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雨あがりの夕ぐれ時         ~あつい夏の終わりの頃~

 今年の夏はあつい。その夏の休みはことごとく研修に盗られ、訪問に奪われ、出先機関に行かないと…過ごすうちに9月も半ばを過ぎてしまった。
 今年はこれに加えて、家のリフォームの検討が5月ぐらいから始まり、9月に本契約をしてしまった。なので考えること・決めないといけないことが目白押しである。
 それでなくても学校の2学期が始まり、1学期の終わりからくすぶっていた件に加えて、重ための件が立て続けに立ち現われて、保護者対応やらケースカンファレンスやらで、就寝時間を早めにしないと、これらをこなせない日々である。

 それに加えて。むすめが休職に入った。そう。その時は突然やってくる。

 むすめは母親からみてもしっかりと自分の視点を持っていて、状況把握をしていた。上司たちにも恵まれ円滑な労働を継続してきた。なのにである。

 さしてショックを受けていないわたし・母親。のようであるが、いつかガーンと来そうである。今のところ暑さに負けず、休みをとれる時に取りながら、相談者の話しを聴き、訪問を続けている。

 むすめは心療内科を受けたいという。共にクリニックをネットで探すも、昨年や一昨年に開業のクリニックばかりが上がってくる。これはネットでの広報のシステムのためか。通院の条件の一つに「家から近いところ」ということを念頭に探すと…ありました。女医さんで話を聴いてくれそうなところ、予約をとった。しかし、受診は1週間後。そういうもんならしい…その間どうすんの?この1週間をどうすごす?これも受診までの対策として、電話相談などで話をしてみること。同じような話でも何回も話していくと、その都度ニュアンスは変わるところが有ったり、「話す」は「放す」に通じる。担当していたわたしが言うから間違いない。

 しかし、むすめは電話相談はしなかった。ようだ。おそらくまだ、軽い方だと思われる。

 上司への連絡について、一緒に考える。むすめ曰く「この文章は普段の自分の文章と違う、そのことにきっと上司は気づいている」とのこと。いいじゃないか。わたしはメールやラインなど文章のやりとりは後に残るのでできるだけ丁寧な文面を心掛けている。その心得を伝える好機となる(^^)/

 さて。受診を無事に終えた診断書はうつ状態とのことで3カ月の休養が必要とのこと。できるだけ職場から離れること、そして無に慣れること、例えば手芸とかジグソーパズルとかしてみること、とのアドバイスを受ける。

 それを受けて、むすめはジグソーパズルを買いに行くこと、につきあうわたし。ジブリのポスター版が好いとのことでどんぐり共和国などを回ってゲット!今ナウシカに取り組んでいる。もうすぐ出来上がりそうである。

 時を同じくして、わたしも近著で欲しい本をゲット!その名も
 「雨の日の心理学」
 なんとも現在のわたしにピッタシではありませんか。(*´▽`*)

 わたしは御年62歳(来月には63歳)ですが8年ほど前に認定心理士を、3年前?に精神保健福祉士を取得した。(なぜこの年齢でこの資格を?それはおいおい、ということで)現在ワーカーとして職に就いている。その”ケアをする者”としてのワーカーとしてのわたしに、”ケアをする者へのケア”までプラスしての著書である。

目次より
こころのケアとはなんだろうか
こころをわかるとはどういうことだろうか
こころはどうしたらきけるのか
こころはなにをすれば助かるのか
ケアする人をケアするもの

 人がケアを必要とする状態のたとえとして「雨の日」ということである。公私ともに”ケアするひと”であるわたしは、早く最終章を読みたくて先を急いだ。この本、まえがきからあとがきまでケアされる人に寄り添った、ケアする人の考え方や理論やスキルが実にやさしく解りやすい言葉で綴られている。おこがましいが、わたしの実践の目指すところが綴られていたり、わたしの実践の確認や道しるべになる。なんとも慈愛にあふれた、著者の経験にも裏打ちされた、緩やかで温かい言葉で綴られている。また、実戦の中ではなかなか言葉にならない、背中のかゆいところに手が届くような思い、不甲斐なさにも共感しつつ、心理学の本でありながら”ケアすること”について語られていた。

 ページ数の割には、わたしとしては早くに読めたので、今度は付箋を付け乍らじっくりと読みたい。仕事のためであり、むすめへのケアのためにも。

 この夏のあつさは、ただ事ではない。幾重にも重なる思考と決断と実行が要求されていて、でもこの夏を越していくことができると思えることに
多謝。


  

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