雑記0818

 
きのう目と鼻の先のコンビニで強盗傷害事件があって、犯人はいまだ逃走中なのだけど、そんなのは些末なことだ。
わらわらと群がる警察官を道路脇からうかがう野球帽の少年、写真を撮ろうとするその手には獲物に狙いを定めた鷹のように雄々しく広げられたガラケーがあった。
ガラケーて。そんな日焼けした腕で。お母さんが心配するから早く帰りなさい。
でも好きなんだよなこういうの。もちろんガラケーのスタイリッシュで顔に沿ったフォルム、艶めく黒のボディ、下品に光る謎の着信ライトも全部好きなんだけど、それよりも何より少年とガラケーの組み合わせにグッと来る。
僕らの時代の小学生はケータイなんて持ってなかったし、今の子供たちならスマホを持たせてもらっている。そこにきて真っ赤な野球帽を被った少年が、パパラッチよろしく警察官をガラケー横持ちで撮っているさまは、絵画のように印象深く、徹夜明けの空気のように新鮮だった。
 
ああ、好きだ。
 
電車で隣に座った真っ白なワンピースを着たお姉さんが、スマホ横持ちで本気でゲームしているから好きだ。
食堂で一人でPSP持ってモンハンしてる女がいた、っていう友達の笑い話、そういう子、好きだ。
手作りパンコーナーで甘いパンを買って帰る疲れた顔のサラリーマンとか、改札に引っかかって恥ずかしそうな高校生とか、インフォメーションにいる困ってる外国人とか、みんな好きだ。
 
こういう気持ちなんていうのかな、恋? でもそう、ときめきに近いものがたしかにある。
それは例えば友人が母親の前でだけ見せる顔だとか、新人のレジ打ちバイトがミスをした時とか、本人の無意識下で現れる素の姿、あるいは人間味の部分が、ある瞬間とてつもなく愛おしくてたまらなくなる。家ではださいセーター着てたり、Twitterで愚痴をこぼしちゃったり、予想外の返事が笑えたり、そういう当の本人も気付いてないような部分を知って、感じて、もっともっとひとのことを好きになりたい。
 
ひとを知るというのは、好きになるというのは、そういうことだから。
 
 

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