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日本で一番贅沢な花束

海と山の街、横須賀。
異国情緒漂う、その街の片隅で、女4人の共同生活。

「シェアハウス」というと、今風でおしゃれに聞こえるかもしれない。
でも、「駆け込み寺に住んでいる」と言ったほうが、私たちの生活には近いような気がする。

私たちは、それぞれ事情があり、どこにも行くところがなかった。
ここ、「アマヤドリ」以外には。

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朝、窓を開けた。

廊下に吹き込んだ風は、金木犀の香りがした。
庭の木の葉が、ほのかに色づいている。
あ、柿がなっている。あれは渋いのかな。

今日は10月に似合わない、夏のような日だ。太陽が暑い。
これから「アマヤドリの日」で、みんなが居間に集まるから、窓をあけて換気をしているのだ。

アマヤドリの日というのは、月に1回、スタッフと入居者が集まって、日々の困っていることや、暮らしのルールなどについて話し合う日だ。

約束の時間に5分遅れて、スタッフがやってきた。
バタバタと音を立てて、入ってきた。


その手には花束があった。



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アラフォーの女2人が頭を悩ませている。
一回り以上、いや、二回り近く歳が離れている若い女の子に贈る、誕生日プレゼントを考えているからだ。

私たちはアマヤドリのスタッフだ。
駆け込み寺の管理人、というほどかたくもない、ちょっとお節介な近所のおばちゃん的な存在だと思う。

ささやかでもいいから、女の子たちが生まれてきてくれた日の祝いに、何か気持ちを伝えたいとプレゼントを考えているのだ。

支援者の方々からは、誕生日プレゼントでギフトカードを頂いた。
とてもありがたい。
ここの女の子は総じてお金に困っており、ほしいものは滅多に買えない。
きっと、とても喜ぶだろう。


私たちは何にしよう。
ケーキかな。

「ねぇねぇ、お花に、しない?」


その言葉を聞いて、私は、大好きなあの歌を思い出した。


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石川啄木は貧しかった。
周りの友人は出世して、好きな美味しいものを食べ、いい服をきている。

彼にはお金はない。
ご飯も、服も、贅沢はできない。
つい人と自分を比べてしまい、劣等感、惨めな気持ち。

しかし、そんな日に、彼は、
生活に必要のない「花」を買ってきて、最も身近にいる妻と語り合うのだ。

何かが解決するわけではない。
彼がえらくなるわけではない。

それでも、身近な人と花を見ながら語り合う。
寂しさをの中で、少しでも心豊かに過ごした彼の歌が、私は大好きなのです。


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アマヤドリの女の子たちは、虐待や暴力から逃れて、ここまでたどりついた。
手持ちのお金もなく、もてる最小限の荷物だけ持って、命懸けで家を飛び出してきた子もいる。

アマヤドリでは、応援してくださる方々や、福祉の力をお借りしながら、生活している。

傷ついた心と体はなかなか癒えない。
医療機関での治療も必要だ。

でも、一から、新しい土地で、生活を作っていくため、生きたいくためにここにきてくれた。

まだ18から20代前半の女の子たち。
同世代の子達は当たり前に、大学や学校へ通い、自分で選んだ服を来て、今日のランチを選んでいる。



虐待から逃れて生活している子がそれをしようとすると、「贅沢だ。」と言われることがある。


生活保護のしくみは、その一例ではないかと、思う。

虐待や暴力があっても、18歳になると児童相談所は原則取扱ってくれない。虐待から逃れてきた彼らが、ゼロから新しい生活の中で生きる頼みの綱は生活保護だ。
しかし、大学生では生活保護を受けることができない。
大学で学ぶことは「贅沢」とみなされているからだ。
生活保護に頼るには、大学を辞めなければならない。

大学で学んで、夢を追うことが贅沢になってしまう。
そんな渦中にいる彼女たち。

そんな彼女たちが生まれてきてくれたお祝いに、
食べることも着ることもできないけれど、
とびきり可愛くて、綺麗で、彼女たちにピッタリだと思う花を買ってきた。


石川啄木が、人と自分を比べてしまったように、
今日だけは、比べてみようか。

この花束、他のどの花束よりも、贅沢でしょ?

きっとこの日、日本で一番、贅沢な花だったかもね。


人がみなワタシよりえらく見える日よ
花を買ってきて
仲間としたしむ


お誕生日おめでとう!!

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