の中でどのような作用が生じており(ノエシス的分析)、それが空想対象に対してどのように付加されているのか(ノエマ的分析)と言ったような意識の志向的構造の探究になるからである。要するに一般的な意味での「想像力」について現象学者は「想像」という言葉で語らない場合もあるように思われる。というわけで要望に応えられているかわからないが、とりあえず現象学において「想像(空想)」はどのように語られてきたかについて述べていくことにしよう。

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9,450字
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